二章 とある賢者の死⑤

 高村は杜ノ宮を伴い、四方坂邸へと歩を進めていた。

 黙々と進む二人。高村は気まずさに居心地の悪さを感じつつも、高村の後を付かず離れずで付いてくる杜ノ宮との距離感を掴めずに話しかけられないでいた。

 杜ノ宮は黒い布にくるまれた棒状の物体を抱えていた。中身が何かは分からないが、多分、護衛のために使う道具なのだろうと高村は思った。

 四方坂邸に近付いてきた。そこは二車線の両脇に歩道が付いた比較的広い道だったが、人の気配はおろか、車の通る気配すら無い。

「杜ノ宮さん」

「はい?」

 前を歩いていた高村は意を決して振り返る。杜ノ宮はきょとんと首を傾げている。

「どうしました?」

「ああ、別に大した事じゃないんだけどさ」

「はあ」

「杜ノ宮さんって今いくつくらいなのかな」

「今は十七歳です」

「じゃあ俺と同い年なんだ。その制服ってこの辺りじゃ見慣れないけど、それって何処の高校の?」

 高村は杜ノ宮に尋ねた。喫茶店にいる時はよく見えなかったが、彼女は学生服、更に言えば胸元の赤いリボンが特徴的な白のセーラー服を着ていた。

 杜ノ宮は後ろめたそうに目を逸らす。

「杜ノ宮さん?」

「あの、すみません。これは、その」

 先程から落ち着かなさそうにきょろきょろする杜ノ宮。そんな杜ノ宮を見て高村は首を傾げる。

「話したくないなら別にいいけど」

「いえ、そんな事はないです。あのですね、ああ、まあええと……プレです」

「え?」

「えっと、仮装するやつです、これ」

「仮装? コスプレとか」

 その問いに、杜ノ宮はこくりと頷く。そして、意を決したように高村を見た。

「高村さん、あのですね」

「うん?」

「私は、学校には通っていません」

「え」

 高村は一瞬耳を疑った。学校には通っていない?

「それって」

「言葉通りの意味です。不登校でもなんでもありません。私は、そもそも高校生じゃないんです」

 高村は言葉を失った。高校生ではない? いや、中学を卒業して働く人もいるから別におかしな事ではないが、しかし、彼女は。

 硬直した表情の高村の様子を見て、杜ノ宮は顔を逸らす。

「すみません、やっぱりおかしいですよね。学生でもないのにこんな服装」

 杜ノ宮は少し声を震わせながら言った。見ると、彼女の手はぎゅっと強く握られていた。

「いや、別に俺はそんな事思わないよ」

 高村は言った。それは方便ではなかった。実際、彼には彼女のその営みを否定する資格などないと感じていたからだ。

 高村には彼女の苦悩が分からない。彼女がどんな思いで今までを生きてきたのか、一体どんな思いで学生生活を送る人間達を見てきたのか。似たような経験をしてきたわけではない高村には何も理解出来なかった。だからこそ、何も分からない彼に彼女の営みを否定する事など出来なかった。

「こんな事聞いていいのか分からないけど、なんで制服を?」

「そうですね、まあ、大した理由じゃありません。単純に憧れてるだけなんです」

「憧れ?」

「はい。こう見えて私も、その、一応女子供なので、学校生活というのに憧れがあるんです。高村さんは青春ものの漫画やアニメを見ますか?」

「あ、ああ。アニメはともかく、漫画は多少」

「私ですね、ああいうのよく読むんです。いいですよね、何かに打ち込んだり、誰かと本気で衝突したり、テストに不満を言ってみたり、将来に悩んだり、恋をしたり」

「ええ、まあ」

「ああでも、いいなと思う反面、ちょっと辛くもあるんですよね。なんか凄く綺麗なシーンとかがあると、いいなと思いつつも、心にとげが刺さるといいますか、目眩めまいがするといいますか」

「でも、読まずにはいられないんだ」

「ええ。それでもそれを読んでいると少しだけ現実を忘れて、青春に浸っていられるから」

 そう言って彼女は目を細める。こうして見ると、本当にそこら辺で歩いている女子高生と変わりないのに、そう高村は感じた。

「私からも質問、いいですか?」

「ああ。何が聞きたい?」

「はい。高村さんの下の名前って幸太郎さんですよね」

「そうだけど、それがどうかしたか?」

「ずっと気になってたんですが、高村さんの名前の由来はなんなのですか?」

「ああ、同じ読みの彫刻家から取ったものだよ。詳しい事は聞いてないけど、確か、その偉人にあやかって付けたって聞いてる。後、幸の多い人生を送れるように、という意味もあったかな」

