第135話:決着へ-Ⅱ
風と毒がぶつかり合い、余波は仕切り壁をも砕いて地面を削る。
アスタロトの風は強力無比であり、その力こそが最強の変異者の一角として名を連ねるまでにのし上がった要因だ。
アスタロト、カンナと楓人は心からの信頼を互いに抱いて力を引き出している。
烏間はきっと何も心からは信じてはいない。
自分の本能さえも信じないが故に進化を求め、人間を信じないが故にその先に可能性を求めた。
信じる楓人と疑い続けた烏間では、最初から見ている世界が違っている。
楓人は今回も疑わない、あの日から鍛え上げてきた相棒の力と自分の力を。
熱を全て込めて、勝利への意志を力に変えて吠える。
「っ、ぁああああッ!!!!」
抵抗する毒の嵐を食い破り、渾身の力で地面を蹴り砕いて駆け抜ける。
集中力が極限まで研ぎ澄まされていく中で、楓人は最初から抱いていた疑問を改めて反芻していた。
正面から戦っても最終的には勝てない、烏間にはそれがわかっていたはずだ。
ならば、なぜ自らの力をぶつけ合わせる方法を選択したのか。
その答えは、前面に楓人の攻撃を集中させるためだ。
怜司も言っていた、烏間が真っ向勝負を仕掛けてきた時ほど周りを見ろと。
今の楓人は戦いの中で取るべき行動に迷うことはなかった。
薄暗い室内では視認しづらいが、ここに呼び寄せた理由を考えれば予測はできる。
―――狙われるなら、ここしかない。
「
全身を膨張した風が包み、周囲の壁にヒビを入れながら室内に置かれた家具を木片へと変えて吹き飛ばしていく。
同時に薄暗い天井から零れ落ちる毒の雨さえも風が拒絶した。
烏間がこの部屋のソファーに腰掛けて待った理由は地の理を生かす為だ。
毒を仕込んだ天井に視線を向けさせないこと、それが烏間の仕込んだ勝利の為の切り札だった。
烏間が戦いの中で誘導したのは最終的に漆黒の風を楓人の周りから引き剥がして毒の雨を浴びさせること。
最初に漆黒の風を毒対策に回させる狙いだと勘違いさせ、風を攻撃に回せれば勝てると焦らせるのも烏間の術中だったのだ。
黒の風を攻撃に当てれば隙が生まれて、罠が起動できてしまうのにそれを途中まで楓人は勝ち筋と錯覚していた。
その作戦が破綻しないように、天井に停滞させた毒の塊を破壊されることがないように烏間は平面の勝負へ誘導し続けたわけだ。
しかし、可能性を語る男の最後の策がこの程度の小細工か。
自分を信じられず、そんなものに結末を委ねた時点で敗北は決まっていたのだ。
「…………躱したかッ!!」
烏間は表情を歪めると自ら襲い来る。
その時にはもう遅く、策に溺れた男との戦いはここで終わる。
発動までには三秒フラット、時間は十分すぎる程に稼げた。
これを放てば加減をしたとしても烏間はただでは済まない可能性はあるが、万一のことがあろうと覚悟したはずだ。
エゴだろうと人が理不尽に殺されない世界にする、と。
迷いを振り切って全ての力を結集する。
相棒の意志を込めた声が心の内へ、静かに波紋のように広がった。
表の声と裏の声が重なって一つの意志となる。
「———
刹那、漆黒の軌道が中空に描かれたのは数にして三つ。
剣型のアスタロトの完全開放がもたらすのは、速度を極限まで引き上げた防御不可能の神速の連撃だ。
反応を許さない速度を以って放たれた力は、烏間の左右の装甲の防御力さえも易々と凌駕して打ち砕く。
その内一つは防げずに胸から肩にかけてを裂いて鮮血の華を散らした。
大きな消耗を伴うリスクを持つせいで、ここまで温存し続けた切り札。
「……く、そッ!!」
だが、体を鮮血で朱に染めながらも烏間は辛うじて立ち上がろうとする。
加減をしたとはいえ
もう精神だけでは体が動かない、損傷はその領域へと足を踏み入れていた。
「……もういい。具現器を消せ。力を争いに使わない、それだけでいいんだよ」
烏間は世界に血を流す人間で、そんな自分に疑問を抱くことはないだろう。
それでも動きを止めた今が烏間の命を奪わない選択をする最後の機会で、その好機を何もせずに見過ごすことは出来なかった。
だから、これが楓人から歩み寄れる最後の時だ。
話しても無駄、戦闘不能にしても無駄、収監するにも危険とあれば、もう命を絶つしかないとその重みを握り締めた。
「本当に君はおかしいんじゃないのか?俺が君の立場なら迷わず殺すね」
「お前はもう詰みだ。少しぐらい迷う時間はあってもいいだろ」
烏間の全身を黒い風が渦巻き、逃げ道を完全になくしている。
「誓ってくれ。そうすればお前の命を奪わなくて済む手がある」
「………ふ、はははッ!!大した奴だ、本当に。そこまでお人好しのままで変異者をやれるとはね」
その笑いはどこか晴れやかで本心とも思えるもので、初めて楓人はこの男の本当の気持ちを見た気がした。
解り合えないのは知っているが、彼も一人の人間として悩んだ末に得た答えなのだと認識した。
「同情される気もないが……俺はね、自分が何者かを知りたかったんだ。知らない物を、可能性を追っている間は自分の価値も同時に定義づけられる気がしていたのさ」
「……人間、皆そんなもんだろ」
誰もが自分の役割を探して生きているのは楓人とて知っている。
自分が何者かを求めるからこそ変異者達は迷い、苦しみ、本能と認識の乖離に己を見失うことになる。
楓人だって、誰かの何者かになりたかった。
友人や仲間を大切にすると共に、同じ気持ちを相手が抱いていれば嬉しいと感じるのは何も異常ではない。
そうやって、互いに支え合って世界は回るのだ。
「君の作るだろう世界には探求がない。可能性がない。それが俺には耐えられないのさ。それは多くの人間からすれば悪と呼ばれる行いだろうが、俺はそれでも構わないよ」
烏間は自身のしていることが倫理に反することも自身が狂っていることも自覚しているのだろう。
しかし、それでも烏間謙也という存在は、果て無き探求を繰り返さなければ全てに価値を見出せない人種なのだ。
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