第5話 取引先での再会
今日、オレは外出した。取引先に出向いて、書類作成の依頼を受けたためだ。
そして今日は、オレにとってこれまでに前例がない外出となった。
街を歩いているオレの隣には、マリアがいた。
メイドを雇っている主な雇用主である貴族や爵位持ちの婦人が、メイドを伴って出かけることはよくあることだ。
しかし、オレのようなメイドを1人ないしは数人しか雇っていない中流の男が、メイドを伴って出かけるなんてことは通常あり得ない。
メイドは主に家事労働だけをさせ、雇用主の仕事を手伝わせるようなことは、ほとんどない。かつてはメイドはいくつもの家を転職で渡り歩くことがあり、情報漏えいを防ぐために雇用主たちは仕事を手伝わせることは決してしなかった。
たとえどんなに忙しくても、懐に余裕がなかったとしても、だ。
必ず別の労働者を雇い入れ、仕事をさせていた。
「あの、ご主人様……」
「どうした?」
オレの隣を歩くマリアが、オレに声をかけてきた。
「本当に……わたしがご主人様のお仕事にお伴させていただいて、良かったのでしょうか?」
メイドは、原則として雇用主の仕事の手伝いをすることはない。
マリアもそれを知っており、そのことを気にしているようだ。
しかし、オレはそんなことは気にしていない。
「あぁ、そのことなら気にしなくてもいいよ」
「どうして、ですか……?」
「わかった。ちゃんと話しておこうか」
歩きながら、オレはマリアに説明した。
「これからもしかしたら、オレが外出している間などにマリアが電話を取ったり、仕事に関する手紙や重要な知らせを受け取ったり、訪問してきたお客さんと顔を合わせることがあるかもしれない。そのときのために、まずはオレが最も頻繁に取引をしているお得意様のところに、マリアを紹介しておこうと思ったんだ」
「わ、わたしを紹介なんて、そんな……」
「そんなに緊張することはないよ。いい人だから」
オレはマリアにそう云いながら、お得意様がいる場所に向かって歩いた。
お得意様がいるのは、この街で最も大きな図書館として名高い場所。
ローリングストーン図書館だった。
ローリングストーン図書館は、オレの事務所兼自宅から歩いていける距離にある。
オレがマリアに、なぜ同行させたのかを話してから少しして、オレたちはローリングストーン図書館に到着した。
「ご主人様」
「どうした?」
まだ、緊張しているのだろうか。
そう思いながら、オレはマリアの言葉に応える。
「まだ、メイドをしている人って、多いんですね……」
マリアのその言葉に、オレはハッとなった。
なぜなら、ここに来るまでの間に、何人かのメイドとすれ違ったためだ。
メイド禁止法が施行されてから、新たにメイドを雇い入れることはできなくなった。
しかし、メイド禁止法が施行されたからといって、すぐにメイドがいなくなるわけではない。
まだまだ現役のメイドは、たくさんいる。もちろん、マリアもその中の1人だ。
「仲間がいっぱい居たほうが、良かったかな?」
「いいえ! わたしは、ご主人様にお仕えできているだけで、十分です!」
マリアはそう云ったが、オレは声に寂しさがにじみ出ているような気がした。
ローリングストーン図書館に入ると、オレたちは受付へと向かった。
受付には司書がいて、本の貸し出しや返却の受付をしたり、利用者からの質問や要望に応えたりしている。
いつもの、ローリングストーン図書館の光景がそこにはあった。
オレは空いているカウンターに向かい、カウンターの内側にいる司書に声をかけた。
「すいません。代書人のシリウスです」
「あっ、シリウス様ですね。お待ちしておりました」
オレの名前を耳にした司書は、すぐに頷いて立ち上がった。
そのままカウンターを別の司書に任せ、自分はカウンターから出てきてオレたちの目の前までやってくる。
「ご案内致します。ところで、そちらのメイドは……?」
「少し前から雇い入れた私のメイドです」
「わたしは、マリアと申します」
「マリアさんですね。では、こちらへどうぞ」
マリアが控えめに自己紹介をすると、司書は頷いてオレたちを案内してくれた。
「ご主人様、とても大きな図書館ですね……!」
図書館の中を歩いていると、マリアは広いロビーや立派なステンドグラス、書架に並べられた大量の本に驚いているようだった。確か、マリアは救貧院にいたと聞いたことがある。救貧院の内情を察すると、マリアが驚くのも無理はない。
「この街で、いちばん大きな図書館だ」
「ご主人様、詳しいですね!」
「そんなことはない。お得意の取引先で、仕事でもよく使わせてもらっている場所だからさ」
オレはなるべく声の大きさを抑えて、マリアに云った。
図書館の中では、老若男女問わず多くの人が本を読んでいる。図書館で大きな声で会話をすることは、本を静かに読みたい人が多い図書館ではマナー違反だ。
