三章 キメラの少女②

 教室を出た高村は特に学校でする事も無いので、さっさと昇降口で上履きを履き替えて校門を目指して歩き始めた。

 義務的な掛け声が規則正しく、微妙な一部のズレを伴いながらグラウンドから響いてくる。音楽室からも音が漏れてくるが、密閉された空間から這い出てきた音という事もあってか、耳に入ってきたそれは元の音の原型を留めていなかった。

「高村君」

 夕焼けで朱く染まる校門への道を高村が歩いていると、突如声をかけられた。高村が振り向くと、そこに立っていたのは背の高い女の子であった。百七十程の背丈に綺麗に切り揃えられたロングの黒髪。意思の強そうなつり目が高村をじっと見つめていた。

「北野さんか。なにか用かな?」

 高村はその女の子に見覚えがあった。北野万智きたのまち。隣のクラスだが、その超然としたたたずまいで何度か男友達の間で話題になった事がある。当の高村も二年生になった時に合同授業などで何度か言葉を交わした事はあった。しかし、それだけの関係だ。特に接点もない彼女が何故自分に話しかけたのか分からず怪訝な顔をしていた。

「変な事聞くかもしれないけど、高村君、最近自分の周りで奇妙な事起きてないかしら」

「奇妙な事?」

「ええ。例えば誰かにつけられているとか、奇怪な生き物を見ただとかそんなもの」

「いや、そんな事はないな」

 言って、高村は目を伏せる。彼女が何を以て高村をおかしいと判断したのか彼は気になりはしたが、迂闊うかつな事を言って変な奴だとは思われたくはなかった。

 北野はじっと高村を見つめてくるので、彼は少し照れつつ首を傾げた。

「な、何」

「ねえ、高村君はさ、私が魔法使いって言ったら信じる?」

「は?」

 唐突な告白に高村は眉をひそめた。陸上部かその他の運動部か、力に満ち溢れた声が響いてくる。

「どういう事だ。意味が分からない、何かの喩えか?」

「そのままの意味よ。魔法を使う魔法使い」

「いや、何言ってんだ。からかってるのか。北野さん演劇部だったっけ。これ何かの練習?」

「私は演劇部じゃないし、演技の練習でもない。そうね、なら証拠を見せてあげる」

 そう言って北野は辺りを見回した後、徐に地面に転がっている小石を拾う。そしてそれを握り締めた後に高村の方に放り投げた。

「なんだ、何も起きないけど」

「いいえ、もう起きる」

「でもそうは見えな、い」

 高村は目を見開いた。

 石がかすかな煙を帯びたかと思うと、次の瞬間には燃えていた。それは焚き火のような穏やかな炎であったが、高村の心はざわつきを隠せなかった。

「私の家は代々魔術師、いえ、正確には呪術師の家系なの」

「それって、拝み屋みたいなやつか」

 なんとなくそんな事を高村は尋ねると、北野は眉をぴくと動かす。

「その呼び方は好きじゃないけど、広義的にはそんな感じ」

「そいつはびっくりだな。それで、そんなカミングアウトしてまで俺になんの用なんだ」

「ねえ、いい加減隠さなくてもいいんじゃないかな。私がこんな見せびらかすような事したのも、貴方に話しやすくしてもらうためだったんだけど」

 高村はしかし、北野を見たまま沈黙している。やがて北野は軽い溜め息をついてから口を開いた。

「使い魔って分かるわよね」

「ああ」

「私も使い魔みたいなものを使役出来るのよ」

 北野はそう言って指をパチンと鳴らす。すると、校庭の茂みの中から細長く白い生き物が風を切るような素早さで北野の元へと駆けてきて、彼女の足を伝って肩の上に乗った。

「フェレット?」

「オコジョって言うの。北アルプスの山奥に生息する珍しい生き物。夜は毛を黒くさせて活動させているわ」

「可愛いな。そいつがどうしたんだ」

「この子に街を見回らせていたのだけどね、貴方が魔女の屋敷に入っていくのを偶然見てしまったの」

 そう言って北野はブレザーの内ポケットから写真を取り出し、高村に見せた。それを見て、高村は思わずたじろぐ。

「私は四方坂氏とは交流はないけど、彼女が魔術師だという事は知っているわ。となると、そんな所に出入りする貴方は何かに巻き込まれてしまったとしか考えられない。言って、もう言い逃れは出来ないわよ」

 高村は観念したとばかりに後頭部を触る。

「周りには言うな、って言われてたんだがな。分かった、話すよ。北野さんはさ、西の賢者って分かるかな」

「ええ、聞いた事はあるわ。確か先日逝去したって聞いたけど」

「平たく言えばその人の遺産絡みで碌でもない事に巻き込まれてるんだよ」

「遺産?」

 北野は眉を吊り上げる。

「ああ。なんでもその賢者とやらは生前に偉業を成し遂げたとかで、その偉業の成果物を遺して逝ってしまったんだと」

「それで、その成果物というのは?」

「賢者の石、とかいう代物だ」

「賢者の石」

「いかにもって感じだよな。でも問題はここからだ。そういうのって普通、家族か弟子かに継承させるものらしいんだが、賢者は何を考えたのか、それを縁故問わずに只相応しい者に継がせるって感じの遺言を遺したんだ」

「相応しい者、ね」

「ああ。相応しい者ってのは具体的な誰かの事じゃない。ここからが大事な事なんだが、それは条件に合えば誰でもいいんだ。それがたとえお尋ね者であっても、大量殺人犯であっても、テロリストであっても構わない」

「それはまた随分と物騒な話ね。その条件というのは?」

「私を殺した者から取り返してくれ。さすればそれは汝の者とならん。なお、仇敵きゅうてきの生死は問わない。これが遺言であり、条件だと」

「何それ、随分と可笑しな遺言ね。それじゃまるで自分が誰かに殺される事を想定した書き方だわ。それとも賢者って言うくらいだから、未来視でも出来たのかしら」

「さあな、それは分からない。俺が伝えたいのはだ、この遺言が引き起こす可能性だ。北野さんが仮に賢者の石を欲しがってるとして、さっき言った遺言を聞いたらどう思う?」

「勿論、犯人を捕まえて自分のものにしたいと思うわ」

「そうだよな。ある意味において合法的に受け取れるんだから、何がなんでも犯人を突き止めてものにしたいって思うだろう。でもさっき行ったように、誰でもいいんだ。その結果どうなったと思う?」

「成程ね。高村君の言いたい事は分かったわ。つまり、今は石の争奪戦になってるのね」

「ああ、そういう事だ。北野さん、そういうわけだから俺に関わらない方がいいよ」

 北野は首を傾げる。

「何故? 私はそっち側の世界の事を知っているわ。少なくとも高村君よりは上手く立ち回れると思うけど」

 しかし、高村は北野を見据えたまま、何も答えない。痺れを切らしたのか、北野は口を開く。

「高村君?」

「やっぱり、なんか違うな」

「え、今なんて」

「北野さん。やっぱ俺に関わらない方がいいと思うよ。絶対碌な目にあわないから」

「どういう事。ちゃんと理由を説明して」

「ごめんな、北野さん。もう俺に話しかけないでくれ」

 じゃあ。そう言って高村はその場を去っていった。

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