第282話:問答
怜司は明璃が目を閉じたのを見ると口を開く。
その言葉を向けたのは灯理ではなく、真後ろに立った人物に向けてだった。
「明璃を預けてもいいでしょうか?この場は私にお任せを」
「ええ、さすがにこんな状況で見捨てるほど薄情じゃない。それより、やれるの?ケガ人が増えたら二度手間なんだけど」
やや赤みがかかった髪の少女、レギオン・レイドの竜胆は気怠げに頷くとシャツの袖を破いて手際よく止血を施した。それで止まる程度の傷でもないが、少なくとも時間稼ぎにはなるだろう。
無言で背中を見せて佇むだけで怜司は問いには答えない。しかし、竜胆はその姿から怯えの類は全く感じなかった。
「様子くらいは見に来てあげるから」
竜胆はもう一つ息を吐くと明璃を抱えたまま足早にその場を後にした。
レギオン・レイドと連携して動いていたのが幸いして、怜司は地区ごとに移動しながら探知を行っていた燐花のおかげで明璃の危機を察知したのだ。
付近を巡回している竜胆に協力を依頼し、急いで駆け付けたので何とか命だけは守ることはできたが明璃を傷付けてしまった。
「さて、本来なら貴方を殺すことに躊躇いがないほどに腸が煮えくり返っていますが、あえて平和的にいきましょう。まず、貴方はなぜ戦っているかを聞かせて貰えますか?」
「キライなんだよねえ、勝手に人を殺しておいて自分が正しいですーみたいな顔してる人。そういう“悪い人”を私は殺すんだよ」
「なるほど、それは貴方も同じでしょう。それにその先に貴方は何を求めるのですか?利害が一致するなら我々が争う必要はないかもしれません」
怜司は穏やかに話をしながらも、冷静に相手の分析を続けている。
無論、彼からすれば相手を見逃す理由は微塵もなくとも、情報を吐き出させる貴重な機会を失うわけにはいかない。
少なくとも罪なき人間を殺してはいない、という主張は持っていそうだ。
話が通じて交渉の余地があるのなら殺すことはあるまい、と怜司は明璃を傷つけられた怒りを一旦は収めて返答を待つ。
「同じだからいいんじゃん。殺せば同じモノに理不尽に殺される、ルールなんてそれだけでいいでしょ。私もキライな人を消せるし皆幸せだよね」
にこっと人懐っこい笑みを見せた死神は自身の在り方を語る。
もちろん倫理的には許されないが、ある意味でそれは正義であることを怜司は理解してしまっていた。
自己防衛本能でしか自主的には止まれない人種が存するのも事実。
目前の人間と一緒に自分の命がぶら下がっていれば、人は仮に理性を失っていても本能を取り戻すことができよう。
手段を問わなければ恐怖による支配は有効で、それは渡や紅月ですら一部は肯定している人を御する手法だ。
彼女は己の中に異常な衝動があることを否定はしない。そして、それによって得をする人間が多いこともはっきりと計算している。
悪く言えば己の行為を正当化しているだけ。それでも、変異者という集団の中では彼女の存在は決して不利益ばかりでもない。
「ある意味では正しい主張ですね。では、貴方は全ての悪人を殺すつもりですか?」
「紅月くんは私に言ったんだ。これから起こる災害は私にとっても好都合のはずだ、ってね。確かにこういう時に人のホンショー?ってのは見えるし。だから、今の変異者達がどうするかをまずは見るつもり。もちろん、マッド・ハッカーとかいう人達を片付けてからだけど」
正直な所、怜司としてはマッド・ハッカーは最初から殺人集団として存在している面倒な存在なので、片付けて貰っても構わない。
実質的に味方と考えられるようになり、動ける幅も大幅に広がっていくだろう。
だが、犯罪者すら庇おうとしただろう明璃を傷つけたのも事実である。
灯理は手駒として考えるにはあまりにも御しづらい人間だ。
しかし、ここで戦って仕留めきれなければいたずらに怒りを買って敵を増やす。
とはいえ殺人を黙認するのもエンプレス・ロアの主義に反する。楓人ならば確実に止めるだろう行為だし、怜司も以前のように“殺すなら殺せ”とも言えない良識を持ち合わせるようになっている。
さて、殺させずに休戦する方法があるかどうか。
彼女の手の内だけでも見て、最悪の場合は戦えるようにしておきたい。
得体のしれない相手にかかっていって怜司が動けなくなれば、エンプレス・ロアは頭脳を失うことになってしまう。
「一つ、貴方に提案があります」
明璃を傷つけた、その怒りは一度拳を握り締めて静かに抑え込む。
白井怜司は真島楓人の、コミュニティーの指揮官だ。ここで勝てるかわからない相手とぶつかり合うのは愚策と言うほかにない。
「私には無駄な争いをする時間も意志もない。一時休戦といきませんか?」
楓人ではできないことをする、それが怜司の仕事だ。
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