オレ自身、過去に図書館で仕事に関する調べ物をしていた時に、騒がしい人がやってきて困ったことがある。ほかの人にそんな思いをさせないためにも、ここは静かにしていなくてはならない。
しばらく書架の間を歩いていくと、エレベーターが現れた。
司書がボタンを押すと、少ししてからエレベーターの扉が開いた。
「どうぞ、中へ」
司書から云われ、オレとライラはエレベーターに乗り込む。
司書も乗り込むと、エレベーターのボタンを押した。
エレベーターの扉が閉まり、エレベーターはオレたちを乗せて上へと上がっていった。
エレベーターのベルが鳴り、オレたちはエレベーターから降りた。
そこに広がっていたのは、図書館とは少し趣の異なる空間だった。
壁には絵画が掛けられ、床には高級そうなカーペットが敷かれている。
「ここは……?」
「こちらです」
司書に案内され、オレたちは突き当りにある扉の中へと足を踏み入れる。そこは応接室で、オレの事務所に置かれているものよりも高級そうな革張りのソファーが置かれている。ソファーの間に置かれているテーブルも、大理石でできているようだ。とてもここが、図書館の中にある場所とは思えない。
「どうぞ、お掛けください」
「ありがとう」
オレはソファーに掛けたが、マリアはオレの隣で立ったままだった。
すると、すかさず司書がマリアに声をかけた。
「お連れ様も、どうぞ」
「い……いいんですか!?」
「はい。どうぞ」
司書から案内され、マリアはやっとオレの隣に座った。
「しばしお待ちください。すぐに館長が参りますので」
そう言い残して、司書は応接室から出て行った。
応接室の中には、オレとマリアだけが残され、水を打ったように辺りは静かになる。
「ご主人様、お会いする方って、どんな方なんですか?」
マリアからの問いかけに、オレは口を開いた。
「このローリングストーン図書館の、館長だ」
オレの答えに、マリアは目を丸くした。
「か……館長さんなんですか!?」
「そう、館長。この図書館の全てを取り仕切っている、いちばん偉い人だ」
「き……緊張してきました……!」
マリアが、エプロンの上からスカートを握り締めた。
どうやら超厳しい人が出てくるのではないかと、思っているらしい。
しかし、そんなことはあり得ない。オレは仕事で何度も、館長とは会っている。
すると、部屋の奥にあったドアが開いた。
オレとマリアは、反射的にソファーから立ち上がる。
ドアから応接室に入ってきたのは、1人の初老の男性。
そして跡に続くようにして、数人のメイドが入ってきた。
「これはどうも、代書人のシリウスさん」
穏やかな声で、初老の男性が挨拶をした。
オレはお辞儀をして、それに応える。
「代書人のシリウスです。いつもお世話になっております、アンタレス館長」
「今回も、またいろいろと申請書類をお願いしようと思いまして」
「ありがとうございます」
「それはそうと、そちらのメイドさんは……?」
アンタレス館長が、マリアに視線を向けた。
「彼女は、僕がメイド禁止法成立直前に雇い入れました」
「マリアと申します。初めまして……」
マリアが少しぎこちないお辞儀をした。
「これはこれは、初めまして。私はローリングストーン図書館の館長をしております、アンタレスと申します」
お互いの挨拶が終わると、オレたちとアンタレス館長はソファーに腰掛けた。
するとすぐに、一緒に入ってきたメイドたちがテキパキと動いて、お茶の用意を始めた。
お茶だけでなく、お茶菓子まで用意してくれて、オレたちの前にお茶が並んでいく。
「どうぞ」
「ありがとう」
お茶を置いたメイドに、オレはお礼を告げる。
「旦那様、お茶をお持ちいたしました」
「おぉ、こっちへ頼む」
「はい」
アンタレス館長にお茶を差し出したのは、オレとマリアにお茶を出したメイドとはまた別のメイドだった。
黄金色の髪を持ち、マリアとよく似た獣耳を持ったメイド。年もマリアと同じくらいに見える。着ているメイド服も、上等なものらしい。きっと、仕立て屋で紳士服と同じように仕立てられたものだろう。
オレがマリアに着せているような、安物の製品とは大違いだ。
そんなことを考えていると、突然隣から声が上がった。
「サジタリウス!?」
お茶を出し終えたメイドに、マリアが問いかける。
オレとアンタレス館長は驚いて、マリアに視線を向けた。
対するマリアの視線は、アンタレス館長の隣にいるメイドに注がれていた。
すると、そのメイドも何かに気づいたらしく、目を丸くした。
「まさか……マリア……あのマリアなの!?」
「やっぱり……サジタリウスね!」
マリアが目を輝かせ、立ち上がった。
「サジタリウス、知り合いなのか?」
「マリア、知り合いなのか?」
