【IF】後日談2 ラスト


 数日もすると学校は騒然とし始める。なんせ、生徒である少女が一人、行方不明になったのだ。いじめの事実と遺書が確認されており、警察は自殺したものと想定して川を重点的に調べているとのこと。教師の責任が問われ、加害者たちは異様に大人しくなり、虐待の疑いもあったために家庭にも捜査の手が及んだ。家庭のほうは俺が詳しく知るすべはないが、まあとにかく全ては少女の思惑通りに、順調に事は運んでいる。俺はそれが嬉しくも寂しくもあった。


 放課後、こっそりと少女の教室を覗きに行くと、その机上には彼女がそこにいたころと変わりない花瓶が据えられ、しかしその周囲に塵が置かれていることはなかった。当然だ。俺が片付けている。死体があがっていないのだから本当は花瓶を置くのもどうかと思うが、置くのならばせめて綺麗で。

 息をつき、さあ帰ろうと鞄を背負い直して俺は帰路を辿る。移動時間は気が楽だ。相変わらず人と話すのが特段好きではない俺にとって、誰とも話さずに済む通学路の独り歩きが唯一肩の力を抜ける時間なのである。最近は、また別なのだが。

 自宅の玄関前に立つ。この時間、この家に明かりが点っていることはかなり珍しかった。窓から薄く漏れ出でる光に向け、ただいま、と呟く。のちにノブに手をかけようと指先を伸ばすや否や、俺が開けるまでもなく扉は音を立てて開いた。

「おかえりー、成羅くん」

「……出てくんなよお前」

 へらへらとした笑みを口許に貼り付けた少女の姿に、呆れたように吐き捨てる。

「平気だよ。もうばれてもあまり困らないからね」

「じゃあ出てけ。出頭しろ。変に疑われたら怖いし」

「やだなあ。養ってよ。もう恩忘れちゃった?」

「金がない」

「屋根と壁と布団さえあれば大丈夫だよ」

「どう大丈夫なんだ……」

 軽口を叩きながら、扉を閉めた。

 これからどうするのかは、本当に早急に考えなくてはならないのだが、少女はいつまで経ってもひたすら楽しげに振る舞うだけで何一つの進展を見せない。生きる気はあるのだと言うが、親元に帰るつもりも学校に顔を出すつもりもどうやらさらさらないようで、こちらは肝を冷やす。彼女は冷めた顔で、大丈夫、近いうちにちゃんと警察へ行くよ、と約束してくれた。

 この件で、彼女を取り巻くものは大きく変化するだろう。自殺を模した家出などと言う大事をやらかして虐めも虐待も暴いてみせた彼女の手腕は、無鉄砲だが確かに大したものだった。ほとぼりが冷めたら、彼女はどこか遠くへ行くのだろうか。みずからを苦しめたものの魔の手が届かない遠い場所へ。そうしたら、俺はまた一人になる。それもまたいいのだろう。お互いに、気が楽だから。

「私はけっこう君にも感謝しているんだよ」と、おもむろに少女が口を開く。「これで君も満足した?」

 さあどうだろう。俺は迷わずそんな答えを返した。もしもこの少女が、俺の最期の心残りのためだけにもう一度生きることを選んでくれたのだとすれば、俺がここで頷いたとたんに彼女の生きる意味は果たされてしまうと思ったのだ。そうなればおそらく彼女は躊躇しない。それに、何より、感情を得たものは貪欲にもなり得るのだ。彼女が生きてくれると言うのなら、やっぱりもう少し話がしたい。そしてこの欲が消える日は当分、来そうにない。だからあながち間違った答えではなかったろうが、彼女は不服を含んだ苦い苦い笑顔でそっかぁ、残念だな、と紡いだ。

「……それと園花」

「ん? どうかした?」

 もしも全て終わって、彼女と離れて、その果てで再び会うことがあったら。きっとまた川面を眺めに行こう。

 約束はしない。守れなくても構わないから。

「電気。明るいうちはつけるなよ」

「うーん。どんだけ貧乏なのさ君んちは」

「いいから」

「はーい」

 少女が軽い足音を残し駆けてゆく。照明が落とされ、窓からは横殴りの夕陽が差し込み、目を焼いた。ちらりと瞬く、記憶の底の最期の景色を追想する。古く霞んだ夢のような話だ。今となっては気にはすまい。

 今は、このままで。

 自分だけの命を抱えて歩くのだ。




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死んだ日常を生きる世界 朝の光 @yakijakejake

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