第59話『嫌な予感』
小さい頃から生き物が好きだった。
きっと、誰しも経験があるのではなかろうか。
列を作って進む蟻を、意味もなく踏みつぶしてみたり。
道端で干からびる蚯蚓に、何故か目を引かれたり。
ひっくり返った蝉を、恐る恐る蹴とばしてみたり。
捕まえた団子虫を、水の中に沈めてみたり。
日陰を這う蛞蝓に、興味本位で塩をかけてみたり。
飼っていた甲虫を、死んだ後も虫かごの中に放置したり。
無邪気は残虐で、無知は残酷だ。
きっと誰しもがそうだった。
そして誰しもが、残虐さを学び、残酷さを理解する。
誰しも、もとは残虐なのだ。
誰しも、もとは残酷なのだ。
なのに、残酷であり続けることは、残虐であり続けることは、どうも悪であるらしい。
自分が好きなのは生き物ではなく、生き物の死であることに気が付いたのは、大人になってからだった。
◇◇◇◇◇
元から、意味なんてない人生だった。
意味が欲しいと思ったことも、意味が必要だと感じたこともなかった。
それは、この世界に来ても同じ。
意味がなくたって、人生はそれなりに面白く、考え方次第でいくらでも幸せになれる。
だからもし、今この瞬間に死んだとしても、俺は何も後悔することなんてない。
後悔するだけの意味が、俺の人生にはないのだから。
◇◇◇◇◇
その日、何か特別変わったことなんて、何一つなかった。
朝起きて朝食を食べて、昼食までの時間を勉強に充てて、昼食を食べた後はソラとの訓練があって、同じくらいの時間帯にはフォナも魔術の訓練を始めていた。
昨日との違いなんて、朝起きた時間とか、食事のメニューとか、勉強の内容とか、着ている服とか、それぐらいのはずだった。
なのに、今日はずっと、落ち着かなかった。
なぜか心臓の鼓動がいつもより少し早くて、呼吸がしづらいような気がして、何かしなければいけない気がするのに、何をすればいいのか分からない焦燥感のようなものが、ずっと心のどこかにあって。
不安感に近いが、少し違う、何か。
――いや、違う。俺は知ってるはずだ。
この言葉にできない感覚を、良く知っているはずだ。
ただ、それを認めてしまったら、もう取り返しがつかないような気がして、怖いだけなんだ。
父親が死んだと知らされる前にも。
友達が目の前で車に轢かれる前にも。
転生した後、この辺りの地域に地震が直撃する前にも。
フォナが生まれた日、みんながいる部屋に入る前にも。
フォナが魔力を暴走させる直前にも。
今と同じ、嫌な予感が、していた。
「フェリ、どうした?」
さてこれから模擬戦をしようというときに、俯いたまま動かなくなった俺を見て、ソラが何事かと尋ねる。
このままじゃいけない。何か行動をしなきゃいけない。
そう感じているものの、何をすればいいのかが分からない。
今回の予感はひたすら不安にさせるばかりで、明確な情景を何も教えてくれない。
ただただ、焦りだけが心に重くのしかかってくる。
「ねぇ、今日って、何か予定とかある?」
「予定……? 特になかったと思うが。どうしたんだ急に」
「じゃあ、来客とかは?」
「そんな話も聞いてないが……」
なら、ならどうすればいい。
また気のせいだと考えて、いつも通り過ごせばいいのか?
絶対に間違っていると分かっていながら、何もしなければいいのか?
