第4話 嵐の夜

 嵐がやってきた。


 午前中は曇りだったが、次第に風が強く吹くようになってきた。

 そよ風程度のものが少しずつ強さを増していき、やがてそこに雨も混ざり始めた。

 午後になると強い風と雨が吹き荒れ、道路に落ちていたゴミが飛び、雨戸に当たって散らばっていく。

 比較的明るかった通りも、雨が降り始めてからはどす黒くて厚い雲に覆われるようになり、通りは夜のように暗くなって街灯がポツポツと点き始めた。


 こんな状態になって、外を出歩くような者はいない。

 商店主たちはお客がいなくなると次々に店を閉めていき、あっという間に通りは人っ子一人いなくなってしまう。

 人がいなくなった通りには、風と雨の降る音だけが響いていた。




 オレもこんな日に、いつも通り仕事をしていることはしなかった。

 請け負っていた書類の作成を終えると、オレは事務所の入り口に鍵をかけて「休業中」と書かれた木の板を掛けた。

 こんな嵐が来ていれば、依頼人だって来るわけがない。

 新しい仕事もないのだから、事務所をいつも通り開けていても、電気代がムダになるだけだ。


「よし……これでいいな」


 オレはカーテンを閉めながら、事務所の前の通りを見た。

 すでに夜のように暗くなっていて、雨は銃弾のように窓を打ち付けてくる。部屋の中に居ても、雨の音がはっきりと聞こえてくるほどだ。

 ラジオからは、気象情報が流れている。ラジオによると、このまま明日の明け方までは、暴風雨に厳重警戒が必要とのことらしい。特に風が強くなるのは夜間で、停電や河川の決壊など災害の恐れもあることから不要不急の外出は控えるようにと、繰り返し流れてくる。

 確かにこれほどまでの嵐だと、そんなことが起きても何も不思議ではない。


 気象情報を確認すると、オレはラジオの電源を落とした。

 それから施錠確認をして、事務所の明かりを消すと、オレは居間へと移動した。



 居間では、マリアがキッチンとの間を行き来して、夕食の準備をしている。

 マリアに、午前中に買い物を済ませるように云っておいて良かった。いつも通りの時間に行かせていたら、きっとずぶ濡れになっていたに違いない。

 オレが居間に入ってきたことに、マリアはすぐに気が付いた。


「ご主人様、今夜はひどい嵐になりそうですね」

「あぁ。今先ほど、ラジオもそう伝えていた。明日の朝までは、不要不急の外出は控えたほうがいい。オレも、今日はもう事務所を閉めた。新しい依頼も、これじゃあ来るとは思えないからな」


 オレはイスに腰掛け、読みかけの新聞を開いた。


「マリア、今夜は荒れそうだ。それにやることも今はそんなにない。夕食を終えたら、なるべく早めに休むようにしよう」

「かしこまりました。ご主人様、紅茶をお淹れいたしましょうか?」

「うん、お願い」

「はいっ!」


 オレの言葉に、マリアはすぐに動き出した。

 マリアの淹れてくれた紅茶を飲みながら、新聞を読んでいると、やがてキッチンからいい匂いが漂ってくる。


 今晩の夕食は、何が出てくるのだろうか。

 オレは新聞を読みながら、マリアが夕食を作り上げるのを待っていた。




 夕食が終わった後、わたし……マリアは後片付けをしていました。

 ご主人様は今日の夕食も、美味しそうに召し上がってくださいました。わたしとしては、美味しい夕食を作ることができて、大満足です。


 ご主人様はすでに、書斎へと戻ってしまいました。

 ご主人様は書斎を寝室兼自室として使っています。書斎がお部屋なんて、ちょっと変わっています。


 後片付けが終わりましたら、明日の朝食の準備です。

 ご主人様に美味しい朝食を召し上がっていただくためには、前日から仕込みをしなくてはなりません。

 朝食の仕込みを終えましたら、後は全ての戸締りの確認です。

 家の管理を任されているメイドとして、これは本当に大切な仕事です。もしもどこか施錠がされていない箇所があった場合、ご主人様の大切なお宅に招かれざる者を入れてしまうかもしれません。

