第57話『模擬戦』

 隠し事が全然隠せてなどいなかったことが判明した後でも、いつも通り身体強化の訓練は始まった。

 一通りのウォーミングアップを済ませ、ソラとの模擬戦に入る。

 しかし今日は、一つルールに変更点があった。


「フェリ、今日はその固有魔術も使って模擬戦をしよう」


「えっと、戦闘中に空間制御を使う、ってこと?」


 どうやら俺の空間制御能力はこの世界では固有魔術というものに分類されるらしい。ソラが言うには、原理のよく分からない特殊能力をまとめてそう呼んでいるだけ、だそうだが。


「そうだ。魔力が足りなくて使い道が限られているとはいえ、盾として使うだけでも十分強力だ。昨日の夜だって、色々と練習していたじゃないか」


 ……本当に全部見られてるし。


「……うん。分かった。やってみる」


 今俺が固有魔術でできるのは、盾を作るか足場を作るか、その程度。

 戦闘に組み込んで使ったことはないが、出来る限りのことはやってみよう。


 以前は素手での模擬戦が多かったが、最近では武器を使った模擬戦も行うようになっていた。

 もちろん武器といっても刃がついているものを使うのではなく、木剣や槍に見立てた木の棒などを使う。

 今日ソラが持ってきたのは木剣だった。


 10メートルほど離れて向かい合う。

 模擬戦のルールは単純だ。

 俺は一度でもソラに攻撃を当てれば勝ち。

 対してソラは、俺を降伏させるか戦闘不能にすれば勝利。

 圧倒的に俺が有利なルールにもかかわらず、これまでに一度も勝てたことがないのは、果たして俺が弱すぎるのか、ソラが強すぎるのか。個人的には後者だと思いたい。


 木剣を構えてソラを見る。

 ソラもこちらを見つめてはいるが、両の手は下げられたままで、今から模擬戦が始まるようには見えない。

 でも、これがソラの戦闘スタイルだ。

 どんな状況でも可能な限り早く最適な行動をするために、ソラはあえて構えを取らない。身体能力、判断力、経験値。そのどれもが高い水準にあるからこそ可能な芸当。

 全てが足りていない俺には到底できない業。

 だからこそ、せめて特定の状況だけは対処できるように構えを取る。


 開始の合図代わりに身体強化を施す。

 先に動いたのはソラだった。


 踏み込みと同時に身体強化を済ませたソラは、10メートルの距離をたった一歩で踏破する。

 分かりやすく大きく振り上げられた右手には木剣が握られていて、ソラは力任せにそれを振り下ろす。

 技術など一片も使われていない、純粋な力のみの攻撃。故にそれは、振り下ろす者の身体能力が高ければ高いほど強力になる。


 避けるか?

 ――間に合わない。

 結界をを構築するか?

 ――間に合わない。

 受け止めるか?

 ――耐えきれない。


 であれば、受け流すしかない。

 手に持つ木剣を斜めに構えて、ソラの木剣を右へ逸らす。

 だがしかし、ソラの攻撃はそれで終わってはくれなかった。

 木剣を振り下ろした勢いをそのままに、ソラは左足を軸にして蹴りを繰り出す。

 ソラの振り下ろしを受け流したばかりの俺に、その蹴りをどうにかできるだけの余裕はなかった。


 俺の左わき腹を綺麗に捉えたソラの右足。

 衝撃を感じた頃には、視界は上下が反転していた。


 蹴られた衝撃に身を任せて地面を転がり、その勢いを利用して立ち上がる。ここ数年で自分が強くなったのかはよく分からないが、受け身を取るのはかなり上手くなっていると自負している。

 身体強化とソラの力加減のお陰で、ダメージ自体はあまりない。むしろダメージだけで言えば両腕のほうが深刻だ。

 ソラの細腕のどこからあれだけの力が出ているのかは分からないが、ソラの木剣を受け流した両腕には、衝撃による痺れが未だに残っている。


 力比べでは勝ち目がない。かといって技術でもソラのほうが圧倒的に上。正面から戦ったのではいつもの模擬戦と変わらない。であれば、意表を突くしかない。

 せっかく思う存分固有魔術が使えるのだ。空間制御能力への理解度だけは、ソラより俺が上だ。


 蹴り飛ばされたことで開いた距離はおよそ15メートルといったところか。ソラであれば追撃も容易ではあろうが、そうしてくることはなかった。そこはやはり実戦ではなく模擬戦なわけで。ソラは手加減をしないとよく言っているが、あくまでそれは模擬戦として手加減はしないだけ。実戦であれば、ソラは迷わず俺を殺しに来ただろう。


