第121話:離脱


「私達から逃げられるって言ってるように聞こえるけど?」


「ああ、そう言っているつもりだけどね」


 唯の剣呑さを含んだ視線にも動じないで烏間はその場に立っている。

 セイレーンの力が及んでいる肩の機能の一部はしばし戻らず、後は普通に戦っているだけで唯達が有利に運ぶことは容易に想像できた。

 人形遣いの男も人形を操った影響もあって操作精度を欠いている点に加え、一度植え付けられた死の恐怖は体を鈍らせる。


 対して、唯は未だに万全で燐花も人形達と戦って消耗したとはいえ負っているのは精々がかすり傷だ。


 その状況で逃げる手段があるとすれば、と唯は気を抜かずに思考するが彼女も勘でさえも今は何も告げて来ない。

 切り札が増援か新たな能力かを絞れない以上はすぐに動くことも出来ないが、時間を稼げば唯達は有利になるはずだ。


「・・・・・・もうすぐ、ウチの連中が来ると思うわ」


 燐花が小さな声で告げたように増援を迎えられればほぼ勝利は疑いない。


 しかし、その膠着状態を烏間という抜け目のない男は許さない。


「それじゃ、名残惜しいけどこれで失礼するよ」


 烏間が口元に獰猛な笑みを浮かべて本性を垣間見せた瞬間。


 ごぽりと空間から紅紫色の霧のようなものが溢れ出して周囲に広がっていく。

 それらが伝播した地面はひび割れ、壁は表面から剥がれる様を二人は見た。

 物質にまで影響を及ぼすまでに効力が増大した変異者を侵す毒は紅の力を得て歓喜するかのごとく二人をも巻き込もうとした。


「・・・・・・下がって!!」


「え、ちょっ・・・・・・危ないってば!!」


「いいから行けって言ってんでしょ!!」


 ――—反射的に燐花は飛び出して唯を後方へと押しやった。


 唯と燐花は無論、離脱を開始したがこのままでは毒の影響があるかもしれない。

 燐花はそれを悟るとその場で足を止めて、銃を瞬時に二つ構えると抗う為の言葉を紡いで毒へと果敢に立ち向かう。

 ここで抵抗しておかなければ結果的に逃げ道を失う可能性が高かった。


「———双火変形ブレイス連火れんか


 両の銃が風を蓄積して一斉に銃撃を開始する。

 狙撃変形スナイプ砲火ほうかで得られるのが破壊力と射程距離ならば、双火変形ブレイス連火れんかがもたらすのは時間こそ限られるが、一時的な連射速度の大幅な向上と弾数装填の飛躍的な上昇である。


 黒の騎士と性質は違うが、同じく風を持つ燐花だからこそ今の霧には抗えると判断して引き金を引く。


 例えるならば弾丸の雨、とでも言えばいいだろうか。

 風から作り出された弾丸は数と攻撃範囲で強引に霧を押し戻し、その身を以て強力な毒霧へと当たり砕け散る。


 それでも燐花の風は弾丸の生成が主になるので、今の烏間の霧を完全に制圧できる程の馬力はなかった。


「・・・・・・とりあえず、そろそろ離脱した方が良さそうね」


 唯の安全は確保できただろうと燐花が離脱しかけた時だった。

 目の前がぐらりと揺れたような感覚が燐花を襲い、彼女はその場に膝を着いた。

 まだ毒は完全に吹き飛ばしたわけではなく、気を抜けば再び襲ってくるのでぐらつく頭で迎撃を繰り返す。


 最初の方に毒を吸ってしまったかと悔やまれるが、今となっては後の祭りとしか言えない状況だ。


「・・・・・・・・・ッ!!」


 唯が何か決意した表情で近寄ってこようとするのを燐花は視線で制した。

 彼女が来ようと結果が変わらないのならば意味がないし、巻き込まれるのは二人よりも一人の方がマシだった。


「・・・・・・大丈夫、何とかなるわよ。たぶんね」


 助かるべき細い道はあると彼女は直感していたのだ。


 彼女らしくもない、他人に頼るなんて考えられなかった昔の自分を思い出す。

 だが、今は他力本願の最低の策とも言えない脱出の為の最善の方法がある。

 その状況でも燐花は笑みを浮かべ、ついに毒の影響で消えかける左の銃を眺めながらも不敵な笑みを浮かべた。


 そして、同胞を見殺しにするのを許せずに、制止を無視して唯が毒の影響下へ戻ろうとした時だった。




 ―――そこに、騎士は舞い降りた。




 漆黒の風が毒の霧を吹き飛ばして、燐花を抱えて唯のいる場所まで楓人は脱出すると唯の傍に着地した。


 すぐに燐花の様子を見に来た時、離脱する烏間と男の姿が見えた。

 同時に周囲を覆う烏間の毒らしき霧に燐花が抗っている様子を見て、楓人は判断を迫られたが言うまでもなかった。

 どういうわけか、烏間の霧は明らかに強さを増している。

 それならば仲間の救出を一番に優先すべきだと判断して、漆黒の風を最初から全開で身に纏って霧を突破して燐花を救うことに成功したのだ。


「ナイスタイミング、じゃない。やる・・・・・・わね、リーダー」


 少し弱った笑顔で楓人に抱えられながら燐花は微笑んだ。

 あの烏間の毒は楓人も喰らったことがあるのでわかるが、まともに動けるまでに時間はかかるはずだ。

 だが、今回もその程度で済む保証はどこにもないのだと不安が襲ってくる。


 毒の性能自体は上がっているようなので、万が一にも命に関わるようなことがないとは断言できない。


「遅れて悪かった。燐花、本当に大丈夫なんだよな?」


 必死に冷静さを保とうとするが、どうしても声が揺らぐ。

 もしかすると大切な仲間の燐花を失っていたかもしれないと思うと、やりきれない気持ちになる。

 エンプレス・ロアの仲間は楓人にとって、絶対に失いたくない居場所をくれた大切な友人であり家族なのだ。


「大丈夫、もう少し元気になって・・・・・・来てるし。あんたに任せて正解だったわ」


「・・・・・・あんま無茶しないでくれよ。絶対死ぬなんて許さねーからな」


 燐花の声にはまだ力が残っているのを確認して、楓人はようやく完全にとはいかないが安堵の声を漏らす。

 だが、そこで口を挟んできたのは心配そうに燐花を見守っていた唯だった。


「燐花、ホントごめんね。それと二人ともありがとう。本当に助かったし、私も結構テンパっちゃって」


 唯は頭を下げると神妙にそんなことを言い出した。

 力がありながら烏間の思い通りになってしまって燐花に毒の影響を与えてしまったことを心底、悔いているようだった。


「別にいいわよ、適材適所って言うじゃない。うちのリーダーもいいとこで来てくれたし。それにしても何か固くて痛いわね」


「・・・・・・やかましいぞ、黙って背負われとけ」


 くすっと楽し気に笑いながら、背負われながらアスタロトの装甲の固さに文句を言い始める燐花はいつも通りに戻りつつあった。

 改めて謝罪を述べた唯を連れて、とりあえずは引き上げることして歩き出す。


 烏間達が逃げたのは燐花や唯の安全を考えれば仕方がないし、今後の対応策は以前から用意してある。


 怜司の智謀は烏間本人が人形の変異者を救って逃亡を図ることまで、ほぼ見通していたのだから。

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