第49話『悪意、進行』

「それが……フェリがおっぱい飲んでくれなくて……」


「…………は?」


 アテラに呼ばれ書斎を訪れたソラがまず初めに、落ち込んでいる様子のエンリィに声をかけたのは自然な流れだった。

 その結果としてソラは思考停止に陥ることになったのだが。

 ソラを現実に呼び戻したのはアテラの声だった。


「エンリィのことは気にするな」


「……何があったの?」


「少しは母親らしいことがしたかったんだろう」


「はぁ……」


 いまいち要領を得ない回答だったが、ソラは自分の疑問をとりあえず棚上げした。

 今はそんな話をしている場合ではないことをソラは理解していた。エンリィにとっては、”そんな話”ではなかったかもしれないが。


 アテラは未だ落ち込んでいるエンリィの隣に座り、机を挟んで向かい側のソファーにソラが座った。


「さて、早速だが本題に入らせてもらう」


「フェリの魔力切れの原因について、でしょ?」


「ああ。ソラとエンリィの意見を聞きたい」


 アテラは言い出した者の責務とでもいうように、まず初めに3つの可能性を上げた。


 1つ、身体強化による魔力切れ。

 2つ、未知の固有魔術による魔力切れ。

 3つ、それ以外の要因による魔力切れ。


「俺はどれも可能性はあると考えているが、この中で最も懸念すべきは3つ目の可能性だと思っている」


 魔力とは即ち生命力。魔術や身体強化などの魔力を消費する技術を使っていないにもかかわらず魔力が消費されれば、直接的に命に関わる。


「でも、フェリに魔力欠乏症の症状が出たことはなかったわよね?」


 先程までの落ち込み様をおくびにも出さず、エンリィも話し合いに加わる。

 魔力欠乏症は先天性の病で、後天的に発症することはほとんどない。魔力欠乏症を持って生まれてきた赤子は生後間もなくから魔力切れを起こし、ほとんどの場合で1歳の誕生日を迎えることなく命を落とす。エンリィが見てきた限り、フェリが魔力欠乏症と思われる症状を出したことは一度もなかった。より正確には、今回の件を除けば一度もなかった。

 そんなエンリィの意見を、ソラは肯定したが、賛同はしなかった。


「確かにフェリは魔力欠乏症ではないだろうね。けど、魔力が失われる原因は他にもある。そう考えているから、アテラ様は”それ以外の要因”なんて言い方をしたんじゃないの?」


「ソラの言う通りだ。俺は、外部からの干渉という線もあるのではないかと考えている」


 アテラがそう考える根拠は、フォナの誕生日に起きたあの事件だった。

 何者かに操られていたと思われるあの時のフェリは、本人が保有するよりも遥かに多い魔力を放っていた。もしそれが、外部から魔力の供給を受けた結果だとするならば、その逆、外部から魔力を奪い取ることも可能なのではないかと考えた。

 方法は分からない。アテラの知識の中にそんなことが可能な技術はない。しかしアテラは、自分がこの世のすべてを知っていると考えるほど自惚れてはいなかった。


「あたしも少し、意見いいかな?」


 アテラの話が一段落したところを見計らって、ソラが口を開く。


「ああ、ソラの意見を聞かせてくれ」


「あたしは、2つ目の可能性が一番高いんじゃないかと思ってる」


 ソラはいきなり自分がそう考えた理由を話すのではなく、アテラが挙げた1つ目と3つ目の意見の否定から始めた。


「まず身体強化による魔力切れの可能性だけど、これはありえないと思う」


 身体強化とは、自分自身の体内にある魔力を活性化させ、自身の身体能力を強化する技術だ。しかし、身体強化では魔力切れを起こすより先に魔力を活性化できなくなる。そのため、身体強化による魔力切れで気絶するなんてことは、そもそも不可能であるとソラは結論付けた。

