第1話 メイドとのコミュニケーション

 メイド禁止法が施行されてから1ヶ月。

 メイドは、富裕層のステータスシンボルとなった。

 メイド禁止法が施行されてから、メイドは新たに雇い入れることが禁止された。特に熟練したベテランのメイドや若いメイドは、禁止法施行以前に雇入れていた者だけが継続して雇うことができ、メイドを雇っているだけで、特別視されるようになっていった。

 そしてメイド禁止法施行以前から雇っていた場合でも、虐待などが発覚した場合は取り締まりの対象となり、現実に逮捕される雇用主も出た。




「ご主人様。お茶を淹れました」


 マリアが、紅茶の入ったティーカップを持って来て、机の上に置いた。


「ありがとう」


 オレはお礼を云って、紅茶を飲む。

 マリアがここへ来て『メイドとして雇って欲しい』といったあの日。オレはすぐに家事使用人雇用契約書を書いて、役所へ持って行った。メイド禁止法が施行される日。意外にも役所の窓口は閑散としていた。役人には驚かれたが、タイムリミットとなる正午前にマリアをメイドとして雇入れることができた。これで、メイド禁止法の適用を受けなくて済む。


 もしかしたら、マリアは最後のメイドになったのかもしれない。

 そんなことを考えながら、オレは紅茶を一口飲んだ。


「おかわりも、ご用意してあります」


 あのとき、ボロ布のような衣服を身につけていたマリアは、今では黒いメイド服に身を包み、ロングスカートを揺らしている。メイドをこれまでに雇ったことが無いため、マリアのメイドとしてのレベルがどれほどのものか分からないが、少し不器用でおっちょこちょいなところがあるものの、特に不満に思う所は無い。掃除も洗濯もしてくれるし、料理も作ってくれる。


 追い出したりしなくて、良かった。

 家事はやってくれるから、これまでよりも仕事に専念することができる。

 いつの間にか、紅茶が無くなった。


「マリア、おかわりを頼む」

「はい、ご主人様」


 ティーカップを置くと、マリアは嬉しそうにティーポットを手にした。

 再び、ティーカップが熱い紅茶で満たされる。


「……ふぅ」


 紅茶を飲むたび、オレはそっと息を吐き出す。


「ご主人様、お味はいかがですか?」


 自分でチャノキから摘み取り、発酵させて作り出したわけではない。買ってきた安い紅茶なのに、マリアは決まって味の良しあしを聞いてきた。


「美味しいよ」


 オレは、それだけ答える。正直、それ以外にかける言葉が無かった。


「ありがとうございます! 嬉しいです!」


 マリアは尻尾を左右に振り、満面の笑みを見せる。


「……そういえば、マリアは獣人だが、何の獣人なんだ?」


 オレは耳と尻尾を見て、何気なく訊いた。

 最初に見たときから、気になっていた。獣人自体は、珍しい存在ではない。ごく普通に市井で生活している。


「私の耳と尻尾は、狐のものだと聞いたことがあります」


 マリアはそう答え、応接用のソファーにそっと腰掛けた。


「救貧院に居たとき、身体検査をしていた医者が、そう云っていたことを覚えています。金色の髪の毛と、耳と尻尾の形からそう判断したそうです」

「狐か……」


 つまり、獣人族狐族――。

 尻尾を振ることが多いのは、そのためか。なるほど。


「でも、ご主人様はそれが気になるんですか?」

「いや、何でもないよ。さ、仕事しないとな」


 オレは半ば強引に、自分の仕事へと取り掛かった。

 今日中に仕上げて送らないといけない書類が、いくつか残っていた。




 間に昼食を挟んで、再び仕事に取り掛かる。

 そして万年筆を置く頃には、夕方が近くなっていた。

 今日は来客も無い。仕事も、今取り掛かっているものを手紙に入れて送れば、終わったも同然だ。

 それならば、早く終わらせるに越したことはない。

 オレは作成した書類を封筒に入れ、封蝋で閉じ、それを事務所から歩いてすぐの、最寄りのポストへと投函する。


「さて、帰るか……」

「ご主人様」


 いきなり背後から声を掛けられ、オレは驚いて振り返る。

 事務所に残してきたはずの、マリアがそこにはいた。


「マリア!? どうしてここに!?」

「すみません、悪いとは思ったのですが……」


 マリアはそう云いながら、スカートを握りしめる。


「何も云わずにお出かけになられたので、つい気になってついてきてしまいました!」


 マリアの言葉に、オレは『しまった』と思った。

 マリアを雇う前まで、オレは1人で全ての仕事をこなしていた。

 だからつい、いつものクセで誰にも何も云わず、外出してしまった。

 以前ならそれでも良かった。声をかける相手が、そもそもいなかった。


 しかし、今は違う。

 マリアという、メイドがいるんだ。

 せめてもの礼儀として、挨拶はしないといけなかった。


「……すまなかった」


 オレは、マリアに頭を下げる。


「自分のせいで、余計な心配をかけてしまった……」


 1人でいた時間が長かったとはいえ、これは完全な失態だ。

 メイドとはいえ、1人の意思を持った者だ。

 何の言葉も掛けずに動いて心配させるなんて……。


「ご主人様! そんなことおっしゃらないでください!!」


 マリアが慌ててオレに声を掛ける。


「私が、もう少し言葉をかけていれば、良かったんです。気の回らなかった私の責任です! どうか、そんなにご自分を責めないでください!」

「……ありがとう、マリア」


 オレが云うと、マリアは顔を真っ赤にした。

 今度からは、ちゃんと出かける時は一言云おう。

 オレはそう決めた。




 夜になり、夕食を終えたオレは自室兼書斎へと入った。

 そしてそこに置かれた机に向かい、オレは再びペンを手にする。

 出版社の担当に回さないといけない原稿が、まだ残っている。


 オレは代書人をしているが、それだけを仕事にしているわけではない。

 こうして小説を書いたり、新聞や雑誌に掲載するコラムなんかも書いている。

 今の時代、複数の仕事を持つことは必須といっても過言ではない。


 明日には担当者が出版社からやってくる。

 それまでに、なんとしても仕上げないといけない。


 オレは万年筆を手に、再び紙にペン先を走らせ始めた。

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