「そうなのですね。素敵な名前だと思います。きっと、ご両親は高村さんを大事にされておられたのですね」

「ああ、ありがとう。っても、俺は美術の才能とかないんだけどな」

 そう言って笑う高村。名は体を表すというが、それは迷信であろうと高村は思っていた。それが真実なら、自分は美術に対して自然と興味を持たねばならないだろうし、美術に対して才能を持っていなければならないからだ。

 それに、名は体を表すならこんな酷い目には遭わなかっただろう。

「杜ノ宮さんは――」

 気が付くと、杜ノ宮から笑みが消えている事に高村は気付いた。

「杜ノ宮さん?」

 高村は怪訝けげんな顔をして杜ノ宮に問いかけるが、杜ノ宮は前方を見据えたまま微動だにしない。

 まるで射殺すかのような眼光の鋭さ。高村はその視線の先にあるものを見るために、前の方を振り向いた。

「ご機嫌よう、少年少女達」

 そこには、背の小さな少女がいた。

 百四十もない位の背丈につやのあるロングの黒髪、ボレロジャケットにジャンパースカートの出で立ちであり、まるで良家の子女のような雰囲気を醸し出している。

 もしその少女が不安な面持ちであれば、ああこの少女は親とでもはぐれたのであろうと二人は納得したかもしれない。しかし、少女の表情からそんなものは少しも見出せなかった。その人形のような精巧で愛らしい相貌に浮かんでいるのは二人を興味深い観察対象として捉えている好奇心、只それだけである。

 ふと、少女の横に、夜に溶け込むように立つ者がいる事に高村は気付いた。

 それは、一目で人間ではないと分かった。黒の帽子に黒の外套を身に纏い、顔に布を巻き付け、その強靭そうな体躯は優に三メートルを超えていた。深く黒い布の奥から妖しげに光る目が高村達を釘付けにするように見ている。

「ああ、この子? 私のミニオンよ。名前はアトラスっていうの」

 ミニオン、その言葉を高村は四方坂から聞いた事があった。魔術師の手足として動く忠実な僕。だが、それらは基本的に動物の類か、あるいは紙や頭髪、金属などで作った簡易的な物体だという。例外的に人などを使役している者もいるというが、ではこの目の前の巨人は一体なんなのか。明らかに人の規格を超えてしまっているではないか。

 それはもう怪物、あるいは魔物。そんな表現がしっくりと来る。

「貴方達、賢者の石を探しているんでしょう?」

 少女は問いかけてきた。その目は、まるで見定めているかのように高村には感じられた。つまり、自分達は狩るべき存在なのか、違うのか。

 嘘を言えばいいのだろうか? そしたら逃してくれるのか? 高村は答えあぐねる。

「あら、貴方」

 微動だにしない杜ノ宮に対して少女は首を傾げる。そして、やがて納得したように「へえ」と口を開いた。

「デミヒューマンなのね、貴方。ああでも、うーん、そう。後天的、か。だから普通のヒトベースというわけなのかしら」

 少女は感心したように言った。しかし杜ノ宮は何も答えず、只、抱えていた棒状の布切れを外していった。

 中から現れたのは刀であった。杜ノ宮は、未だ臙脂色えんじいろの鞘に収まった刀の柄に手をかける。

 威嚇いかくとも言うべき殺意を向けられているにも関わらず、そんな杜ノ宮を愛しむかのように少女は優しい笑みを浮かべた。

「興味深いわ。いくら後天的とはいえ、デミヒューマンなんて滅多にお目にかかれるものじゃないもの。だから、少しだけ付き合ってもらおうかしら」

 行きなさい。そう少女が命令すると、横に控えていた巨体、アトラスは無言のまま前屈みになり、そして、

 横に跳躍ちょうやくした。

「下がって!」

 杜ノ宮は声を上げ、上へ飛び上がる。そしてこちらに突進してするアトラスを持っていた刀で上から叩き付けた。

 高村はあまりにも人間離れした動きに声を上げる暇もなかった。動作に目が、頭が追い付かない。一つの動作を認識出来たと思った時には既に両者は一つ二つ先の動作に移っており、高村にはいくつかの過程を飛ばしながらその大まかな軌跡を辿る事しか出来なかった。

