第289話:双変

 楓人もカンナも自分達の力が影響を及ぼす範囲は心得ているし、漆黒の風の制御も十分に会得はしている。

 二人ほど己の力に対する理解が深い変異者は片手の指で足りる程度。

 無論、一般人達を巻き込むような愚かな失敗はするはずがない。


 しかし、逃げながらも人々は認識してしまっただろう。


 化け物が自分達を殺戮しようとしたこと、そして立ち塞がった何者かが化け物相手に有り得ない手段で戦いを仕掛けたこと。

 脳の一部が変異した変異者だからこそ、本来は有り得ない物理現象を共通の認識とし、最後には現実に影響を及ぼすことが可能だ。

 だが、一般人も自分達が何者かに救われたと強烈に認識してしまった。


「なん、だ……あれ?」


 ざわめきが広がっていくのは、ぼんやりとしているだろうが楓人の姿が人々に認識されてしまった結果であることは明白だ。

 こういう状況もあるだろうとは予測してはいたが、ついに明確に一般人にもこの世界に超常が存在する事実を認識させてしまった。

 だが、それさえも人命の前では些事と言えよう。


 巻き起こる土埃の中で、敵が蠢く気配を楓人は感じ取っていた。


「手ごたえ、なかったよな……?」


“うん、避けられたみたいだけど何か変な感じだよねえ”


 油断なく反撃に対して構えながら、すぐに二人はそもそもの心構えからして間違っていたことを思い知らされる。

 次に見えたのはいつの間にか、一般人達の傍に移動して命を摘み取らんと腕を伸ばす白い怪物の姿だった。


 わずかにこちらを一瞥した目は……笑っているようだ。


 アレは楓人の出現すらも楽しんでいる、ただの怪物ではなく理性を持ちながらも一般人を殺戮する行為で遊んでいるのだ。

 力を手にした快楽に溺れれば、殺人を楽しむ人間が出てくるだろうとは以前から分かり切っていた。

 しかし、あの化け物は身に迫った敵も遊びの道具としか思っていない。


「ふ、ざ……けんなッ!!!!」


 人が死ぬ光景の何がそんなに楽しいのか。

 あの地獄のどこに快楽を見出す要素があるというのか。


「来い……ッ!!」


 捩じ伏せてやる、敵にどんな力があろうとも。


 柳太郎との鍛錬で最も重視したのは、付け焼刃とはいえ力の行使の高速化。

 例えば、今までは武装の姿を決定するのには、楓人が風の集結を行う間にカンナが楓人のイメージ通りの形を構築する分担作業をしていた。

 加えて、作り出した型に力を浸透させるのは不得意な楓人よりもカンナが行い、その間に楓人は目の前の敵を分析する流れだ。


 だが、その流れを根本から見直したのだ。


 得意不得意で分担した役割を不得意だろうが二人で取り組み、武装の構築速度を向上させた上で次の行動に入れるようにした。

 渡が形態変化に対応してきたのも、あれだけの反応速度を持つ相手だとわずかな切り替えの隙を突いてくるが故だ。


「いくぜ……アスタロト」


 二人の想いが、イメージが完全に重なれば展開速度は倍に及ぶ。


 黒の鎖が前触れもなく構築され、鎧武者を思わせる形状の敵へと身を軋ませながら襲いかかっていく。


 形状の切り替えを相手に悟らせない、それが出来れば様々な武装を操れる戦い方の陰に潜んでいた小さなリスクは完全に消える。

 今までに無数のパターンを試し続けてきた二人だ、何度かリハーサルを行っておけばその程度の修正は造作もない。



 だが、蛇のように身をくねらせた鎖は不自然に空を切る。



 まるでホログラムのように、一瞬だけ敵の姿がぶれて鎖が外れた。

 ただの回避ともすり抜けたのとも違って、仮に当てはまる言葉を探すとするならば“楓人が敵の位置を錯覚していた”とでも言えるか。

 だが、身をかわしたことで生まれたわずかな隙に、楓人は自身の体を敵の間に滑り込ませて、伸ばされた腕を変化させた槍の柄で叩き落した。


 人々が逃げる時間を稼ぐとは言っても、この場所は路線だ。


 疲れ果てた人の足で逃げた所で、こうまで照準を定められると楓人とて巻き込まないように力を振るって守り切るのは至難の業だった。

 そもそも、思わぬ超常の存在達を前に立ち上がって逃げるだけの力も無くしている人間も多い。


 せめて―――彼らを叱咤して逃げるだけの人間がいれば。




「……えっ、楓……人?」




 運よくと言うべきか運悪くと嘆くべきか、一人だけいた。


 端正な顔に疲れを浮かべながら、椿希と隣にいた情報をくれていた鈴木陽奈は呆然と目の前に現れた都市伝説を見つめている。

 椿希が逃げ遅れたのは誰かを救おうと奔走していたのか、単に遠くにいて逃げ損ねたのかはわからない。動揺しかかったが今は戦いだと言い聞かせて、何とか平静を保ったままで敵の動向を見据えた。

 更に背負うものが増えたことだし、意地でも一人も殺させずに守り切る。


“楓人、前ッ!!”


 カンナの声に反応して槍を上げると極小の何かが数本、目の前に飛来する。

 無論、アスタロトの防御力を頼りに左腕を上げて全てを叩き落とす。

 地面に落ちたのを一瞥すると、狼の牙を思わせる棘状の禍々しい投擲武器が地面に転がっていた。


 未だに相手の戦い方が見えないのが厄介だが、飛び道具の使い手だとすれば接近して最大威力を叩き付ければ勝機は見える。


「極力、命は奪いたくなかったけどな」


 この相手はある意味でマッド・ハッカーの烏間よりも危険な存在だ。

 どの組織に属しているのかまでは知る由はなくとも、こいつだけは命を助けようなどと優しいことは言ってはいられない。

 そして、人々を守ることを第一として飛び道具に警戒を定めた時だ。


 真上から楓人の身長程度はあろう刃が降ってきた。


 そう、心構えからして間違っていたのだ。



 多彩な能力を操るのが、黒の騎士だけとは限らない。

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