 今が模擬戦であることに感謝しつつ、ソラを視界の中心に捉える。

 今度はこちらから距離を詰めた。

 ワンテンポ遅れてソラも駆け出す。互いの距離は一瞬で詰められた。

 先ほどと同じように、ソラは大きく右手を振り上げる。

 そしてそれが振り下ろされる瞬間に、俺はソラの目の前に真っ黒な盾を展開した。


 盾が木剣を受け止めた音はしなかった。

 盾のように使ってはいるが、これはあくまで、あらゆるものの侵入を阻む結界だ。

 物理的に剣を受け止めているのではなく、結界内の空間に侵入できなかったために動きが止まっただけ。

 光すら通さないためソラの様子は一切分からないが、今もなお目の前にある結界が、外部から侵入しようとしている剣を阻み続けているのを、俺は知覚していた。


 一瞬の内に考える。

 ソラは剣を右手で持っていた。であれば、今ソラの左側面は攻撃を受け止める武器がないはずだ。

 実戦であれば、俺がいくら全力で武器を振るったところで、ソラを倒すことは出来ない。

 だが、これは模擬戦だ。

 体に攻撃を当てれば勝ちのルール。

 手でも足でも腹でもどこでも。木剣が当たりさえすればいい。


 真っ黒な結界を構築したまま、ソラの左側面に飛び出す。


 一瞬ぶりに視界に捉えたソラは、剣を結界に押し当てたまま、左足を折りたたんで蹴りの体勢を取っていた。


 ソラの視界に俺が映る。

 瞬間、左足が放たれる。

 攻撃の姿勢に入っている状態で、ソラの蹴りに反応できるはずもなく、再び俺はソラに蹴り飛ばされた。

 胸元にクリーンヒットした蹴りにより、また十数メートル吹っ飛ばされる。今回は攻撃を受ける心構えができていなかったこともあり、さっきよりも大分痛かった。


「合理的な判断だけど、だからこそ読みやすい。経験が足りないな」


 結界の構築はソラにとっても不意打ちだったはずだ。

 そこから俺がソラの左側へ飛び出すまでに1秒もかかっていない。

 そんな短時間で、俺が攻撃を当てるには左側のほうが有効だと判断して出てくると考え、それを迎撃するために蹴りの準備をしていたと?


「……強過ぎるでしょ、ほんと」


 こちらの手札が1枚増えたところで、ソラの優位性は全くもって揺らいでいなかった。



 ◇◇◇◇◇



 時間にすれば10分にも満たない程度だったと思う。

 固有魔術のお陰でソラの攻撃を多少は受け止めることが出来ていたが、蹴られたり投げられたりした回数自体は、いつもとそこまで変わらなかった。

 いい加減体のあちこちが痛くなってきて、身体強化も雑になっていた。

 それはソラにも伝わっていて、だからこそソラはもう終わらせようとしたのだろう。


 俺の攻撃を受け流したソラは、空いている左手で俺の腕をつかむと、腕力だけで俺を地面に投げる。

 尻もちをついた俺のもとにソラが歩み寄り、木剣を振り上げる。

 多分、当てる気はないのだろう。

 寸止めをして降伏させる。いつもの負けるパターンだ。


 でも、もうほとんど負けていても、まだ負けてない。


 木剣が振り下ろされる。

 しかしそれは、寸止めというにはほど遠い位置で不自然に動きを止めた。


「まぁ……勝ちは勝ちだし」


 そんなことを呟きながら、俺は右手に持った木剣を雑に振る。

 ぽこっ、と情けない音を立てながら、俺の木剣はソラの足に当たっていた。



 ◇◇◇◇◇



「……そういえば、透明にも出来るんだったな」


 透明に展開していた結界を解除する。

 阻むものがなくなってもソラの木剣が振り下ろされることはなく、ソラは手をだらりと下ろした。


「最初から狙ってたのか?」


「油断してるところを突こうかとは思ってたけど、こういう形になったのは偶々だよ」


 正面から戦ったって敵わないことは分かっていた。

 勝つには、油断した隙を突くしかない。

 けれど、たとえ模擬戦であっても、ソラは油断なんてしてくれない。

 だから、このタイミングしかないと思った。


「人が一番油断するのは、自分が優位だと思っている時だ。とりわけ、勝利が目前ともなれば誰だって油断する。少なくとも、あたしは完全に油断していた」


 ソラが俺に向かって手を伸ばす。

 素直にその手を取って立ち上がった。


「フェリは最後まで諦めてなかった。油断したあたしの負けだ」

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