第12話 ドライブ

「マリア、今日はちょっと遠くまで出る」


 朝食の時に、オレはマリアにそう告げた。

 オレの言葉を聞いたマリアは、トーストにバターを塗る手を止め、オレに目を向けた。


「お出かけでございますか?」

「うむ。遠方に住んでいる方から、出張しての仕事の依頼が昨日の夜に入った。もう書類はできているが、依頼人のサインが必要なんだ。だからサインを貰いに行く」


 オレはコーヒーを一口飲み、続けた。


「本来なら郵送でのやり取りで済むことなんだが、一刻も早く役所に提出してほしいと依頼されたから、直接現地まで行くことになってしまった。だから、帰りは遅くなる」

「かしこまりました」


 マリアは、ゆっくりと頷いた。


「今日は、ご主人様のお帰りは遅くなりますね。夕食は、少し遅めに準備します。ご主人様のお出かけの間は、わたしが留守番をいたします」

「いや、その必要はない」


 オレがそう告げると、マリアは首を傾げた。


「マリアも一緒に、依頼人のところまで行くからな」

「はっ……はい、かしこまりましたご主人様!」

「朝食と後片付けを終えたら、出発の準備をするように。泊まりじゃないから、多くの荷物は必要ない。ただし、鍵と財布は必ず持っていくように」

「ご主人様、お昼ご飯は……」

「心配しなくていい。帰る途中に途中でカフェかレストランに立ち寄ろう」


 マリアにそう説明し、オレはトーストとベーコンエッグを口に運んだ。




 オレは作成した書類、万年筆、手帳、財布などを書類カバンに入れていく。

 そして鍵束を手にして、その中からオレは1つの鍵を取り外した。


 すると、マリアが事務所に入ってきた。

 マリアは小さな手提げカバンを手にしている。


「ご主人様、準備が整いました。いつでも出発できます!」

「それじゃあ、そろそろ行こうか」


 オレは書類カバンを手にした。



 マリアを連れ立って、オレは事務所の出入り口……ではなく、裏の勝手口から外に出た。

 戸締りをマリアに任せ、オレは家の裏にあるガレージへと足を踏み入れる。


「久々に、こいつの出番だな」


 オレの目の前には、1台の自動車が停まっていた。

 黒い旧式の中古車。オレの愛車だ。


 しばし愛車を眺めていると、戸締りを終えたマリアがガレージにやってきた。


「ご主人様、これは……」

「オレの愛車だ。マリアが見るのは、初めてだったな」


 マリアは、初めて見たオレの愛車に驚いているようだった。

 無理もない。自動車は高価なものだ。乗っている人は、相当な金持ちか、よほどの車好きくらいしかいない。気軽に買う人は、そんなに多くないのだ。

 オレがなぜ車を持っているのかというと、こうして仕事で使うことがあるためだ。

 そのために、少し前にこの中古車を経費で購入した。中古で型落ちだから安いとはいえ、元は高級車だった。かなりの金額が飛んでしまった。


「車、持っていらしたんですね」

「型は古いが、よく走る。マリア、車に乗ったことはあるか?」

「いえ、ありません……」


 オレが予想していた答えが、帰ってきた。

 ちょっと酷なことを聞いてしまったかもしれないと、少し後悔した。


「わかった。マリア、助手席に乗ってくれ」

「助手席……ですか?」

「前の座席の、隣の席だ」


 オレはそう云うと、後部座席に書類カバンを置いて運転席に座った。それを見たマリアは、すぐにオレの隣の席に座って、ドアを閉めた。

 鍵束から取り外した鍵を取り出すと、オレはそれを車のカギ穴に差し込んで、回した。


 車がエンジン音を轟かせて、唸り声をあげる。

 型落ちだが、さすがは元高級車。力強さを感じさせる。


 マリアはエンジン音に驚いたらしく、エンジン始動直後に耳を塞いでいた。


 オレはゆっくりと、車を路上へと進めた。

 そこで一度停車させると、ガレージを閉めて再び車に乗り込んだ。


「よし、出発するぞマリア」

「は……はい!」


 もう、耳は塞いでいなかった。

 オレはギアを入れると、アクセルを踏んで慎重に車を走らせた。