「そう来なくっちゃ」

 少女はまるでゲームでも楽しんでいるような、それでいて冷酷な声で呟いた。

 道路では狭いと判断したのか、杜ノ宮は横にあった公園へとアトラスを誘導した。

 尚も打ち合いが続く。地面はえぐれ、空気は振動し、絶え間なく聞き慣れない金属音が耳に響いてくる。

 恐ろしいとは思いながらも、その様子に高村は釘付けになってしまった。三国志演義や水滸伝、ニーベルングの指輪に代表される荒唐無稽こうとうむけいな講談、伝説の類もあながち出鱈目でたらめではないのかもしれない。高村は目の前の現実に、そんな事を思った。こんなにも緊迫した状況とというのに、いいや違う、だからこそ、その戦いはどんなアクション映画よりも蠱惑こわく的で、扇情せんじょう的であった。

「よく動くわね。流石に東征とうせいを手こずらせたというだけの事はあるわ。腕が立つだけの魔術師呪術師なら、もうとっくにお陀仏なのにね」

 誰にともなく少女は言った。間もなく少女は飽きたのか、高村の方を振り向き、「少年」と呼びかけた。高村は咄嗟に振り向く。

「ごめんなさい、自己紹介がまだだったわね。私の名前は時上鈴ときうえすず。見ての通りの魔術師よ。よろしくね、少年」

 そう言って少女は愛らしく笑った。

「それにしても、見た感じ特別な訓練を受けてるわけじゃなさそうだけど、少年はどうしてこんな事に関わっちゃったのかな?」

 少女は問いかけるが、高村は緊張した面持ちのまま何も答えない。

「身構えなくてもいいよ。今のところ私から貴方に何かするつもりはないから。答えてほしいな」

「巻き込まれたからだ。丁度お前みたいな子が連れているあの化け物みたいなものに襲われた」

「化け物? それは災難ね。この不毛な強奪ゲームに参加しているのははぐれ魔術師ばかりよ。倫理なんてものを欠片も持ち合わせてない、殺してもいい奴ら。あいつら目立たないように動きはするけど、それは別にこの街の人間を思っての事じゃないわ。目立ったら自分が狩られてしまうから目立たないようにしてるだけ。無論、街の人間が彼らを見るという事がどういう事か分かるわよね。あいつらは十中八九消しにかかるわ、それもなるべく痕跡を残さないように。少年はそんな奴の一人に襲われた。でも幸運ね、君はなんとか生き延びる事が出来たんだから」

 幸運だって? 高村は少女を見据える。幸運だと言うなら、そもそもこんな事に巻き込まれていないだろう。

 ふと、高村は視界の端に捉えたものの光景に目を疑った。すぐに時上から視線を外し、それを見る。

 アトラスの大きな拳が杜ノ宮の腹に食い込んでいた。間も無く、彼女の体はドッジボールの球のように吹き飛んだ。

「なーんだ。もう少し出来ると思ったのだけど、案外こんなものなのね。張り合いがない事」

 すかさず追い討ちをかけようとする巨人。

 このままでは杜ノ宮は。最悪の事態が高村の頭をよぎる。

 さっき少しだけ打ち解けそうになったのに。

 こんな所でみすみすと。

 いや。

 でも? このままじっとしてれば見逃してくれるんじゃないか?

 どうせほぼ他人だ。合理的に考えれば、このままじっとしてた方が少なくとも自分だけは助かる可能性がある。手を出せば自分もスクラップだ。死体と呼ぶにはあまりに凄烈せいれつになるであろう、そんな無残で無様な肉の屑を親や友人に見せるのか?

 どうでもいいじゃないか。どうせ関わり合いにならない方がいい連中なんだ。彼女だって。

「あ」

 杜ノ宮が、手を地面について立ち上がろうとしていた。

 まだ、彼女は諦めてなどいない。立ち上がって、自分より圧倒的に大きな存在に立ち向かおうとしている。

 高村は少しだけ彼女の手が震えているように感じられた。只の錯覚かもしれない。だがそれが錯覚だったとして彼女に恐怖が無いなんて根拠にはならない。たとえ身体能力は人間のそれではなくとも、同年代の少女と変わらぬ笑顔を見せる彼女が恐怖まで克服した超人とは思えない。

 逃げるのか? 命がけで自分を守ってくれるこの少女を見捨てて、自分だけ。平凡な人間だからと言い訳にして!

