第58話『自分だけのもの』

 ソラに固有魔術の存在を明かしてしまった以上、父さんや母さんにだけ固有魔術を隠しておく理由はなかった。

 模擬戦の後、いくつか今回の戦闘に関してソラから指導をしてもらうと、俺は家の裏手にある森へと足を運んだ。

 普段ランニングでは通らない舗装された道を進む。

 5分ほど歩くと、人工的な手入れが行き届いた広場に出た。

 数年前までこの広場は、俺とフォナが良く遊びに来るお馴染みの場所だったのだが、最近ではもっぱらフォナの魔術訓練に使用されている。

 広場には高さ3メートルはあるだろう巨大な岩が置かれていた。もともとあったものではないので、おそらく母さんが魔術で作り出した物だろう。

 広場の中心にはフォナと父さんが立っていて、フォナは岩に向かって火の球を放ったり、水の球を放ったりしている。母さんはそれを少し離れた位置から眺めていた。

 やっぱり魔術は派手だな。なんてことを考えつつ、僅かばかりの緊張を胸に、俺は母さんの元へと向かった。



 ◇◇◇◇◇



 結論から言ってしまうと、喜んでもらえた。

 というか、母さんに至っては泣いていた。

 父さんと母さん、そしてフォナに、ソラに話したものと同じ内容を伝え、実演して見せた。

 ちなみに、その間ずっと母さんは俺を抱いたまま離さなかった。今になって気が付いたが、俺が魔術を使えないことで一番落ち込んでいたのは母さんらしい。

 まぁ、固有魔術はあくまでも固有魔術であって、一般的な魔術とは全くの別物ではあるのだが、あそこまで喜んでくれて、褒めてくれたのであれば、そんな些細なことはどうでも良かった。


 どうでも良かったはずなのに、何故だか少し、心の中には靄がかかったような違和感が停滞していた。


 しばらく母さんに撫で繰り回された後、フォナの魔術訓練に付き合うことになった。といってもそれには、フォナの訓練だけでなく、俺の能力の性質を確認するという意味合いもあった。

 空間制御能力で魔術を防げるのか。結界を破壊することは可能なのか。などなど。

 結果としては、魔術を防ぐことが出来た。

 破壊可能かどうかに関しては、現状不可能、という結論だ。

 模擬戦でもソラの攻撃を防ぐことは出来ていたし、父さんの放った全力の雷属性魔術にも耐えられたので、余程のことがない限り破壊されることはないだろう。

 しかし驚かされたのは、俺の結界の強度ではなく、父さんの放つ魔術の威力だった。

 手のひらから放たれた稲妻が一直線に結界へ伸びていき、弾けて消えた。それだけでも派手さでいえばかなりのものだったが、稲妻が掠めた地面の草花が灰に変わっていたのは、驚愕を通り越して恐怖だった。

 父さんが魔術を放つ前、しつこいほどに決して近付かないよう忠告し、離れた後も母さんが魔力防御を展開するのを見て、流石に大げさじゃないか、なんて呑気なことを考えていた過去の自分を殴ってやりたい。

