第60話:もう一つの戦場



 ―――同刻、渡の戦場とは離れた工場の裏手。



 その場にいるのは恵と燐花、そしてレギオン・レイドのメンバー十名ほどだった。若い男がほとんどを占め、渡と恵が選抜しただけあって肝は据わっている者ばかりのようだった。

 燐花は少し離れた事務所と使われていた建物の二階に身を隠している。


 その場にいるメンバーは工場の周囲の監視に当たる役割を背負っていた。


 彼らは戦力としても有用かもしれないが、烏間の能力も判明していない内に戦力を全投入して踏み込むのは危険すぎる。

 しかし、監視に戦力を集めた最大の理由は、烏間が用意している戦力が未知数な為だったのだ。

 黒の騎士が最悪の場合は単独で烏間を相手にするのは想定内だった。


 今、戦闘を行っているのは楓人と渡のみ。


 上から見張っている燐花含めて加勢に行きたい気持ちは山々でも、敵の戦力がこれだけとは思えない。

 必ず強力な変異者がいると燐花も大人しく最初に定めた持ち場で待機する。

 燐花の力が必要になる時が来ると確信に近い予感があった。


 ―――そして、その時は唐突に訪れた。


 無言のままで歩いて来るのは、見た目ではまだ楓人達と変わらない年頃であろう黒髪で中肉中背の男だった。

 特に普通のシャツやジーパンを身に着け、間違いがあったとしても大学生程度にしか見えない。

 渡や戦いに臨む楓人に備わっている剣呑な威圧感も周りに纏っていない。


 だが、二人とは違うはずの男の何かが燐花にも即座に警戒を促した。


「おい、話がしたい。手を出すな」


 男は立ち止まると戦意の無さを示すように両腕を左右に広げた。

 その冷静な口調はやや不愛想と取られても仕方のないものだったが、不思議と腹に何か隠している印象は受けなかった。


 それでも、油断はならないと指揮官の恵が燐花の方にさりげなく意思を込めた視線を飛ばしてきた。


 ここに隠れていることはレギオン・レイドの指揮官である恵も知っているので、その視線の意味を燐花は察して動くことにした。

 この場で露見せずに武装できるのは燐花だけだ。


 故に自分の持つ力を彼女は具現化を開始した。


 名前は不思議と誰かに教えられたわけでもなく知っている。


「・・・・・・ホークアリア」


 それが彼女の具現器アバターであり、彼女が変異者だと示す何より雄弁な証明でもあった。


 銃の骨子となる部分が構成され、銃型の兵装がその場に具現化を完了した。

 八十センチ以上に達する深緑の銃身、左右には翼のようにもヒレのようにも見える銀色の装飾が折り畳まれて装着されている。

 体には手足の先にごく薄い緑の装甲、心臓の位置を守るかのように左胸にも装甲が這っている。

 この銃身の長さを見ても、いかなる用途で生まれた具現器アバターかは一目瞭然だ。


 菱川燐花はエンプレス・ロアの中でも重要な役割も持つ優秀な狙撃手だ。


 探知と遠距離からの砲撃を併せ持つ変異者等、蒼葉市中を探してもそうはいないだろう。

 準備を完了すると燐花は周囲に探知を時折は入れながらも、通信機から聞こえてくる恵の声に適度に耳を澄ませた。


「戦う気がないのなら、なぜここに来たのですか?」


 その場にいる人間は面・布・フードと思い思いの方法で顔を隠している。

 殺人ギルドに顔を見られるのはあまりにも危険だし、燐花もフードを深く被った上で潜伏しているのだ。


「今回だけの依頼だ。俺は殺人ギルドの仲間じゃない。やる気なんて最初からありゃしない」


「私もあなたが望まないのであれば、無益な戦いは避けたいと思いますが」


 ため息を吐きながらも男は告げるが、依頼ならば戦うという意味ではないのかと恵は迷いを見せた。


「頼んでいるだけだぜ。ここで大人しくしていろ。そうすれば誰も死なない。ああ、レギオン・レイドのリーダーが相手してる奴は別だ。ありゃ人間じゃない」


 特に戦意を見せずに淡々と語る男には本当にここにいるメンバーの命を奪うつもりはないようだった。

 そもそも、このメンバーを全滅させるつもりなら最初から姿を現す必要はない。


「それなら、あなたこそ大人しくしていることです。ここで大人しくしていれば安全は保障します」


「そういうわけもいかないんだよ。俺は戦わない、だからそっちも動くな。これで対等だ」


「・・・・・・そういうことですか。それを嫌だと言ったら?」


 燐花が話を聞いていても、男はマッド・ハッカーのメンバーではないと言う通りにまともな精神をしている方だと言えるだろう。

 まだ年齢的には若そうだが、態度自体は大人びているし尊大な様子もない。


「戦うしかないか。安心してくれ、あんたら全員生かして五体満足で返す」


「・・・・・・変わった人ですね、あなたも」


「俺は一人も殺さない。そう決めてるんだ」


 静かに告げると男はようやく構えを取った。


 同時にそれが隠れている燐花への合図となり、燐花は殺さないよう腕を狙って照準を定めた。

 あの男は本気で潰しにいくほどの悪人には見えない。

 それに燐花とて変異者になって抵抗は薄れてしまったとはいえ、人を傷付けることに躊躇いがないわけでなはなかった。


 ホークアリアの銃口付近に吹くのは強い風だ。


 具現器アバターと言えど銃火器のような精密な具現化は難しいし、可能だとしても時間がかかる。

 ホークアリアの仕組みは通常の銃とは異なっており、複雑な構成でもない。

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