 1つ1つの扉と窓を、全て確認していきます。


「……大丈夫、ですね」


 最後の確認箇所、勝手口の施錠を確認しました。

 これで、外と通じている場所は全て鍵がかかっていることが分かりました。


 わたしの本日のお仕事は、全て終わりました。

 この後は、明日に備えて寝るだけです。


「わたしもそろそろ、お休みを……」


 明かりを消して、わたしはご主人様から割り当てられた使用人部屋に戻ろうとしました。



 そのとき、部屋の明かりが突如として消えてしまいました。

 わたしがスイッチに触れようとした、まさにその直前にです。



「!!?」


 突然、何の前触れもなく目の前が真っ暗になってしまいました。

 わたしは一気にパニックに陥ってしまいます。


 今日までに色々なことを経験してきましたが、こんな経験は初めてのことでした。

 わたしは手探りで壁を探し、なんとか壁に手をつきます。


 そして暗闇からくる恐怖に耐えながら、灯りがある部屋を目指しました。

 今のわたしにとって、できることはそれだけでした。


「ご主人様……ご主人様……」


 きっともう、ご主人様も眠っていらっしゃるかと思います。

 うわごとのように呟きながら廊下を進んでいきますと、光が漏れている部屋がありました。


 まさに今のわたしには、希望の光そのものでした。


 駆け足になって、わたしは光が漏れている部屋へと駆け込みます。


「マリア!?」


 部屋へ駆け込んだ瞬間、わたしを呼ぶ馴染みのある声。

 そこには、すでにお休みに入られたはずの、ご主人様が居りました。




 夕食を終えた後、オレは先に部屋へと入った。


 オレの部屋は、書斎を兼ねている。

 そこでオレは、代書人以外の仕事。原稿執筆の仕事や個人的な趣味などを行っている。

 今夜は嵐の中で原稿を書くことに決めていた。そして今、オレは嵐が吹き荒れる音を聞きながら、次の雑誌に掲載する予定の原稿の執筆を行っている。どういうわけか、こうした日には原稿の執筆がはかどることが多い。


「よしっ、完成だ!」


 予定よりも早く、原稿が書きあがった。

 後は今度の打ち合わせの時に、担当者に手渡せばいいだけだ。


 ふと外を見ると、先ほどよりも風と雨が強くなっているように感じられた。

 このままだと、電線がやられて停電になる可能性もある。


 何か事が起きる前に、準備だけしておくか。


 オレは本棚の上から、ランタンを降ろした。

 そしていつでも点灯できるように、着火器具も用意しておく。これでいつ、停電になっても大丈夫だ。


「まぁ、使わないのが一番だから、そろそろ寝るとす――」


 そんなことを考えていると、突然部屋の明かりが消えた。

 いきなり辺りが暗闇に包まれ、視界が奪われる。

 ブレーカーに異常は見当たらなかったはずだ。


 どうやら、もう出番がやってきたか。


 オレは手探りで着火器具を探すと、暗闇の中で慎重に着火器具を操作する。

 無事に火がつくと、その火をランタンへと移した。

 ランタンに灯りが宿ると、部屋の中が明るくなった。

 電灯ほどではないが、十分な明るさを確保できた。


 壁のスイッチを操作したが、電気は点かなかった。


「やれやれ、送電線がやられたみたいだな」


 こうなってしまっては、明日にならないと電気は使えない。

 今夜はもう、寝たほうがよさそうだ。


 ランタンを机の上に置いたその瞬間、背後に人の気配を感じた。


 オレの鼓動は早くなり、緊張と興奮で身体中をアドレナリンが駆け巡る。

 背後には、いったい誰がいるのだろう。

 好奇心と恐怖心が入り混じった気持ちで、オレは振り返った。


 強盗か?