「少年、手を出したらアトラスは貴方も容赦しないわよ」

 唐突に、そして淡々と告げられる冷酷な忠告に高村は一瞬、心臓の音を止められたような気分になった。だが、

「うるせえ。そんな小賢しい事知るかよ」

 高村は構わず懐から黒い物体を取り出した。

 それは銃だった。もし襲われた時に護身用に持っていたもの。

 それを殆ど構える事もなく、化け物に向けて撃った。

 高村の手にしている銃は特別な魔術器具によるサポートが付いている。それは四方坂が付けてくれたものだが、まるで手ブレ補正のようにズレを勝手に補正してくれるのだから、後は対象に大体の焦点を合わせてくれれば勝手に当ててくれる。

 放たれた銃弾は黒い悪魔のような腕を振り下ろそうとしていた化け物の手に命中した。手の軌道がずれ、あらぬ方向へと腕は振り下ろされた。

 公園の地面がパイ生地のように砕ける。よし、高村は喜んだのも束の間、その布の奥深くから妖しく光る目が高村を方を向いた。

 高村は全身に耐え難い悪寒を感じた。体が情けない程に震えている。まるで自分の全存在を握り潰さんとする目。幾重にもオブラートに包まれる人間の隠れた敵意とは真逆の、剥き出しの敵意。そういえばギリシャ神話のメデューサは見たものの動きを止めてしまう目を持つと高村は何処かの本で読んだが、これも十分にその類だろうと高村は感じた。一瞬、化け物に対して敵意を持った事を後悔した程だった。

 よく、杜ノ宮は立ち向かえるものだ。全くもって人間としての出来が違うと高村は思った。

 それは、刹那せつなの間であった。

 忽然こつぜんと、杜ノ宮は倒れていたその場所から消えていた。気が付いた時には彼女はアトラスの背後を宙に舞っており、間もなく地面に転がった。

 アトラスから血飛沫ちしぶきが上がる。それは人間と同じ赤色であった。公園のやけに明るい街灯に照らされ、妖しく光るそれは鮮やかに空中を染め上げ、地に落ちては地面を染め上げた。

 痛覚は無いのか、アトラスが痛みを感じている様子はない。だが、巨人はゆっくりと振り返るなり、まるでこれから大声でも上げるのかとでもいうように大きく胸を膨らませた。しかし、

「待ちなさい。ここまでよ」

 時上が言うと、アトラスは徐に踵を返し少女の元へと戻っていった。そして、血が付かないように少女を抱え上げる。

「期待外れかと思ったけどそうでもないみたいね。少年、貴方の勇気に免じて今回は見逃してあげるわ。でも次はそうはいかないわよ。それまでにせいぜい準備をしておく事ね」

 アトラスが跳躍する。それはゆうに数十メートルを超える跳躍だった。その巨体を物ともせず、建物の屋根を伝ってあっという間に何処かへ飛び去ってしまった。

「一さん!」

 高村はハッとして杜ノ宮に駆け寄る。しかし、振り向いた杜ノ宮の顔は極平然としていた。

「大丈夫ですか」

 先にそう問いかけたのは杜ノ宮の方だった。

「いや、大丈夫ですかって、それはこっちの台詞ーー」

「ああ、私は大丈夫ですよ。とても痛かったですけど、あれくらいなら耐えられます」

「いや、そんな馬鹿な」

 あれは多分、高速道路を走っている車にはねられる衝撃だった。それをこの少女は何故、道端で転んだ程度であるかのような顔をしているのだろう。

「普通の人間なら、死んでても可笑しくない」

「でも、私には十分耐えられるレベルです。だって私、人よりちょっと頑丈ですから」

 そう言って杜ノ宮は笑った。

「耐えられるって」

 高村さんが呟く。

「高村さん?」

「耐えられるって、そんな事ないだろう」

「どうしたんですか、高村さん」

「いや、確かに体は丈夫かもしんないけどさ、痛いだろ。死ぬほど痛いだろあんなの。なんで、そんな平気な顔出来んのさ」

「なんだ、そんな事ですか」

「そんな事って」

「そんな事ですよ。慣れてますから。これくらいなら大丈夫だって分かってますし」

 そう言った杜ノ宮はやはり笑っていた。こんな事は他愛の無い、日常的な出来事だとでも言うように。

 高村は顔を硬直させた。一体、彼女のこの反応にとんな表情をすればいいのか分からずに。

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