第226話:黒と狼

 もしも、ネットでの情報通りに変異薬エデンがここで流通しているとすれば、売人の役目を果たす人間が出てくるはずなのに気配はない。

 燐花が何かを察知すれば声を上げるはず、今の所は何もないと言うことか。

 厨房や色々な場所を恐れる様子もなく、探索を進めるカンナの後ろ姿を眺めながら周囲を警戒していた時だった。


「楓人、大丈夫!?」


 慌てて声を上げる燐花が入口から顔を覗かせる。

 事前に探索の際には怜司の発案で合図を決めてあり、“敵がここにいる”と声を掛ければ刺激して先手を打たれる可能性があった。

 敵の存在を知った上で探索を進めた結果の遭遇は、戦闘になった時のやり易さが格段に変わるのだ。


 要するに、燐花の『大丈夫?』は『この部屋にいる』という合図である。


 見た限りでは誰もいるように見えない、それなら念の為にカンナを呼び戻すか。


「カンナ、そろそろこっちに……」


 言い掛けた時にふと、頭の中を駆け巡った考えがあった。

 この懐中電灯だけが頼りの暗い店舗の中で、隠れようと思えばどこにでも隠れられるかもしれないとロッカーの類は既に調べている。

 暗闇に溶け込む変異者などいるとは思えないし、どこに潜んでいるのかを考えれば自ずと答えは絞られる。


 そう、それなら有り得る場所は当然。


 そして、視線を上に向けかけた瞬間だった。



 ―――空間を煌めく一閃が走ったのは予想の外だ。



「ッ……やっぱり、天井か!!」


 右腕で受けたはいいが、皮膚が斬り裂かれて血液が零れ出す。

 いかにアスタロトなしでも強靭な楓人の肉体も、強力な変異者相手では耐久性に限界があるのは構造的に当然だ。

 続けて放たれる銀閃、それを弾き返したのは隣にいた竜胆の右手に握られた紅色の日本刀に近い形状の刃だった。


 薄っすらと輝く刃のおかげで暗闇でも多少の視界は確保できる。


「ごめん、フォロー遅れた。アンタならすぐ治るでしょ」


「どくどく血が出てるんだけどな。まあ、大した怪我じゃないさ」


「楓人、大丈夫ッ!?」


 カンナが駆け寄ってくるのを制止して、今は闇の中から攻撃を仕掛けてきた敵に懐中電灯の光を当てる。獣めいた動きで襲撃してきた敵の姿を見ると、楓人はさすがに少なからず驚く。

 肩から角のように突き出した刃、半身を覆う毛皮、鋼の仮面にも見える顔の中で口に当たる場所には牙が生え揃う。瞳は紫色の宝玉のように煌々と燃えていた。


 その敵こそ、光のもたらした情報にもあった人狼の姿をしていたのだから。


 藍色の人狼とも言える敵は手の甲から生えた刃を以て竜胆と対峙した。低く唸り声を漏らすと、人狼は棚を蹴飛ばして竜胆へと刃を振るう。

 まるで獣染みた身のこなしは渡の理性を兼ね備えた動きとは全く違う、ただの獣に等しい速度と不規則性を兼ね備えた攻撃だった。


 しかし、竜胆は狭い店内でも落ち着いたもので再び刃を以て、獣の一撃を難なく弾き返すと少しずつ距離を詰める。


「へえ、やるなぁ……」


 思わず右腕の痛みに顔を顰めながらも、楓人が感嘆の声を上げるほど竜胆の動きは鮮やかなものだった。これなら、あの柳太郎が拠点戦の中で苦戦した相手だと言うのも頷ける。

 剣道の類の心得でもあるのだろうか、単純に剣状の武器を呼吸のように扱うことに慣れている印象を受けた。


 これは難敵だと肌で感じたか、獣の判断は早かった。反転するとガラスを割って店の外へと逃亡を開始したのだ。


 楓人と竜胆もそれを追うとガラスが割れた場所から、外へと躍り出る。

 それと同時によろめいて体勢を立て直した人狼の姿がそこにはあり、それに跳び蹴りをかましたらしいカンナがそこにいた。

 逃げられる可能性もあると考えて、カンナを表に回るように合図しておいて正解だったようだ。


「な、何よアイツ……人狼?それに楓人も血が出てるじゃない!!」


 具現化した銃を構えながら困惑を上げる燐花。

 だが、今は大した傷でもない負傷を気にしている場合でもないと、楓人は体勢を立て直して逃げ走る人狼を更に追う。

 この速度での逃亡劇に全く遅れずに着いて来れるのは、身体能力的に楓人とカンナに加えて竜胆だった。


 商店街での異音を察知した人々が起きてくるだろうし、場所を移してくれるのは丁度いいと言える。


 怜司と燐花には事前に敵が逃げた場合の行動を指示してあったので、別行動をさせることにした。

 よって、夜の闇が目立つ公園へと人狼を追い込んだのは三人だった。

 街灯の描く円から外れ、人狼は完全に諦めたように足を止めて紫の瞳をこちらへと向けてきたのだ。


「竜胆、少し任せていいか?」


「別にいいけど。アンタはどうするの?」


「お前が引き付けてる間にアイツを逃がさないように動く」


 小声で話を終えると楓人は戦線を竜胆に任せて身を引く。

 相手に先手を取られ続ける状況に業を煮やしたか、まだ様子を見ている人狼を相手に仕掛けたのは竜胆の方だった。

 居合にも近い動きで紅の刃を叩き付け、人狼は鋭い剣閃から逃れて身軽に飛び退くと竜胆の剣は空振りしてわずかに地面を叩く。


「無駄、ダリアからは簡単には逃がさない」


 刹那、その剣先から紅の華を思わせる飛沫が宙を舞った。


 回避行動を取った人狼の毛皮をわずかに抉り取り、更に竜胆は踏み込んで洗練された動きで刃を振るい続ける。

 これが彼女の持つ具現器アバター・ダリアの真価を活かした戦術。

 刃を振るう先に咲く二重の刃を警戒すれば隙が出来てしまい、彼女が踏み込む隙を作ってしまう。

 わずかでも判断が遅れれば容赦なく斬り捨てられる、相性によっては詰みの状況を容易く作られる強力無比な能力だ。


 彼女が隙を作ってくれた隙を活かし、楓人はカンナと共に塀の影へと身を隠すと慣れた言葉を以て戦う準備を整えた。


「―――来い、アスタロト」


 今宵の戦場も夜の闇。黒の騎士と人狼、都市伝説の役者は十分に揃っている。

 果たして今夜の闘争がもらたすのは、如何なる真実か。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る