第60話『はじまり』
フォナが走り去っていくのを音で確認して、アテラは侵入者の男に目を向ける。
威力よりも発動速度を重視して魔術を発動したとはいえ、直撃を受けて何事もなかったかのように立ち上がっていることから、森に迷い込んだ一般人という可能性は完全に消えた。
「あっぶなぁ。死んだらどうするんすか」
軽薄そうにニヤニヤと男は笑う。
男は腰のベルトに提げたナイフを抜き取り右手に持つと、アテラに向かって歩き出す。
「まぁまぁ、楽しくやりましょうよ」
それを合図に男は駆け出した。
身体強化が施された踏み込みは、20メートル以上離れている距離を数歩で詰めるだけの速度があったが、魔術の発動はさらに早かった。
アテラの手から放たれた電撃が男の頭を吹き飛ばす。
――はずだった。
電撃は男に当たる直前で不自然に横に逸れ、背後にあった木を二つに割いた。
「運が悪かったっすね」
男のナイフがアテラに振り下ろされる。
しかしアテラは、それを避けることはしなかった。
「ああ。運が悪かったな」
ナイフがアテラに触れる直前、地面から無数の針が飛び出し、男の体に無数の穴を穿つ。
エンリィの魔術によって形作られたそれらの針は、貫かれた男が動かなくなってから、ただの土に戻っていった。
うつぶせに男は倒れ、地面に血だまりを作っていく。
アテラは男が何のためにここに来たのか、何か目的が分かるようなものを持っていないか調べるため、しゃがみ込んで男に触れた。
それを油断というのは、あまりにも酷だろう。
次の瞬間には、アテラとエンリィは後ろに飛び退いていた。
しかし、完全な不意打ちを避け切ることは出来ず、アテラの右手首から先は男の横に取り残されていた。
「アテラっ!」
「大丈夫だ」
エンリィは自分の服の袖を破ると、アテラの腕を縛って応急的な止血を行う。
「いやぁ……痛い痛い。俺じゃなかったら死んでるっすよ?」
男は血だまりからゆっくりと起き上がる。
エンリィの魔術によって穿たれたはずの穴は、全て完璧に塞がっていた。
「でもまぁ、運が悪かったっすね」
◇◇◇◇◇
普段俺がソラと模擬戦をしている場所と、フォナが魔術訓練をしている森の広場は家を挟んで反対側にある。
使用人を何人も雇う必要があるほど大きいこの家を、大きすぎると思ったことは何度もあるが、今日ほど家の大きさを憎んだことはない。
いち早く森の広場へ向かいたいのに、嫌になるほど大きい家の周囲を回っていかなければならないのは、ただただ気持ちを焦らせるばかりで、大が小を兼ねるとは限らないと思い知らされた。
ちなみに、ソラは助走をつけた跳躍で家の屋根に飛び乗り、一足先に森の広場に向かっていった。こんなことならソラの負担になりたくないなんて勝手な気遣いで、俺を抱えて跳んでもらうことを断らなければよかった。
走りながら家を見上げてみる。
うん。ちょっと、この高さを跳んで超えていこうとする考えは、俺の持つ常識じゃ浮かんできそうにない。
ソラの異常さを再認識しつつ、全力で森の広場に向かって走り続けた。
◇◇◇◇◇
私が走り出した直後、背後から再び轟音が響いてくる。
振り返りたい気持ちを理性で抑え込んで、ただひたすら前を向いて走る。
昔から運動は得意だった。この世界に来る前も、この世界に来た後も、それは変わらない。走るのだって、どちらかといえば早いほうだった。
でもこの世界において、何もしていない大人の力は身体強化をした子供の力に劣る。
お兄ちゃんやソラさんの走る速さをよく知っている今、自分の遅さにもどかしさを感じずにはいられなかった。
身体強化をもっと練習しておくべきだったと、今更ながら後悔する。
爆発音が再度、背後から聞こえてくる。
もう少しで家が見えてくるといったところで、前から物凄い勢いでソラさんが走ってきた。
「フォナ!」
「ソラさん!」
綺麗に勢いを殺して止まったソラさんに対して、勢いを殺しきれなかった私はソラさんの胸に飛び込んでしまう。
けど、今はそんなことを気にしていられない。
「ソラさん、さっき広場に知らない男の人が来て、お父さんたちが今戦ってて――」
何から説明したらいいのか分からなかった私は、とにかく見たことを全てソラさんに伝える。
きっと要領を得ない説明だっただろうけど、ソラさんは何も言わずに聞いてくれた。
「ねぇ! 今どんな状況!?」
するとそこに、お兄ちゃんも来てくれた。少し息を切らしているところを見るに、きっとペース配分なんて考えずに走ってきたのだと思う。
「フェリ、丁度いい。フォナを連れて家まで戻っていてくれ」
「え、いやでも――」
「戻ったらクラウに事情を説明するんだ。彼女なら的確な指示をくれるはずだ」
普段のお兄ちゃんなら、きっと素直に頷いていたと思う。
私たちは見た目は子供でも、中身は大人だ。
納得のいく説明にはいつも従ってきたし、自分で考えて理性的に判断してきたつもりだ。
そして、私の知る常識で判断するなら、今は逃げるのが最善だ。
だって敵うはずがない。お父さんの魔術を受けても立ち上がってくるような人に、私もお兄ちゃんも何かができるとは思わない。
「お兄ちゃん、逃げよう? 私たちがいたって邪魔になるだけだよ」
これからどうすればいいのかなんて分からない。
でも、あの場に私とお兄ちゃんがいなきゃいけない理由があるとは思えなかった。
お兄ちゃんもそう思ってるはずだ。
そう思っていてほしかった。
だって、あの場所にはもう居たくない。
正体が分からない男の人も、人を殺すために魔術を放つお父さんとお母さんの顔も、今は見たくなかった。
「……ごめん。それは無理」
「フェリ!」
「だって、それじゃきっと何も終わらない。何も終わらせられない。何が原因なのかだけでも知らないと、これから俺がどうするべきかが分からない」
私には、お兄ちゃんが言っていることの意味は分からなかった。
お兄ちゃんは、私が知らない何かを知ってて、きっとそれはお兄ちゃんにしか分からないことで、誰にも伝える気はないのだと、私は知っている。
少しだけそれを、寂しく思った。
「せめて広場までは一緒に行かせてほしい。危ないと思ったらちゃんと逃げるからさ」
「…………」
ソラさんはお兄ちゃんの顔をじっと見つめてから、少しだけ俯いて何かを考えていた。
誰も何も言わなかった。
だからこそ気が付いた。
私が最初に気が付いた。
「……音がしない」
「えっ……?」
「さっきまで、お父さんたちが魔術を使ってる音が聞こえてたのに――」
今は、驚くほどに静かだった。
戦闘の音が聞こえないということは、すなわち戦闘が終わったということ。
誰が勝って、誰が負けて終わったのか。
今ここで確認する術はないのに、嫌な情景ばかりが頭に浮かんで気持ち悪くなる。
心臓の鼓動は不安を燃料にして、どんどんスピードを上げていった。
「っ……!」
お兄ちゃんの頼みにソラさんは答えを出すことなく、広場へ向かって走り出した。
もう何をどうすればいいのか分からなくて、走り去るソラさんの背中をただ茫然と見つめていると、お兄ちゃんに声をかけられた。
「一緒に来るか、一人で戻るか、選んでくれ」
十分に考える時間がないことだけは、今の私にも理解できていた。
「一緒に行く」
お兄ちゃんは私の手を取ると、広場へと走り出した。
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