 魔術師であるアテラは身体強化を使う機会が少ない。このことを知らないのも無理はなかった。


「外部からの干渉に関しては現状何とも言えないけど、もし何者かがフェリの魔力を奪ったのなら、何が目的だったんだろう。どうして気絶した時点で奪うのをやめたんだろう。なんでフェリを殺さなかったんだろう」


 前回、フェリが操られた時は、フォナを殺すという明確な目的を感じることができた。

 しかし今回はそれがない。何を目的としてフェリの魔力を奪ったのか。それがわからない。ソラには、誰かが何かを成し遂げるためにフェリの魔力を奪ったとは思えなかった。


 けれど、結局はそれは後付けの理由でしかない。

 ソラは、フェリの魔力切れが未知の固有魔術によるものだという根拠があった。


「実は、フェリが魔力切れを起こして倒れる前に、あたしの部屋に来たんだ」


 ソラは自分の部屋でフェリと交わした会話を二人に聞かせた。

 フェリが魔力の増やし方を聞きに来たこと。

 魔力は使い続けるほどに保有量が増えていくと伝えたこと。


 そしてもし仮に、フェリが自分の固有魔術を自由に使えるのならば、ソラに聞いたことを早速実践した可能性は高かった。


 そこまで話したところで、エンリィが手を挙げる。


「ちょっと質問なんだけど、固有魔術でも魔力切れを起こすことがあるの? そもそも、固有魔術って自分の意志で発動することができるの?」


 固有魔術は保有者が少なく、いまだ解明されていない部分の多い能力だ。それは、実際に固有魔術を保有しているソラにしても変わらない。しかし、エンリィやアテラよりも詳しいのもまた事実。

 ソラは、自分の知り得る限りの固有魔術の知識を話し始めた。


「そもそも固有魔術っていうのは、魔術や祝術、呪術で説明のつかない能力を総称したものなんだ。だから、一つとして同じ能力はないと言われるほどに、能力の内容は多岐にわたる」


 そんな固有魔術だが、能力の内容は『任意発動型』と『常時発動型』の二つに分類することができる。

 ソラの持つ『運命力を視る瞳』は常時発動型である。常時発動型の固有魔術は基本的に消費魔力が一定であり、本人の意思に関係なく常に発動しているのが特徴だ。ソラの場合、視界内に収めている生物全ての運命力が見えてしまうため、多くの生物を同時に視界に収めると、消費魔力量が跳ね上がる。

 もし仮にフェリの持つ固有魔術が常時発動型だった場合、何らかの条件を満たして消費魔力が跳ね上がった結果、魔力切れを起こした可能性がある。


 しかし、フェリが魔力切れを起こして倒れる前に、ソラがフェリに伝えた魔力を増やす方法。それをフェリが実行した可能性が高い現状、フェリの固有魔術は任意発動型だろうとソラは結論付けた。


