第263話:異端の代償




 唯が感じ取った通り、人狼を連れ去った人間がいたのは事実だった。



 しかし、世の中や人間関係とは複雑に出来ているものだ。

 誰かを救ったからと言って、一時の救済が善意であるとは限らない。


「そろそろいいだろ。ま、相手が悪かったな。ありゃスカーッレット・フォースの変異者だし、アレを相手にするのはアンタじゃ無理だ」


 人狼としての装甲も解除され、辛うじて意識を保っているだけの男を抱えて逃げたのは彼も見知った顔の人間だった。

 戦場から離れた、公園とも言い難い砂場しかない広場のベンチに榊木という名の男はいたわるように救った男を腰掛けさせる。


「……な、ぜ助けた?」


「おいおい、望月もちづき。俺は確かに今はマッド・ハッカーとして運営できる形は取ったけど、烏間さんほど厳しくないさ。騙してグサリなんて真似はしねーよ」


「…………どう、だかな」


 望月芳輝もちづき よしきは人狼と呼ばれ続けた変異者の正体だった。


 マッド・ハッカーの一員ではなく、一般人として表の世界で生きる人間。

 このまま平々凡々として毎日を社会人になって特筆する能力もない人間として、生きていくだけで十分なのかと思ったのはいつだったのか。

 望月には向上心も人並にしかなく、社会的地位に伴う責任も面倒だと感じていたので出世にも特に興味はなかった。


 平凡でも構わないが、誰も見たことがないものを見たい知識欲だけはあった。


 火遊びにも似た気持ちでネットサーフィンしていた望月は、偶然にも烏間がいた頃のマッド・ハッカーのサイトに辿り着いていた。

 丁度、その頃の彼はネット上である都市伝説を目にすることとなる。


“人殺しを依頼できるサイトがある”という都市伝説。


 誰を殺したいわけでもないし、何より危うい橋を渡って死ぬ願望もない。

 だが、普段の何の刺激もない日常の中で溺れるよりはと漠然と都市伝説に刺激を求めてしまったのは現代社会故のストレスだったのか。


 マッド・ハッカーと知り合い、薬の被験者となったのは半年後のこと。


 発狂せずに乗り切れた人間がいない、そんな前置きにむしろ惹かれた。


「殺す奴を助けたりなんかしない。普通に考えて、そーだろ?」


 前リーダーの烏間という男はある意味で解り易い性格をしていた。

 望月だって被験者のあげくに殺されるかもしれないと思っても、死ぬなら死ぬだけだと冷めた感想を抱く異常性を自覚した。

 探求心の為であれば犠牲を厭わずに知識を喰らう化け物だった烏間は、試薬した人間の成功例である望月には何もしなかった。


 それどころか、報酬を与えて緻密な管理を行うと約束したのだ。


 普段の烏間は少なくとも普段は口にした約束は守る男であり、役に立つ望月に対しても義理に反することはしなかった。

 だから、そういう意味では望月は榊木よりは烏間の方がまだ信頼がある。


「俺はお前を信用していない。だが、助けられたことには感謝する」


「別に礼なんていらないって。俺は罪もない仲間を殺したりはしない。それに、最後くらいは看取ってやろうと思ったからさ」


「……何?」


 望月は眉を潜めて、野生の獣のように警戒を露わにする。

 まるで榊木が彼をこの場で殺すようにしか聞き取れなかったが、榊木は動く様子もなく隣のベンチに身を落ち着けた。

 ここで戦う意思はなさそうだと判断した望月は無言で先を促す。


「望月、変異薬なんて代物に本当に副作用がないと思ってんのか?烏間さんもそれは知ってただろうが、アンタが死ぬか様子を見ていたはずだ」


「副作用……だと?」


「能力を酷使する為に使うのは脳だ。アンタは今までに幾つ能力を取り込んだ?本当に何も代償がないとでも?ここはゲームの中じゃないんだぜ」


 榊木はため息と共に当たり前の現実を言い聞かせるように語る。

 変異者とて現実では多少なりとも代償は支払うことになるし、それは肉体負担かもしれないし人間関係の喪失かもしれない。

 人間から変異者に踏み入れる場合の代償は知らずにかかる脳への負荷であり、ここまで代償を黙っていた榊木はあるがままに告げる。


「……俺は、死ぬってことか?お前らだけを恨むのもお門違いだがな」


「もっと取り乱すかと思ってたけどな。俺は知っているのは、アンタがもう死ぬってことだけだ。ま、能力三つも吸収して生きてたのが奇跡だよ」


 裏切りを前にしても声を荒らげない望月の質問に、同じく静かに榊木は返す。

 彼もまた知識欲の為であれば何だってする怪物ではあるが、自分は死にたくはない欲求があるが故に知らない仲ではない望月に多少の憐憫もあった。

 榊木が初めて別種の尊敬をさせられた男、烏間の物語の続きは紡ぐには犠牲は必須だっただけの話。


 手段を選ばずとも命を顧みずに変異者の全てを、人間の可能性を解き明かそうとした行為はまさしく英雄的行為と彼は結論付けた。


 少なくとも、彼の見た物を見たいと願う呪いを植え付けられてしまった。

 烏間が見た物を知ることで、榊木の抱え続けた『誰も見たことのないものを見たい』という渇きは満たされるだろう。

 渇きを満たすことで榊木が生きてきた人生に意味が見出せる。


「人狼はここで死ぬ。最期にお礼言っとくよ、望月のおかげで俺は真実に近付いた。全部を話したのは最期くらいアンタと向き合おうと思ったからさ」


「死ぬリスクがあると知らず騙されていたとはいえ、変異薬が必ず死に至ることに気付いていななかった俺も馬鹿だったな」


「火種を使わなければアンタの死はまだ先だったかもな。アレは人造変異者が使えば急速に脳を蝕む。変異薬の怖い所はな、体の悲鳴をギリギリまで無視できるってことなんだよ」


 本来なら風呂の水を抜いたように、生命力が抜けるのに気付かぬはずがない。

 だが、変異薬が恐ろしいドラッグたる所以なのだと包み隠さずに榊木は望月へと語った上で彼に近付く死を見守った。

 力の代償に人間としての体を管理する能力や思考さえ麻痺させるドラッグ、所詮はそれが超人になれる都市伝説の真実だ。

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