「すごいです! 速いです!」


 助手席のマリアが、まるで子供のようにはしゃぎながら叫ぶ。

 オレがハンドルを握って操る車は、馬車とは比べ物にならない速度で街の中を走り抜ける。車に乗るのが初めてのマリアは、いつもの控え目さはどこにも見受けられない。

 すると、マリアは急に顔を紅くした。


「……すいません、はしゃぎ過ぎました。自動車に乗れる日が来るなんて、思いもしませんでした」

「気にすることはないさ。オレも初めて自動車に乗ったときは、はしゃいだもんだ」


 オレはそう云うと、ブレーキを踏んでゆっくりと車を停める。

 前方に立っている信号役の警察官が、停まれの表示をしてきたためだ。


「ご主人様、今日はどちらまで向かうのですか?」

「ここから40分くらい走ったところの山の上にある、カントリーハウスだ。そこまで書類を持っていかないといけないんだ」


 警察官が、勧めの合図を出してきた。

 オレは左右を確認し、再び慎重に車を走らせる。


「40分もかかるなんて、遠いですね」

「馬車なら、1時間はかかるだろうな」


 馬車を追い抜かして、車は走り続ける。


「馬車よりも小さいのに、馬車より速く走れるなんて、まるで夢みたいです」

「もっと早く走ることだってできるぞ。ちょっと、スピード上げるか!」


 オレはギアを変え、アクセルを踏み込んだ。

 エンジンが唸り声をあげ、車はスピードを上げていく。


 マリアが座席に身体を押し付けられて、上がっていくスピードに驚いている。

 そんな様子が面白くて、オレはまたアクセルを踏み込んだ。




 カントリーハウスの門の前までやってくると、オレはエンジンを掛けたまま、車を停めた。


「ご主人様、ここですか……?」

「あぁ。この先にあるカントリーハウスが、今回の依頼人がいる場所だ」

「あっ、誰かが、こちらにやってきます!」


 門の近くにある小さな小屋のような建物から、2人のお仕着せを着た従僕がこちらに向かってくる。


「どうやら、警備員のような奴らみたいだ」


 従僕がやってきて、車の窓を開けるようにオレに促した。

 オレはドアについているハンドルを回して、窓を開ける。


「代書人のシリウスです。今日、書類を届ける約束になっています」


 オレが代書人手帳を見せながら従僕にそう告げると、従僕はすぐに頷いた。


「お待ちしておりました。今、門を開けますので正面玄関の前までこのままお進みください」


 大きな門が開くと、オレはゆっくりと車を進める。

 そのまま立派な庭の中に作られた道を走り、カントリーハウスの前で停めた。


 オレとマリアが車から荷物を降ろすと、出迎えの使用人たちが集まってきた。

 メイドや従僕がズラッと、まるで兵隊のように整列する。


「「「「「「「お待ちしておりました」」」」」」」


 一斉にそう云われて、少し驚くオレとマリア。

 さすがは、爵位を持っている大地主の屋敷だけある。雇用している使用人の数も、半端じゃない。


「ご主人様、なんだか落ち着かないです……」

「オレもだ。早いところ、仕事を片付けるとするか」


 オレとマリアは、メイドたちからお辞儀をされながら、カントリーハウスの中に足を踏み入れた。




「こちらで、旦那様がお待ちです」


 執事の男性に案内され、オレとマリアは書斎の前までやってきた。

 ここに来るまでの間、何人ものメイドとすれ違った。時折、マリアがこのカントリーハウスのメイドと勘違いされてしまい、他のメイドから声を掛けられるということも、幾度となく起きた。そのたびにマリアがオレの雇っているメイドであると説明しないといけなかったのは、少々面倒だった。


「どうぞ」


 書斎のドアが開けられ、オレとマリアは書斎へと通される。


 さすがは大地主の書斎だ。オレは書斎の中を見渡して、そう思った。

 壁には天井まで届きそうな本棚が置かれ、隙間なく分厚い本が収められている。これらの本を全て読み終えるまでに、何年かかってしまうだろうか。本を集めるのに費やした金額も、きっと相当なものに違いない。