「……ごめん。フェリが魔力切れを起こした原因は、あたしが不用意なことを教えたからかもしれない」


 謝罪とともに頭を下げるソラ。エンリィは無言で立ち上がると、頭を下げるソラを後ろから抱きしめた。


「フェリは私たちの子供でしょ? 責任の話をするなら、それは私たち3人にある。そうでしょ?」


 それは、フェリを育てると決めたあの日、3人で交わした約束。

 必ずフェリを、自分たちの責任の下で育て上げると。

 フェリが自分の力で自分自身を守れるようになるその時まで。


「エンリィの言う通り、責任は俺たち3人にある。だがしかし、今は責任云々の話をしていても仕方がない」


 話し合いが一段落したとみたアテラは、これまでの会話をまとめにかかる。


「結局のところ、フェリの固有魔術の有無も含めて、フェリ自身に確認するしかないと思うんだが」


「それができれば、あたしたちがこうして集まって話し合いをする必要はないんじゃない?」


 遠慮のないソラの意見に、アテラもエンリィも反論することはできなかった。

 そして、そんなソラの懸念通り、フェリから固有魔術に関する情報を聞き出すことはできなかった。

 本当に自覚がないのか、それとも隠し通しているのか。

 事の真相はフェリにしかわからないが、アテラ、エンリィ、ソラの3人は、今後さらにフェリの動向に注意するといった消極的な対応を取るしかなかった。



 ◇◇◇◇◇



  澄み渡る青空の下、舗装されていない道を歩く1人の男がいた。


「どちらにしようかな、っと」


 腰に下げた剣を道の分岐点に立てて手を離す。

 剣は重力に従って傾いていき、右側の道へ倒れた。


「じゃあこっちの道っすね」


 男は迷いなく足を進めるが、目的地は決まっていなかった。決める必要性も感じていなかった。

 男はただ、自分の心を満たすためだけに生きているだけなのだから。


『君に、殺してほしい人がいるんだ』


 その言葉のおかげで、男の人生は文字通り180度変わった。

 名前も内田創という別人のものになり、異世界にまで来ることになった。特に名前にこだわりがなかった男は、この世界でも『ソウ』と名乗っている。

 自分を生まれ変わらせてくれたあの神に毎日祈りを捧げるようなことはしないが、頼みごとを一つ聞くぐらいなんてことはない。むしろ、それだけで自分を生まれ変わらせてくれたのだから安いものだった。


 あの神は言っていた。まずは人探しからだと。

 あの神は言っていた。見つけさせると。


 ならば、自分はただここで生きているだけでいい。

 ただそれだけで、いつか必ず目的地に着く。

 その時が来たら、これまでのように、これからのように、いつものように、殺せばいいだけだ。


「おい、そこの兄ちゃん」


 ふいに、背後から声を掛けられる。

 振り返ればそこには、薄汚くみすぼらしい恰好をした男が、右手にナイフを持ってニヤニヤと笑っていた。


「荷物を全部置いていってもらおうか。素直に従うなら命までは取らないさ」


 その台詞が合図だったのか、道の左右に生えている木々の陰から、次々と似たような恰好をした者たちが現れる。


 もう、何度目か分からない。盗賊の類はどいつもこいつも同じようなことを言う。

 以前に一度興味本位で、荷物を全て言われた通りに置いてみたことがあるが、その時の盗賊たちは、ソウが一切の抵抗をせず指示に従ったにもかかわらず、前言撤回して襲い掛かってきた。

 盗賊とは元よりそういうものなのかもしれない。相手の答えなんて聞いていない。気にしていない。どちらにしたって結果は変わらない。


「本当にこの体は、運が悪いっすね」


 だからこそソウは盗賊の問いかけには答えず、独り言を呟いて剣を抜いた。

 路銀もちょうど少なくなってきたところだ。みすぼらしい盗賊といえど、多少の足しにはなるだろう。


 ソウは最初に声をかけてきた盗賊のほうへ体を向けると、互いの間にあった10メートルほどの距離を一足で駆け抜け、問答無用に首を切り落とした。



 ◇◇◇◇◇



「たった2600ぽっちっすか。オンラインゲームみたいな渋さっすね」


 予想していたことではあるが、盗賊の所持金は少なく、これでは本当に多少の足しにしかならなかった。


「こういう不幸は、あんまり求めてないんすけど」


 こんなことなら殺さずに、近くの町の憲兵にでも引き渡した方が金になったかもしれない。

 しかし今更そんなことを考えても後の祭り――というわけでもなく、実は一人生かされている盗賊がいる。


「うっ……ぅぁ……くっ――」


 生かされている理由は、盗賊団の中で唯一の女性だったから。ただそれだけだ。いや、もしかすれば他にも女性はいたのかもしれないが、気付かなかったのならいないのと同じことであるし、仮に複数人女性がいたとしても生かしておいたのは一人だっただろう。

