最後のメイドと万年筆

ルト

プロローグ



「号外だ! 号外だ――!」



 新聞売りの少年が、叫びながら大通りの中を駆け抜ける。脇には、大量の新聞を抱えていて、声を訊いた人々は振り向いた。



「噂されていた、家事使用人取締法――通称、メイド禁止法がついに議会による賛成多数で可決した!」



 少年は新聞を一部、頭上に掲げて内容を叫ぶ。



「これより本日正午より、メイドの新たなる雇入れが全面的に禁止された!!」



 その言葉に、人々は唖然とする。


 以前から噂されていた、家事使用人(主にメイド)の雇用を規制する法律が、ついに施行されてしまった。


 議会で審議されているが、雇用主側からの反対論や慎重論が圧倒的多数を占めていることから、まず成立しないだろうと思われていた法律。


 家事使用人の需要が高いことから、実現しないと思われていた法律。


 家事使用人から仕事を奪うことにつながるから、廃案になると思われていた法律。



 まさか、議会がそれを承認するなんて――!!



「おい、一部くれ!」



 1人の男性が、新聞売りの少年に銀貨を差し出す。



「まいど!」



 少年は銀貨を受け取ると、男性に新聞を一部差し出す。


 それを機に、人々はイナゴのように少年に群がった。



「俺にも一部!」


「あたしにも!」


「ワシにも頼む!」


「はいはい、順番にね!」



 少年は次々に新聞を銀貨と交換していき、人々は新聞の内容に目が釘付けになる。



『議会が動いた!』


『メイド禁止法、施行へ』


『どうなる!?これからの生活』


『社会病理 浮き彫りに』



 センセーショナルな見出しに誘われた人々は、一斉に新聞を読み出した。




 メイド禁止法で世間が騒ぐ中、1人の少女が裏通りを歩いていた。お世辞にも綺麗な身なりとはいえない、身体中がススやホコリで汚れていて、ボロ布のような衣服を身にまとっている。しかしそれを除けば顔立ちは整っていて、美少女である。しっかりしたくびれを持つ体型。そして頭にある獣の耳と、腰にある獣の尻尾。獣人の少女である。



 少女は空腹だった。腹の虫は我慢の限界をとうに越していたが、騒ぐ元気も失くしたらしく、もう空腹を訴えては来なかった。5日も食べていないと、無理もないことかもしれない。



 そのとき、少女の目に1つの看板が目に入った。



『シリウス代書人事務所』



 あそこにいけば、誰かいるかもしれない。


 フラフラと、つたない足取りで少女は、看板の下にある入り口へと向かって行く。


 チリチリン。


 ドアにつけられていたベルが、来客を告げた。



「いらっしゃいませ、すぐ参ります」



 奥から男性の声が聞こえ、少女は誰かがいると悟った。


 すぐに、少女とあまり歳が離れていない若い男が1人、出てきた。少女とは対照的に、小奇麗な衣服に身を包んでいて、靴もしっかりと磨かれて光っていた。



「ようこそシリウス代書人事務所へ――へあっ!?」



 男は驚いて、少女を見る。


 この事務所に訪ねてくるのは、ほとんどが成人だ。


 少女が訪ねてくるなんて、まずない。



「あ……あの、何かご用でしょうか?」



 男が訊くと、少女はその場にひざをつき、両手を祈るときのように組み、口を開いた。



「お願いします! 私を、メイドとして雇ってください!!」



 少女は男に向かって、言葉を放った。




「え、どういうこと!?」



 事態がうまく呑み込めず、男は狼狽する。



「というか、君は誰!? 名前は? どこから来たの?」


「私はマリアといいます。施設と救貧院で育った、身寄りの無いものです。お願いします、どうか私をメイドとして雇ってください!!」



 マリアと名乗った少女は、再び同じことを云った。



「マリアね。オレはシリウスだ。いきなり現れてメイドとして雇えと云われてもな……」



 シリウスと名乗った男は、机の上に置かれていた新聞に目をやった。先ほど、新聞売りの少年が配っていたものと、同じ新聞だった。


 シリウスは新聞を手にすると、マリアに差し出す。



「本日の正午、新たに人をメイドとして雇入れることは全面的に禁止される。君は知らなかったかもしれないけど――」


「知っています。先ほど、人々がそのことを話していました」



 マリアは遮って云った。



「でも、もう私には他に行くアテが無いんです! お願いします! 私をメイドとして雇ってください!」


「しかしなぁ、救貧院に戻った方が……」


「私は救貧院の出ですが、読み書き計算はできます。掃除や料理もなんでもします! もう救貧院に戻るのだけは嫌なんです! 監獄に行くか、それができなければ死んだ方がマシです! だから、私はメイドとして生きていく以外に、選択肢が残されていないんです!」



 マリアは涙をこぼしながら、必死に言葉を紡いでいく。


 そんなマリアを見ていたシリウスは、いたたまれなくなった。



「……救貧院とは、そんなにひどいところなのか?」



 シリウスは、マリアに訊いた。


 救貧院の評判が良いものではないことは、シリウスもよく知っていた。人一人が横になるのがやっとの大きさの固いベッド。私物を置く場所もなく、部屋は大部屋で常にすし詰め状態。食事は残飯にも等しいもので、量は少ない。そこに追い打ちとばかりに、過酷な強制労働が課せられる。一部では虐待や拷問に当たるようなことが行われると聞いたこともあり、救貧院に入りたくないがために、犯罪を犯して監獄に入る者もいるという。



「……ひどいところです。しかし私が逃げ出したのは、ただひどいだけではありません」



 マリアの瞳から落ちる涙の量が、増えた。



「あと少しで……私は奴隷として売り飛ばされるところでした」


「――!!」



 シリウスは、目を見張った。


 知り合いの探偵兼情報屋から、聞いたことがあった。救貧院では時折、裏で人身売買が行われており、知っているだけでも数十人が闇に消えたらしい。



 もちろん、実際に現場をその目で見たわけではない。


 そんなことを云われても、作り話程度にしか考えてはいなかった。



 ――目の前で懇願する、少女を見るまでは。



「お願いします! どうか私を、メイドとして雇ってください!!」



 ボロボロと流れ落ちる涙を拭うこともせず、マリアはその場で頭を下げ続ける。


 シリウスはしばらく一言も発することなく、黙り込んでいた。



「……っおし!」



 シリウスは、机に向かった。


 机の上に置かれていた万年筆を手に取り、1枚の紙を取り出すと素早く記入を始めた。


 代書人として、記入するスピードは折り紙つきである。


 あっという間に、書類に必要なことを記入すると、頭を下げていたマリアの肩を優しく叩く。


 マリアが、泣きはらした顔を上げた。



「この書類に、サインをするんだ。正午までに役所に持って行かないと、間に合わなくなるぞ!」



 マリアは万年筆と共に受け取った書類に、目を通した。



『家事使用人雇用契約書』



 その文字を見て、マリアは目を丸くして何度もシリウスと書類を見た。



「さ、急いでサインしてくれ。住み込みで雇用期間の定めは無し。仕事内容は一般的なメイドの仕事を書いておいた。サインしてくれたら、一緒に役所に持って行くぞ!」


「は……はい!」



 涙を拭い、返事をしたマリアは、持ったことも無い万年筆で、署名欄にサインをした。

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