オレとアンタレス館長が、ほぼ同時にそれぞれ隣にいるメイドに問いかけた。
「「はい!! ご主人様」」
マリアとサジタリウスが、同時に答えた。
「そうか。それじゃあ2人とも、掛けなさい」
「はい」
「かしこまりました、旦那様」
アンタレス館長から促され、マリアとサジタリウスはソファーに腰掛けた。
サジタリウスは、アンタレス館長の隣にそっと、寄り添うように座った。
「サジタリウス。マリアさんとは、顔見知りだったのかね?」
「はい、旦那様。私とマリアは、同じ救貧院にいました」
アンタレス館長が訊くと、サジタリウスは頷く。
同じ救貧院に居たのなら、驚くのも無理はないな。
「救貧院で一緒に育ちました。私が2~3年早く、メイドとして旦那様にお仕えするようになりました。まさか、マリアも同じメイドになっていたとは思わず、大変驚いています」
すると、マリアが目元をぬぐった。
よく見ると、薄っすらと涙が浮かんでいる。
「サジタリウス……元気そうでよかった……」
「マリア……」
サジタリウスは立ち上がると、マリアの横にやってくる。
そしてそっと、マリアの手を取った。
「あなたも元気そうで、何よりだわ。それに、とってもいいご主人様の下で働いているみたいじゃないの」
「うん……分かるの?」
「もちろんよ。シリウス様からは、旦那様と同じ優しいオーラを感じるもの。マリアだって、救貧院にいた時とは違って、肌も髪も艶やかになっているわ」
「ありがとう、サジタリウス」
マリアが浮かんでいた涙を拭う。
すると、アンタレス館長が口を開いた。
「どうかね。2人とも、隣の部屋で再会を喜んでくるといい」
「あっ、旦那様、申し訳ございませんでした!」
サジタリウスは立ち上がると、アンタレス館長に向かって頭を下げる。
「大切なご商談の前に、職務を忘れて旧友と昔話に浸ったこと、深く反省いたします!」
「気にしなくても良い。旧友と突然出会うなんて、そうそうあることじゃない。幸い、今は手が足りておる。シリウスさんと話を終えるまで、休憩とする。お茶でも飲みながら、会話に華を咲かせて来なさい」
アンタレス館長は、オレに横眼で訴えかけてきた。
アンタレス館長が良いと云ったのだから、オレが反対する理由など、どこにもない。
オレは頷くと、マリアに向き直った。
「マリア、行ってくるといい」
「ご主人様……ありがとうございます!」
お礼を告げると、マリアはアンタレス館長へと顔を向けた。
「アンタレス様、ありがとうございます。それと大変失礼いたしました!」
「いやいや、いいものを見させてもらったよ。お茶を用意させるから、ゆっくりしていきなさい」
アンタレス館長はほかのメイドに命じて、マリアとサジタリウスを隣の部屋へと案内していった。
メイドがいなくなると、ドアがゆっくりと閉まった。
応接室には、オレとアンタレス館長2人だけとなる。
「さて、それでは早速申請書を依頼したいんだが……」
「はい。お任せください」
オレは万年筆を取り出し、カバンから書類を取り出すと、机の上に持ってきた書類を並べ始めた。
後で聞いたことだが、オレとアンタレス館長が申請書を作っている間、マリアはサジタリウスと共に再会を喜び合い、とても楽しい時間を過ごすことができたという。
マリアを連れてきておいて、良かった。
「ご主人様、今日は大変失礼いたしました」
ローリングストーン図書館での仕事を終え、事務所兼自宅へと変える道中。
マリアからの突然の謝罪に、オレは首をかしげる。
「わたしはメイドなのに、ご主人様とアンタレス様のお仕事の邪魔をしてしまいました。大変申し訳ございませんでした」
「マリア、気にすることは無いよ」
オレはそっと、マリアにそう伝える。
事実、オレは全く気にしていない。
「アンタレス館長も、気にしていなかった。それどころか、あのサジタリウスというメイドとマリアが旧友だと知って、喜んでいたじゃないか。『またいつでも、ローリングストーン図書館に遊びに来てください』とも仰っていた。アンタレス館長も、マリアのことを受け入れてくれたんだよ」
「ご主人様……」
「それに、新しい仕事もこんなにいただいた」
オレはそう云って、カバンをポンポンと叩く。カバンの中には、新たに請け負った仕事が入っていた。
新しい仕事は、5件か6件はある。
一度にこんなにも新しい仕事を貰えることは、滅多にない。当然、オレに入ってくる報酬も多くなる。
「マリア、また仕事でローリングストーン図書館に行くことがあったら、一緒に来てくれないか?」
「……はい、ご主人様!」
マリアの表情に、再び笑顔が戻った。
うん。笑顔が一番だな。
オレはマリアの手を取り、マリアと共に事務所兼自宅へと戻っていった。
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