「……フェリ、本当にどうしたんだ?」
流石に俺の様子がおかしかったのか、ソラも真剣な表情で顔を覗き込んでくる。
信じてもらえるかは分からない。しかし、何もしないままでいるわけにはいかない。
俺は、今まで自分が感じてきた予感についてと、今感じているものについて、ソラに話すことにした。
前世のことなど、話せないことも多かったが、要領を得ない俺の話をソラは真面目に聞いてくれた。
「予感、か。運命力によって引き起こされる事象を何らかの方法で感じているのか……いや、それともフェリ自身の運命力がきっかけだからか……」
ソラは俯ぎながら小さくそんなことを呟くと、
「とにかく分かった。とりあえず今日はこれで終わりにしよう。エンリィやアテラ様にはあたしから説明しよう。今は森の広場にいるかな」
「……信じてくれるの?」
「フェリが無意味な嘘を吐いたことは一回だってないからな。用心して何事もなかったなら、それに越したことはない」
そう言ってソラは俺の手を取る。
「ひとまず、家に戻ろう」
嫌な予感は消えてくれない。
それでもこの瞬間、少しだけ安心した。
この瞬間。この瞬間だけだった。
初めは、何なのか分からなかった。
体の内に響いてくるような轟音。
その正体が付近で起こった爆発音だと気づいたのは、森から上がる煙が視界に映ってからだった。
「あれ……森の広場の方向、だよね」
「…………」
無言で煙を見上げるソラ。
俺とソラ、広場に向かって走り出したのは、ほぼ同時だった。
◇◇◇◇◇
魔術を習い始めの頃はあれほど悪戦苦闘していた魔術操作も、2年も毎日のように練習すればそれなりに形にはなるもので。
お父さんやお母さんと肩を並べることは出来なくても、魔術師と名乗って恥ずかしくない程度には、私も魔術を扱えるようになっていた。
今日の訓練内容は複合魔術の修練だ。
複合魔術というのはその名の通り、異なる属性の魔術を組み合わせて一つの魔術とすること。生活でよく使っている複合魔術を上げるとするなら、お湯を作り出す魔術なんかは、火属性と水属性の複合魔術だったりする。
なかなかに便利な技術だけど、複合魔術が一般的によく使われるかというとそうでもない。
なぜなら、魔術の性質上、複合魔術を扱うには、自分自身が二つ以上の魔術属性に適性を持っている必要があるからだ。
複合魔術は、魔術に魔術を重ね掛けすることで一つの魔術とするものだ。
例えばお湯を出す複合魔術なら、水属性の魔術で作り出した水に、火属性の魔術をかけて温度を上げる必要がある。
しかしそれなら、火属性と水属性、それぞれに適性がある魔術師を一人ずつ用意すればいいと考えてしまうが、それを不可能にしているのが、発動者が異なる魔術は打ち消し合うという魔術の原則だ。
基本的に、自分が発動した魔術と、他人が発動した魔術が干渉した場合、より魔力が使用されている魔術が残り、使用魔力量が少なかった魔術は打ち消されてしまう。だからこそ、複合魔術を使うには自分自身が複数の属性魔術を使用できる必要があるのだ。
いくら私が5つの属性を使える魔術師といっても、複合魔術が使えないのなら、それぞれの属性を扱う5人の魔術師で代用出来てしまう。
複数の属性を使用可能な魔術師の強みは、複合魔術にあるといっても過言ではない。
訓練を初めて30分も経っていなかったと思う。
その人は、散歩でもするかのような足取りで、森の中から現れた。
「お、これはついにアタリを引いたっすかね」
「……お前は誰だ」
お父さんが一歩前に出て、男の人をにらみつける。
この森は一帯が全てハーヴィス家の敷地で、内と外の境目には柵が立てられているので、迷い込んだというのはあり得ない。
意図があっての侵入は明らかだった。
「うわこっわ。怖いから――」
男が手のひらをこちらに向ける。
しかし、男が何かをするよりも、お父さんが魔術を放つ方が早かった。
視界を白く染める閃光の後、全身で振動を感じるほどの轟音が響く。
しかし、爆発の中心近くに居たというのに、私の体には爆発の熱も、風圧も、ほとんど伝わっては来なかった。
それらがお父さんの魔術制御と、お母さんの魔力防御によるものだと気づいた時には、私はお父さんに抱えられて、広場と家を繋ぐ道に運ばれていた。
お父さんは私をそっと地面に下ろすと。
「今すぐ家に戻って、ソラを呼んできてほしい」
「お父さんとお母さんは……?」
「まだやることがある。フォナ、出来るな?」
私が頷く前に、お父さんは背を向ける。
お母さんは、私に一度微笑んで、お父さんの横に並んだ。
お父さんの背中越しに、先程の男が燃え盛る爆発地点から立ち上がるのを見て、私は全力で家への道を走り出した。
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