「やぁ、代書人のシリウス殿。よくぞ参られました」


 書斎の奥にあった執務机に座っていた男性が、立ち上がった。

 貴族のような身なりをしている、中年の男性。この男こそが、今回の依頼人だ。


「どうぞ、そちらにおかけください」

「はい、失礼します」


 オレとマリアは、書斎の一角にある応接スペースへと案内された。

 オレはソファーに腰掛けたが、マリアはオレの背後に立ったまま、腰掛けようとしなかった。


 そこに、依頼人がメイドを2人ほど従わせてやってくる。


「お会いできて光栄です。フォーマルハウト侯爵」


 オレが依頼人の名前を呼ぶと、フォーマルハウト侯爵は頷いた。


「こちらこそ。若くして代書人として活躍されていることは、アンタレス殿から伺っています。そしてそちらは、シリウス殿のメイドさんのようですな」


 マリアがフォーマルハウト侯爵の発言に驚き、耳をピクピクと動かした。


「よくお気づきになられましたね」

「いえ、私は全ての使用人の顔を覚えております。そちらのメイドさんは、私の記憶の中に顔がありませんでした。シリウス殿のメイドに間違いないと、推測したまでです」


 フォーマルハウト侯爵は、マリアに顔を向けた。


「メイドさんも、どうぞおかけになってください」

「は……はい。し、失礼します……」


 緊張した様子で、マリアはオレの隣へと腰掛けた。

 すると、フォーマルハウト侯爵が従えていたメイドが動き出し、オレたちとフォーマルハウト侯爵の前に、紅茶を用意してくれた。


「さて、早速ですが書類の方をお願いしたいのですが――」

「こちらに、ご用意して参りました」


 オレは書類カバンから、書類の入った封筒を取り出した。

 さて、ここからはオレの仕事だ。


 オレは書類を手渡し、万年筆を取り出すと、仕事に取り掛かった。




 仕事を終えたオレは、マリアと共にカントリーハウスを出た。

 そのまま、カントリーハウスの前に停めておいた車に乗り込む。


 そして大勢の使用人に見送られながら、オレとマリアは車でカントリーハウスを後にした。


「……なんだか、すっかりごちそうになっちゃいましたね」

「そうだな」


 仕事を終えたオレは、フォーマルハウト侯爵から紅茶を振舞われた。

 午前中だというのに、メイドたちがまるでアフタヌーンティーを始めるかのように準備をしていくのには、圧倒されてしまった。しかし、それを当然のように見ていたフォーマルハウト侯爵の様子から、このカントリーハウスでは当たり前の光景らしかった。


 オレとマリアは、サンドイッチやスコーンまでご馳走になってしまい、昼食が入る余裕がなくなってしまった。

 カフェかレストランで昼食にしようと考えていたが、予定が変わってしまった。


 さて、これからどうやって帰ろうか。


 オレは考えながら運転を続ける。

 この時間は、交通量もそんなに多くないためか、時間の流れが穏やかに感じられる。


 ……そうだ、少しだけ寄り道をしていくのもいいだろう。


「マリア」

「ご主人様?」

「……ちょっとだけ、寄り道していこうか」


 オレの言葉に、マリアが助手席で首をかしげる。


「寄り道……ですか?」

「寄り道というよりは、ちょっとしたドライブだ」


 オレはそう云うと、道路脇に立っていた案内看板を確認する。


 よし。

 あの道を通っていけば、確実に街に戻れる。


「マリアの知らない道を、ちょっと辿っていこうか」


 オレはそう云うと、ハンドルを切った。

 そして行きで来た道とは違う道へと、車を走らせていった。




 街へと戻ってきた。

 自分の知っている場所まで戻ってきたためか、マリアは目を丸くしていた。


「ここに出る道があったんですね!」

「驚いただろう?」


 オレの言葉に、マリアは何度も首を上下させる。


「ご主人様、とても楽しかったです!」

「それは良かった。知らない道を走るから、もしかしたら不安になるかもしれないと思ったんだけど、楽しんでくれたのなら通った甲斐があった」


 マリアが楽しんでくれたのなら、何よりだ。

 きっと、いい気分転換になっただろう。


 オレがそんなことを思っていると、マリアが口を開いた。


「ご主人様、ありがとうございました! 帰ったら、またお仕事頑張ります!」


 マリアに、心の中を見透かされたような気がした。




 そしてそのまま車を走らせ、夕方になる前にオレとマリアは事務所兼自宅へとたどり着いた。

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