第262話:氷撃波濤

 単純な速度では今の人狼の方が上回っていても、唯の最大の長所は単純な身体能力を活かした速度ではなく身軽さだ。


 体の重さを意に介する変異者ではないが、“武装を振るいながら相手から来る衝撃を緩和しつつ斬り返す”となれば動きの質に変異者としての経験と能力が出る。

 それらに加え、自分で振るう人を超えた一撃の反動は自身に返る。


 唯の斬撃は重さよりも鋭さと手数、故に次の動きへの対応も早い。


 飛鳥の如く跳ねて攻撃を躱し、相動作の隙に一撃を見舞う立ち回りは自身の身体能力を把握した上で選ぶ最善の戦法。

 人狼は生粋の変異者ではないせいで、唯のように卓越した変異者相手には有り余る身体能力の使い方でボロが出易い。

 そういった意味も含めて人狼にとって彼女は天敵なのだ。


 ならばと彼女から距離を取ろうとしても、左手に具現化した銃型の具現器アバターが氷の銃弾を浴びせてくる。


 辛うじて躱すも下手に逃げに回れば、最初に装甲を両断しかけた一閃がくる。

 『アレを喰らえば決着など一瞬だ』と人狼側も悟るが故に、速度で翻弄して隙を伺うのが現状では最善の手だった。

 彼女の反撃が間に合わぬ、爪の餌食にするのが唯一の勝ち筋だ。


「うーん。どうしよっかなぁ」


 唯は紅の輝きを引き摺って疾駆する人狼を眺めて方針を決める。


 あろうことか彼女はざくりと剣型の具現器を地面に突き刺すと、銃型の具現器も霧散させて攻撃手段を目に見える形で手放す。

 人狼は反撃を間に合わせられれば機能が低下さするリスクを背負っているので、勝ち目が彼女の油断しかないことを最初から悟っていた。


 そして、今が待ちに待った油断を真っ向から現した瞬間だ。


 セイレーンの居合に近い一撃は剣を手にしてからでは間に合わないし、再展開で手元に引き寄せたとしても時間が足りていない。

 にっと笑う彼女の表情からも挑発だと理解しているが、こうして時間を稼いで何かを待っている可能性だってある。

 例えば、剣を突き刺した地面を介して空間を凍結させる時限装置に近い能力があれば、すぐに攻めていれば良かったと後悔することになるからだ。



 唯は言っているのだ、”来るなら来てみろ”と。



 他者の能力を喰らい続けてきた怪物はここに来て、変異者という存在の真の恐ろしさを知ることになった。

 自分の能力を本能的に知り尽くしており、駆け引きに利用できる強さ。まだ得体の知れない能力を備えているかもしれない恐怖。

 どちらも変異薬エデンの効果で半強制的に変異者となった彼が持たない要素でもあり、これは彼が強敵を前にする上での最大の弱点でもあった。


 この最大の隙に彼が攻めざるを得ないことも、唯は本能的に察している。


 頭脳派とは言い難い彼女が組んだ作戦は、“自分ならこうする”という考え方を逆手に取った経験則に過ぎない。

 強い風が工場中心部の広場を吹き抜け、長い髪を躍らせる。

 相手を侮ってはおらず、唯なりにこの手が最適解だと判断してのことだ。


 人狼側も警戒は十分にしながらも、じりじりと距離を詰めてくる。


 そして、竜胆と明璃の能力を合わせた雷を拡散させた一撃が地を穿つも、唯はわずか一歩飛び退いたのみで容易く躱す。

 身軽さを考えれば距離を詰めなければ決定打にはなり得ず、唯はまるで時間切れだとでも言うように地に刺した剣に露骨に近付く。



 人狼は失われる最後の機会を前にすると行くしかなかった。



 誘導だろうが何だろうが、唯に勝つ確率が最も高いのはここだ。

 何を隠し持っていようとも今の速度なら容易に当たりはしないと、勝負を仕掛けた選択を見て取った唯は視線を僅かに人狼へと向けた。

 彼女も相手が罠に気付きながら突破する一点に賭けることは読んでいる。

 これだけの相性差と実力差があれば、そうするしかないだろうと見た。


 だが、既に唯がこの手を取った時点で詰んでいたのだ。


 なぜなら……。


 回避すら不可能な領域に彼は知らずに踏み込んだのだから。

 振るわれた爪は雷を纏い、それを一瞥する唯は呪文を口にした。



「―――反発解放ディスペル



 唯の地に刺した具現器から放たれる波動は突っ込んできた人狼には万に一つも躱せないし防げない代物だ。

 物理的破壊力はさほどでもないが、人狼は雷を霧散させられた上に装甲さえも一部を剥がされて砂埃と共に数メートル先の地面へと突き飛ばされた。

 唯が放ったのは相手の具現器さえも凍り付かせる、磁場に近いものを圧縮・拡散させる防御を兼ねた攻め手だ。


 これだけの隙を作れればもう勝利は確定したようなものだ。


「…………ッ!!」


 人狼が立ち上がった時には既に跳躍した唯の手にはセイレーン本体の剣が握られており、先端が描くは最大の一撃。



反発せよリアクティブ……!!!!」



 剣を横たえて殺さないようにはしたが、刃がなくとも具現器をこれだけの威力で叩き付けられて立ち上がれるはずもない。

 鉄パイプを派手な音と共に散らし、人狼は土埃を上げて遂に沈む。まともに入った反発による最大威力で立ち上がれる者はほぼいない。


 すぐに駆け寄る唯だが、錆びたパイプの散らばる場所には誰もいなかった。


「隠れる時間もないし変な匂いもないのになぁ……って。なーんか違う匂いが残ってるような?」


 唯には探知に近い独特の勘の鋭さが備わっており、人狼が隠れてもその場にいるかは把握できる才能を持っている。

 埃で隠れたのもわずかな時間に過ぎなかったのに、いなくなったとすれば。


 ここにはもう一名の変異者が潜んでいた、あるいは駆け付けたということだ。

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