二章 とある賢者の死⑥

「ただいま戻りました」

「あら、お帰りなさい」

 高村が四方坂邸へと戻ってきて居間に入ると、紅茶を飲みながらノートパソコンを見ていた四方坂は呑気そうに顔を上げた。

「用心棒さんはどうだった――あら?」

 四方坂は何かを言いかけたが、高村のやや後ろにいた杜ノ宮を見て疑問の声を上げた。

「用心棒って、ひょっとしてその子かしら?」

「はい」

 四方坂はしげしげと少女を観察する。杜ノ宮は杜ノ宮の方で、少し照れ臭そうに目を逸らしている。

 ふと、四方坂は杜ノ宮の服装に目を止めて慌てて駆け寄った。

「貴方、怪我してない?」

「ああいえ、これは」

「ちょっと見せてみて――」

 そう言って四方坂は腕の辺りを見たが、すぐに目を見張った。

「デミヒューマンなんです、私。だからもう傷は治っちゃいました」

「そういう事ね」

 納得した四方坂は高村の方を向いた。

「高村君。ひょっとして」

「はい、襲われました」

 四方坂は二人をソファに座らせると、疲れてるだろうからとカフェオレとショートケーキを差し出した。四方坂はもう杜ノ宮の傷の心配はしていないようだったが、今度は服の方は大丈夫かと聞くと、杜ノ宮は「もったいないですけど、服なら替えればいいですから」と返した。

「時上鈴ね」

 高村が先刻の出来事を話すと、四方坂は口元を手で覆いながらクリーム色に満たされたカップの中身に目を落とした。

「確かに時上と名乗ったのね」

「はい。知ってるんですか?」

「ええ。時上の家は歴史ある家系よ。幸太郎君はキメラって分かるかしら?」

「はい、複数の動物が合体、したものですよね。なんていうか、ゲームとかで見た事あります」

「そう。なら説明の必要はないわね。現当主、いえ、先代の時上の当主というのはそのキメラ研究の第一人者だったの。ですから、後を継いだらしいその女の子にもノウハウがあったのでしょうね。貴方達を襲ったという巨人、アトラスって言ったかしら? それはきっとキメラね」

 キメラ。あれがキメラなのか。アトラスと呼ばれたあれはゲームとかファンタジー映画に出てくるような、そんな可愛らしいものではなかった。本当のキメラというのはそういうものなのだろうか。それとも、あれが特殊なのか。

「そう、代替わりしたとは聞いていたけど、まさかこんな所に来ていたなんて」

「賢者の石を探しているのか、って聞いてきましたよ」

「やはり石狙いなのかしら。歴史ある家系の娘がこんな事に首を突っ込むなんて少し信じられないけど、下手なはぐれ魔術師より脅威ね」

「大丈夫です。先程は後れを取りましたが、今度はそうはいきません」

 はっきりした声で言った杜ノ宮。しかし、四方坂は彼女を見つめたまま黙っていた。

「あの、何か変な事を言ったでしょうか?」

「え、ああいや違うの。そうだ、そういえば自己紹介してなかったわね」

「そういえばそうでしたね」

「四方坂円よ。ごめんなさいね、折角の可愛いらしい客人なのに邪見にしてしまったみたい」

「いえそんな事ないです。私は杜ノ宮一と申します」

 そう言って杜ノ宮は頭を下げる。

「そう、一ちゃんというのね。いい名前」

「ありがとうございます。ちょっと男の子っぽいですけど、覚えやすいし書きやすいしで私もこの名前は好きです」

「そうね、貴方の名はとても良い名前なのだから、大事になさい」

「はい」

「ところで一ちゃん」

「はい、なんでしょうか?」

「貴方はこれからどうするのかしら? 部屋なら余ってるけど」

「いえ、お気遣いなく。近くに宿を取っていますので、今日からそこに滞在しようと思います」

「そうだったのね」

 少し残念そうな顔をする四方坂。自分の事といい、彼女は人の面倒を見るのが好きな人なのかもしれないと高村は思った。

「すみません。決してここに泊まるのが嫌だとかそういうわけではなく、ちょっと色々と込み入った事情がありまして」

「ええ、分かってるわ」

「ここは結界があって安全と窺っております。なるべく護衛対象から離れないようにするべきだと思ってはいますが」

「構わないわ。一秒一瞬とも目を離してはいけないなんて程、今は緊迫した状況でもないから」

「すみません。色々と勝手な事を」

「大丈夫よ。一ちゃんの言った通りここは安全だから」

 四方坂は得意げに言った。


「杜ノ宮一さん、ね」

 杜ノ宮を見送った後、四方坂はぽつりと呟いた。

「知ってるんですか? 彼女の事」

 高村の問いに、四方坂は静かに頷く。

「確か、十年、九年くらい前だったかしら。N市で凄惨せいさんな殺人事件が起きた事があったの。八方やのかたって名字だったかしらね、そこは両親と姉妹の四人暮らしだったらしいのだけど、それはまあ仲の良い家庭だったそうよ。外の評判はあまり当てにならないかもしれないけれど、少なくとも近所での評判も悪くなかったみたい。でもある日、何の前触れもなく事件は起きた」