 40歳を迎えた今もなお、国内最強の魔術師と呼ばれる所以を、確かに理解した。



 ◇◇◇◇◇



「お父さんの魔術、凄かったね」


 魔術訓練の後、俺とフォナは夕食前にお風呂に入っていた。

 向かい合って湯船に浸かりながら雑談を交わす。


 ちなみに、魔術を使えるようになったためフォナでも水を温めてお湯にすることは出来るのだが、以前と変わらずその役目はクラウに任されていた。

 メイドとしての意地だったのか、仕事を取られるのが嫌だったのか、理由はクラウにしか分からないが、


『どうか私に、その役目を続けさせてはいただけませんでしょうか』


 と頭を下げられてしまっては、流石にフォナも頷く以外の選択肢は取れなかった。


「ところでお兄ちゃん。固有魔術のこと、いつから気付いてたの?」


「いつからかって話だと、生まれた時から――になるのかな」


 転生者同士だからこそ出来る会話。

 必然的に二人きりになる入浴時間は、いつからか互いが互いにしか話せない悩みや相談などを共有し合う時間になっていた。


「どうして私にも隠してたの?」


「それは……」


 理由はいくつか思い当たる。

 自分で考えていたこと。ソラに指摘されたこと。ソラに指摘されて気付いたこと。

 自分から進んで言いたいわけではないが、今になっても隠し続けるのは、何か違う気がした。


「フォナが生まれた日。色々あったのは知ってるだろ?」


「うん。詳しいことは誰も教えてくれないけど、何かあったってことだけは」


「なんというか、まぁ……その出来事の原因の一端が、俺の能力にあって。フォナやみんなを危険な目に合わせたから、罪悪感はあったんだと思う」


 あの場にいた俺に、何の力もなかったのなら、きっとあんなことは起こらなかった。

 あの事件以降、俺は心のどこかで、この能力は持っていてはいけないものじゃないか、という思いがあったんだろう。

 でも、きっと理由はそれだけじゃなくて。


「この能力はさ。ひとに貰ったものなんだ。もとは俺のものじゃない。だから……それを自分の能力のように誰かに話すのは、少し気が引けた」


「そんなこと言ったら、私の魔術の才能だって、お父さんとお母さんから貰ったものだよ。でも、確かに私のもの」


「それとこれとは、話が違うような気がするんだけど」


「違わないよ。その能力、生まれた時から気付いてたってことは、きっとあの女神様から貰ったものなんだよね?」


「……勘が鋭いな」


 わざわざ『ひと』なんて言って誤魔化したのに。

 もしかして、俺って嘘を吐くのが下手なんだろうか。


「こんな見た目でも精神は30年近く生きてますから。……でさ、話を聞く感じ、最初からあんな風に能力が使えたわけじゃないんでしょ?」


「まぁ、そうだけど」


 自慢じゃないが、かなり努力はした。

 能力を使うために魔力を増やそうとして。でもそれじゃ遅すぎるから、出来るだけ魔力を使わないで済む方法を模索して。今のやり方を思いついて。それを形にするため何年も練習した。


「お兄ちゃんの能力も、私の魔術も、確かに最初は人からの貰いものかもしれない。でも、努力した時間は、自分だけのものだと思わない?」


「――――」


 咄嗟に言葉が出なかった。

 そして同時に、ずっと感じていた靄の正体に気が付いた。

 俺は、嬉しくなかったのだ。

 能力のことを褒められても、自分が褒められた気がしなかったから。

 凄いのは、ひとに貰ったものであって、自分自身じゃないような気がしたから。


 でも、そうか。

 努力した時間分ぐらいは、自分自身を褒めてやってもいいのかもしれない。


「あれ、私いま、凄く良いこと言ったんじゃない?」


「……その一言がなければ完璧だったな」



 ◇◇◇◇◇



 それからしばらく雑談をしながら湯船に浸かっていたが、いい加減に逆上せそうになったので出ることにした。


「それじゃあお兄ちゃん、動かないでね」


 湯船から上がって、体を拭かずにフォナと向かい合う。

 目をつぶり、両手の指先を合わせたフォナから魔力が放たれる。

 すると、俺とフォナの体についていた水が全て床に落ちた。


「なんというか……魔術ってホント便利だな」


「だね~。きっと今の日本だって一瞬で体を乾かすことは出来ないんじゃない?」


 魔術の本来の使い方は、きっと昼間に父さんが見せてくれたものなのだろう。

 しかし、こうした日常の些細なことでも、魔術は確かに役に立っている。魔術の才能があるというだけで重宝されるわけだ。


「こんなのを見ると、少しだけ、魔術の才能が羨ましくなるな」


「大丈夫だよ、お兄ちゃん。私がずっと一緒にいてあげるから」


 こんな日常が、ずっと続いていくのだと思っていた。

 幸せだったから、続いてほしいと思っていた。

 続くわけがないと分かっていたから、続いてほしいと願った。

 なぜ俺がこの世界に来たのか。

 なぜフォナがこの世界に来たのか。

 まだ何も終わっていないと分かっていたから、目を逸らし続けた。


 終わりは、すぐそこまで迫ってきていたというのに。

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