第50話『兄の存在』
歳を取ると、一日が短くなるという。
もちろん、実際に一日が短くなっているわけではなく、体感的な話だ。
どこかで聞いた話によれば、歳を取って一日が短く感じるのは、日常に発見が少なくなるからだという。
子供の頃は毎日が発見の連続だった。だからこそ、日々の記憶は濃密に凝縮されたものになる。しかし年齢を重ねるにつれ、目新しかったものは日常の一部となり、記憶に残らなくなる。それによって、過去を振り返った時に短く感じるのだ。
それは、この世界でも変わらなかった。
この世界に転生したばかりの頃はただ寝ていただけだったのに、目に入るもの全てが新鮮で、興味の対象だった。
自分の意志で動けるようになってからは、興味の対象はさらに増えた。
行動範囲は手の届く位置から家の中全てに変わり、やがて外へと伸びていった。
一日一日が、とても長かった。
しかし、発見は最初の一度きり。それらはやがて日常の背景へと変わる。
長かった一日は、徐々に徐々に短くなっていった。
改めて振り返ってみると、本当に、長いようで短かった。
もう、俺がこの世界に生まれてから、12年も経っているのだから。
◇◇◇◇◇
俺が生まれて12年。それだけの時間が経つと、多くのことが変化する。
ここ数年での大きな変化の一つは、ソラから学ぶことが座学中心から実技中心になったことだろう。
実技――より正確には、敵と戦う技術。それを俺はソラから学んでいた。
敵と戦う技術といっても、魔術ではない。そもそもソラは魔術が使えないので教えることはできないと言っていたし、父さんや母さんに頼んでみても、年齢的にまだ教えることはできないと言われてしまった。
一般的に魔術は、15歳前後から学ぶことが多いらしい。理由としては、それぐらいの年齢にならないと十分に魔術を使えるだけの魔力保有量にならないから――と、父さんは言っていたが、ソラに聞いたところ理由はそれだけではないらしい。
魔術は人々の日常生活にも利用されている技術だが、魔術が最も活躍しているのは軍事の場だ。
要するに魔術は人殺しの技術なのである。
ただ魔術を使えるというだけで、子供が大人を殺すことだって出来てしまう。だからこそ、感情に振り回されてしまう可能性のある子どものうちは、魔術を教えられないのだという。
そんなわけで、俺、いや、俺たちがソラから学んでいる敵と戦う技術というのも、敵を殺す技術ではなく、自分の身を守ることに重点を置いたものになっている。
「それでは、本日の訓練を始める」
「「はい!」」
10年前からまるで見た目が変わっていないソラの言葉に返事をするのは、俺とフォナだ。
時が流れて成長するのは俺だけではない。フォナももう、今年で10歳になっていた。
兄妹の仲は良好――という言葉だけで表すには少々懐かれ過ぎている感はあるが――と言っていいだろう。
同じ転生者であることから、打ち解けるのに時間は掛からなかった。しかしそれでも、お互いに前世の記憶があるため、どこか他人行儀なところが抜けなかったが、最近はそういったことを意識することもなくなっていた。
ちゃんと、兄妹らしくできているはずだ。
俺の抱く罪悪感を、隠し通せているはずだ。
「それじゃ、いつも通り走り込みから始める。フォナは疲れたら休んでいいからね」
「うん、分かった」
「フェリは最後まで付いてくるように」
「分かってるよ」
身を守る技術といっても、いきなり組み手を始めたりするわけではない。どんなことでも体が資本であり、体力がなければ始まらない。ソラの訓練では身体作りに割かれる時間が最も多かった。
ランニングのコースはいつも同じ。
家の正面玄関前から裏手に広がる森に入り、家の周囲をぐるっと大回りして正面玄関前に戻ってくる。このコースを毎回10周走る。
平地を走るのと違い、森の中は起伏が激しく足場も悪い。1周は決して長い距離ではないのだが、体力の消費が半端じゃなく、始めたばかりの頃は2周も走れば歩けなくなっていた。
しかし人間続けていれば成長するもので、今では10周走り切った後でも多少息が切れる程度にまで体力がついていた。ちなみに、同じ距離を走っているはずのソラは息を切らさないどころか、汗すら流さず平然とした顔で俺が回復するのを待っていたりする。端的に言って、化け物である。
「――ご、めんっ……私……もう、無理……」
3周目を走り終えたところで、フォナは地面に崩れ落ちた。
「3周か。徐々に距離が伸びてきてるね。それじゃあ、ここでしばらく休んでいるように。いくよ、フェリ」
「うんっ」
先ほどまでより速度を上げたソラ。フォナが脱落したことによって、レベルが俺専用に引き上げられた結果だ。
置いて行かれないようにこちらも速度を上げながら、銀色の髪を追い続けた。
◇◇◇◇◇
ソラさんとお兄ちゃんがさっきまでよりも明らかに早い速度で駆けていく。私は3周走っただけでこの有様だというのに。
「フォナ様、タオルと、お水持ってきました、です」
声のした方向へ顔だけを向けると、そこにはメイドのリネさんがいた。
「あ、ありがとう……」
そう返すものの、水とタオルを受け取れるだけの余裕が今の私にはなかった。日本にいたころは、もう少し体力があったと思っていたんだけど。やっぱり、17歳と10歳の体では勝手が違うみたいだ。
リネさんは私が動ける状態じゃないと判断すると、手に持つタオルで顔を拭いてくれた。水で濡らしてきてくれたようで、冷たさが心地よかった。
この世界に転生してきてもう10年。メイドさんに世話を焼かれるこの状況を日常と認識している自分がどこか可笑しくて、不意に笑いが込み上げてくるが、笑い声に変わる前にむせてしまった。
タオルで顔を拭かれながら笑顔でむせている状況は相当気味が悪いもののはずだけど、リネさんは何も言わずに背中をさすってくれた。
なんやかんや今のところ私は、この世界で元気に過ごしていた。
そのほとんどがお兄ちゃんのお陰だと言っていい。
まだ満足に言葉も話せなかった頃、同じ転生者であるお兄ちゃんの存在は途轍もなく大きかった。寂しいときは話し相手になってくれて、この世界の言葉も教えてくれた。
日本とこの世界の文化の違い。転生者だからこそ不便に感じる部分。そしてこの世界の常識など。助けられたという言葉だけでは言い表せない。
神様の言っていた、転生先の彼が力になってくれるという言葉は、嘘ではなかった。
ようやく呼吸が落ち着いてきて、水を飲む余裕ができた。
コップの中の水が半分程度になった頃、4週目のランニングを終えたソラさんとお兄ちゃんが戻ってきた。1周走り終えるまでの時間が、私がいた時の半分程度にまで縮まっている。
「遠いなぁ……」
知識も、体力も、身体能力も、練習中の身体強化も、たった2歳しか違わないのに全然敵わない。
「私も頑張らなきゃ」
何か特別な出来事があったわけじゃない。
全てのことは日常の些細なことで、それでも確かに、お兄ちゃんは私の尊敬の対象で、憧れで、心の支えだった。
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