「何が、起きたんですか?」

 もう分かりきった事を聞いてしまったと高村は思ったが、しかし、聞かずにはいられなかった。

「姉が、自身の両親を殺害したのよ」

 高村は息を呑んだ。尊属殺人だったか、かつてとある事件においてその取り扱いで議論になった事があったと公民か何かで学んだ記憶がある。ただ、それだけしか馴染みのない出来事。

「凶行の理由は分からないわ。姉に特にそんな兆候は無かったらしいから。真相は闇の中」

「闇の中って姉はまだ捕まってないんですね」

「ええ、未だ行方不明よ。でもそんな姉だけど、何故か妹だけは殺さなかった。これは私の勝手な推測だけど、彼女が妹を手にかけなかったのはあくまで両親に何かしらの恨みがあったからで、妹にはなんの恨みも無かったからだと思う。もし仮に恨みがあったとして、なんの恨みだったかは流石に分からないのだけれど。幸太郎君、もう分かってると思うけど、その生き残った妹というのが」

「杜ノ宮さんですか」

「そう。聞いた話によると、彼女は間もなく神原かんばらという家に引き取られたらしいわ。そこは呪術師の家だった。実を言うとね、八方も呪術師の家系だったのよ。彼らの交友関係はよくは知らないけれど、そのよしみで神原は彼女を引き取ったのでしょうね」

 呪術師。便宜上、魔術師と混同される事も多いが、厳密には魔術師と呪術師は異なるとされていると、四方坂は以前言っていた。西洋の魔術をメインとする魔術師に対して、呪術師は土着の呪術を駆使する者達の総称であるらしいが、数としては実は呪術師の方が多いらしい。

「あの」

「どうしたの?」

「杜ノ宮さん、人間離れした身体能力を持ってました。そういえばデミヒューマンって」

「ええ、そう言っていたわね。少し信じられない気持ちではあるけど」

「知ってるんですか? なら教えてください。デミヒューマンってなんですか?」

「デミヒューマンはね、つまり亜人の事よ」

「亜人?」

「ええ。最も馴染みがあるのがヨーロッパに伝わるエルフやドワーフの類ね。分かるかしら」

「それは流石に分かりますよ。ひょっとして円さん、俺の事無教養で粗雑な奴だって思ってますか?」

「ううん、そんな事はないわよ」

 慌てて否定する四方坂に本当だろうか、と高村は勘繰かんぐる。

「この国にもかつて亜人はいたと言われているわ。そうね、獣のような耳や尻尾を生やした者も彼らの中にはいたとか。驚異的な身体能力ないし特異な能力を持っていた彼らだけど、神代の頃に殆ど姿を消してしまったと言われているわ。そうそう、鬼というのがいるでしょう。あれの起源の一つはね、亜人だと言われているのよ」

「えっと、じゃあ亜人は妖怪みたいな感じですか?」

「人によっては妖怪に分類する人もいるわね。んー、でも私個人の意見としては彼らも人間だと思うの。ああ、勿論鬼の全てがそうだというわけではなくてね。そもそも、鬼という言葉に色々なものを当て込み過ぎなのよ。神様という言葉もそうだし、もうちょっと厳密に出来なかったのかしら」

 ぶつぶつと文句を言う四方坂、しかし間もなくばつが悪そうに顔を上げる。

「ごめんなさい。つい」

「いえ。それより、杜ノ宮さんはその亜人の生き残りなんですか?」

 八方家は呪術師の家系だという。ならば、その家系が亜人の末裔まつえいだという事も有り得るのかもしれない。

 しかし、四方坂はその問いに首を横に振った。

「いいえ。彼女の生まれは八方家だけど、家系が亜人の末裔だとは聞いた事がないわ。恐らく、後天的に亜人になったのでは?」

「後天的に? そんな事出来るんですか?」

「んー、これについては多分としか。私は専門家じゃないから」

 可能性はある。あれだけ動ければ、自分だって。高村は拳に力を止める。

「じゃあ、今度彼女に――」

「止めておいた方がいいわ」

 高村の意図を察したのか、四方坂はその言葉の先を制するかのように言った。その声ははっきりとしていて、いつものおっとりした、柔らかな声音ではなかった。

「何故?」

「誰もが簡単にそんな驚異的な身体能力を手に出来るなら、皆そうしている筈。そうしないのは、しないに足るだけの理由があるからよ。それは適正か、代償か、あるいは両方か」

「いやでも」

「幸太郎君、貴方が望んでいるのはそんな事ではない筈」

 高村は目を伏せる。確かに、自分の目的は賢者の石を取り戻し、いつもの平穏な生活に戻りたいという事だ。しかし、純粋に、あんな身体能力を持っている事が羨ましい。あんなものは、超一流のアスリートが努力しても手に入れる事は叶わない。それを、彼女は持っている。

「大丈夫よ。貴方には超人的な身体能力は無くても、それを補うための武器があるのだし、何より一ちゃんが付いているんだから」

「そう、ですね」

「高村君。疲れてるんじゃない? 今後の予定は明日にして、今日は休んだらどうかしら?」

「そうさせていただきま、あっ」

 ふと思い出したように高村は声を発した。

「どうしたの?」

「いえ、流石に宿題やらないとまずいです」

 そう言って頭を抱える高村を見て、四方坂は苦笑する。

「高校生は大変ね」

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