第59話:半獣-Ⅱ


 厄介なのは目の前の敵に駆け引きが通用しないことだ。

 一撃喰らえば終わりの状況で相手の動きを誘う動作を入れるのは危険に過ぎる。

 反射と勘で動く相手には同じ戦い方でねじ伏せる方が無難になってくるからだ。


 大気を裂いて襲い来る暴力の嵐はいかに渡でも回避だけでは限度がある。


 渡は自分がなぜ目の前の人間とは言えない相手を容赦なく潰しにいかないかに気付いてしまっていた。

 目の前の男は皮肉にも人であることを捨てさせられて力を手にした結果、獣に変異した哀れな人間だ。


 柄にもなく、烏間にいいように利用されつくした男に対して憐憫に近い感情を覚えているようだった。

 回避を続けたのは渡なりの慈悲であり、捨て切れない人間臭い部分でもあった。


 だが、再度の咆哮を上げる半獣を見て渡は舌打ちした。


「・・・・・・そうかよ、それなら楽にしてやる」


 渡は次に襲い来る一撃を前に静かに告げる。

 変異者であるろ証明される力、多くの人間を従え得る暴力の形がここに顕現しようとしていた。



「———来い、グレゴリア」



 そう主が呟いた瞬間、渡の両腕を黄金の輝きが満たす。


 それに一瞬だけ怯んだ半獣だったが、すぐに理性の影は消し飛んで再度の猛進を開始する。

 ようやく、その黄金の輝きが消え失せた時に同じく黄金の具現器アバターがその場に出現していた。


「せめてもの情けだ、真っ向から潰してやるよ」


 渡の両腕の肘から先に具現化したのは、腕の数倍の幅はあるだろう眩い輝きを放つ黄金の手甲だ。

 先端には長さ七十センチはあろう漆黒の刃が鉤爪のように三本ずつ伸びている。


 同じ獣を思わせる威容でも、その能力も主の在り方も大きく異なっていた。


 そして、渡の力が具現化されると共に戦い方も大きく変化する。

 ただでさえ高い身体能力を持つ者が攻防一体の得物を使えるようになっただけでも戦力の上昇は想像に難くない。

 それでも獣の如き唸り声を上げ、男は鋼の塊と化した両腕を敵へと叩き付けた。

 今まで以上に咆哮が獣染みていたのは、もしかしたら根源的な闘争本能だったのかもしれない。


 鋼同士が身を削り、黄金色の輝きを持つ爪は真っ向から襲い来る暴力の塊を受け止めていた。


 幾度となく振るい直される一撃を渡は手甲で捌き、受け止め、弾き返す。


「止めとけよ、無駄なことはよ・・・・・・って聞こえちゃいねえか」


 男が変異者として自らの能力限界を超えてなお、渡一人を突破できないでいた。


 ―――渡竜一には今の地位に登り詰めるだけの明確な力があった。


 変異者をねじ伏せる力量を示し、それでいて力だけで人を従わせるつもりはないと器を示したことで支持を得た。


 この変異者の世界の中では相対的に力無き者も多い。


 変異者だからと言って、誰もが強者になれるわけでもないのは自明の理だ。


 だからこそ、渡は六年前から強くあることを決めた。


 生死がかかった変異者の世界では、力の足りない者は強き者に希望を託して生きていく他にない。

 変異者を統べると言うのなら、例え妄信だろうと全てを背負うだけの力と断固たる意志が必要だ。


 六年前の火を消す為にはこんな所で足踏みしている暇はなかった。



 故に―――



 渡の一撃は半獣の男が振るおうとした右腕を黄金から伸びる黒色の爪で刺し貫いていた。

 滴り落ちる血液を一別して苦痛の声を上げる男だが、痛みでさえもこの男の闘争を止めることはできないようだった。

 人としての理性も本能さえも吹き飛ぼうとしている。


「・・・・・・しつこい奴だ」


 渡は爪を引き抜きざまに右足を上げて、男の腹部を蹴り飛ばして塀へと叩き付けていた。

 この体格差で容易に巨体を吹き飛ばす辺りからも速度だけでない渡の身体能力の高さが如実に伝わってくる。


 獣染みた男も決して戦闘能力が低いわけではなく、身体能力だけでもそこらの変異者では一撃で潰される程に強い。


 単純にレギオン・レイドを背負う男の力量が理性をなくしてまで得た力を上回っているだけの話だ。

 だが、腕を貫いてまともに急所に蹴りを貰ってもなお獣は立ち上がる。

 耳の奥まで響くような今まで以上の雄叫びを上げるとその全身がバキリと不自然に隆起していく。


 最早、具現器を操るという概念すらないかのように、ただ力を肉体に宿す。


 だが、今まで以上に獣の身体能力に近付いていることは渡にもわかった。

 わずかに黄金の輝きを増すグレゴリアを引っ提げて体を沈める。


 そして、渡は血みどろの獣を狩る為に地面を蹴り飛ばして疾駆した。

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