 この女盗賊が生かされているのは、ソウが女性なら誰であろうと優しくする紳士だったからではない。もし本当に紳士なのだとしたら、両足の腱を断ち切って歩けなくした上で地面に転がすなんて真似はしない。

 ただ単純に、女性が盗賊団にいるのが珍しかったから生かしてみただけだ。

 盗賊など、他者のものを奪って生きることしかできない獣と同列以下の存在。そんな中に女が一人放り込まれたらどうなるのかは、想像に難くない。

 良くて性奴隷。運が悪ければ犯された後で殺されるだろう。

 しかし彼女は奴隷としてではなく、盗賊団の一員としてここにいる。盗賊団の男たちと肉体関係はあっただろうが、盗賊として生きていける程度には強かったということだ。

 思い返してみれば、彼女は他の盗賊よりも強かったかもしれない――いや、そんなこと気にしてすらいなかったので分からないが、まあ、どうでもいい。


 結局のところ、彼女が今のところ生かされているのには、それぐらいの理由しかないということだ。


 ソウは血に塗れて使い物にならなくなった剣を地面に放り捨てると、女盗賊に近づいていく。


「ま、待ってくれ……っ、あたし、下の具合が良いって評判だったんだ。必ずあんたを満足させてみせる……っ。だから……命は……」


「へぇ、そうなんすか」


 ソウは然して興味もなさそうに答えると、近くに転がっている盗賊の死体からナイフを拝借し、女盗賊の服だけを引き裂く。

 女盗賊は手で胸や秘部を隠したりはしなかった。その顔に浮かぶ僅かな安堵は、ソウが自分の誘いに乗ってくれたと勘違いしているからだろう。


 ソウは女盗賊に馬乗りになると、無造作に胸を鷲掴みにした。

 柔らかいが、ただそれだけだ。性的な興奮は起こらなかった。

 別にそれは、ソウに性欲がないからではない。

 性的な興奮よりも遥かに強い、別種の興奮で高ぶっているからだった。


 ソウは女盗賊の胸から手を放し、両手を首元へと移動させる。

 最初は撫でるように優しく首に触れていた両手は、首に纏わりつくようなものへと徐々に変化してき、細い首をゆっくりと締め上げていった。


 安堵を浮かべていた女盗賊の顔は、自身の首にソウの手が伸びてきた辺りで疑問に変わり、その直後、絞められていると理解した瞬間に恐怖に歪んだ。

 女盗賊は自由に動く両手で必死の抵抗を試みるも、ソウは首を絞める力を緩めることなく、徐々に徐々に、焦れるほどゆっくりと込める力を強めていった。


 女盗賊の感情が恐怖から怒りへと変わり、可能な限り全力で、ソウのことを両手で殴りつける。

 しかし、首を絞めるその力は弱まることなく強まるばかり。


 怒りが再び恐怖へと変わった。


 女盗賊の瞳からは涙がこぼれ、声にならない悲鳴を上げる。

 元気よくソウを殴り続けていた両手からも次第に力が抜けていき、ビクンッと女盗賊の体が跳ねると同時に動かなくなった。


 しかし、ソウはまだ力を緩めない。

 この段階ではまだ死んではいないことを、ソウは経験上知っていた。

 それからたっぷりと10分ほど首を絞め続けると、ソウはようやく女盗賊の首から手を離した。


 目は見開かれたまま白目を剥き、舌はだらしなく口から垂れている。全身の筋肉の弛緩により死体は酷い有様だったが、ソウは女盗賊の死体を確認することもなく立ち上がり、盗賊が持っていた手頃な剣を自分のものにすると、何事もなかったかのように歩き出した。

 もう、ここには死体しか残っていない。

 死体には、興味がなかった。


「それにしても、殺すのはやっぱり素手に限るっすね。刃物で切り殺すのなんか、料理で生肉切ってんのと変わんないっすよ」


 欲も満たせて、僅かではあるが金も手に入った。


 ソウは、とても気分が良かった。

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