 それとも、幽霊か?


 しかしそこにいたのは、強盗でも幽霊でもなかった。


「マリア!?」


 メイド服を身にまとった、獣人族狐族の少女。

 オレが唯一雇っているメイドの、マリアだった。




 突如として現れたマリア。

 強盗や幽霊でなくてよかったと、ひとまずオレは安心する。


「ご、ご主人様ぁ……!」


 すると、マリアが涙目になって、オレに抱き着いてきた。

 突然抱き着かれたオレは、なすすべもなくマリアの身体を受け止める。


「まっ、マリアっ!?」

「ご主人様ぁ……電気が……電気がぁ……!」


 どうやら、マリアは停電ですっかり怯えているみたいだ。


 停電ぐらいで怯えたりして、情けないったらありゃしない。

 ……なんてことは、オレは微塵ほども思わなかった。


「マリア、心配することはない。ただの停電だ」


 オレが穏やかな声で云うと、マリアは顔を上げた。

 少し涙を流したらしく、ほんのりと目が赤くなっている。


「停電……?」

「電気が止まっちゃうことだよ。きっとこの嵐で、送電線が切れちゃったんだ。心配することはない」

「はい……」


 落ち着きを取り戻したマリアは、そっとオレから離れた。

 オレは乱れた着衣を、そっと払って元に戻す。


「電気が復旧するのは、明日以降になって嵐が去ってからだ。今夜は、ランタンやローソクの明かりでなんとかするしかないな」

「はい。お騒がせして申し訳ありませんでした」

「いや、いいよ。いきなり暗闇になったら、少なからず不安になるもんだ……そうだ!」


 そのとき、オレはあることを思い出した。


「マリア、部屋にローソクを持っていこう」

「ご主人様、わたしはもう大丈夫です。そんなに、わたしに気を遣っていただかなくても……」

「いや、まだいつ電気が復旧するのか分からない。ローソクくらい、あったほうがいいだろう」


 オレは小物を入れてある棚から、ローソクと燭台を取り出した。

 非常用として常備しておいたものだ。

 電気が使えない今だからこそ、求められるものだろう。


 ランタンの火をローソクに移し、燭台にローソクを立てた。

 そしてマッチと共に、それをマリアに手渡す。


 念のため、オレはランタンを手に、ローソクを持ったマリアと使用人部屋まで同行した。


「オレもそろそろ寝るよ。何かあったら、いつでも書斎に来ると良い」

「はい。ご主人様、ありがとうございました!」

「それじゃ、おやすみ」

「はい、おやすみなさいませ!」


 オレはそっと使用人部屋のドアを閉めると、書斎に戻っていった。




 ご主人様がドアを閉めた後、わたしはベッドの横にある机に燭台を置きました。

 そしてそこでメイド服を脱ぎ、寝間着に着替えます。

 メイド服はシワにならないように注意して、衣装掛けに掛けます。


 後はベッドに入って、寝るだけです。


 ローソクを吹き消そうとして、わたしはふと火を見つめました。


「……」


 ご主人様は、ランタンからローソクに火を移していました。

 これは、ご主人様が分けてくれた火です。


 そっと、わたしはローソクの火に手をかざしました。

 ローソクの火は小さいですが、確かに熱を持っていて熱さを感じます。


「……暖かい」


 心地よい暖かさに、少しだけ火を消すのが、もったいなく思えてしまいました。

 ですが、もう寝ないと明日の朝に差し支えます。


 わたしはローソクを吹き消し、ベッドに入りました。

 その日は、ぐっすりと眠ることができました。




 そして翌日の朝。


 わたしが目を覚ますと、嵐は過ぎ去っていました。

 まだ風と雨は続いていましたが、昨夜のような荒々しさはなく、穏やかな風と小雨が気持ちの良い目覚めを連れてきてくれました。


 それからその日のうちに、電気も復旧しました。

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