第48話『おっぱい飲む?』
ソラの部屋から逃げるように――実際逃げてきた――自分の部屋へと戻ってきた俺は、早速魔力消費による保有魔力増強を試してみることにした。
空間制御能力において魔力を消費する場合は大きく分けて二つ。
一つ。結界を構築する。
二つ。結界内で能力を行使する。
女神から貰った空間制御能力は結界内の空間でしか能力の効力がないため、何をするにも結界の構築が必要不可欠だ。
しかし現状、俺の持つ魔力量では能力を十分に使用するだけの結界構築すら難しい。
なのでとりあえずは、結界の構築のみで魔力増強を図り、結界内で能力が使用可能になることを目指す。
結界構築にはまず、自身の魔力を周囲の空間に拡散する必要がある。
拡散といっても垂れ流しにする訳ではなく、制御した状態で周囲に魔力を広げていく感じだ。
イメージとしては、水の上に浮かべた凧糸の端を持ち、糸の反対側を思い通りに動かそうとするような、そんな感覚。
正直簡単な話ではないし、まだまだ思い通りには動かせない。しかし、漂うままに広げていくことは、そこまで難しくはない。
魔力を流して暫くすると、自分の魔力が部屋の隅まで行き渡る。が、この範囲で結界を構築しようものなら魔力切れを起こしておそらく死ぬ。
だからこそ、最初は出来るだけ狭く、小さく、自分の体しか入らないような、極々小規模な結界を構築する。
一年ほど前は結界構築後に積み木を数センチ移動させただけで気絶したが、今はその時より魔力量も増えている。いきなり死ぬ、なんてことはないはずだ。
「……出来れば、気絶しませんように」
立ったまま目を閉じて、意識を集中させる。
大丈夫。この規模なら万が一にも死ぬことはない。まあ、死ななければ良いということでも無いような気がするけど。
「――結界、構築」
ガラスにヒビが入ったような、甲高い音が耳に届く。頭の中に描かれるのは、3Dモデルのように360度好きな方向から眺めることのできる自分の姿。
結界内が自分の支配下に入ったことで、結界内の空間を自在に把握できるようになったわけだ。
気絶は……どうやらまだしていない。といっても、この状態も長くは持たないだろう。
「この程度なら、案外なんてことな――」
なんて、楽観的なことを口にしようとした瞬間、視界が暗転する。いや、もともと目を瞑っていたのだからこの言い方はおかしいのだが、そうとしか表現のしようがなかった。
頭の中にあった自分の姿がパチンと消え、それが魔力不足による結界崩壊が理由であると気が付き、目を開けた時には、
自分の目の前に、床が迫っていた。
◇◇◇◇◇
何か、柔らかいものが触れている。
心が落ち着く温かさを持っていて、手触りはサラサラと気持ちよく、押せば柔らかさの中にある弾力によってしっかりと押し返される。
何だ、これは。
「んっ……ちょっと、くすぐったいわ、フェリ」
聞き慣れた声に目を開けるとそこには、絹糸のような金髪を耳にかけながら俺のことを見下ろす母、エンリィの姿があった。
ああ……なるほど。これは、膝枕か。
「おはよう、フェリ。よく眠れたかしら?」
「……おは、よう」
というか、何故俺は膝枕なんかされているんだろう。確かさっきまで部屋で……。
「フェリ、体の方は大丈夫? 怠かったりしない?」
「うん、大丈夫……」
「そう、よかった……。ソラが部屋で倒れてるフェリを見つけてくれたのよ」
そうか、そうだった。魔力を増やそうとして、空間制御能力を使って、そして多分、魔力切れで気絶した。そこを、幸か不幸かソラに発見されたわけだ。
「魔力のほとんどを使い果たした状態で発見されたの。フェリ、一体何をしていたの?」
「えっ……と」
どうしよう。なんて答えよう。
能力のことを話してしまおうか。だとしたら、どこから話すべきだ? 自分が転生者だってところから? 話したところで信じてもらえるのか? いやまて、いっそ何も覚えていないことにするのは? まだ2歳だし多少支離滅裂なことを言っても流してくれそうな気も――。
迷った挙句、しらを切り、しらばっくれて、全て忘れたことにしようと俺が決めた時、少し離れた位置から声が聞こえてきた。
しかしそれは言語の形をとってはおらず、意思があることは感じられるが意味は読み取れない。文字に起こすとするならば、「あうあう」なんて表記されるだろう声だった。
「ごめんねフェリ、ちょっと起きられる?」
言われるがままに体を起こすと、母さんは近くの揺り籠まで歩いていき、その中にいたフォナを抱き抱えた。
そういえばと見回せば、ここはフォナの部屋兼母さんの部屋だ。
フォナを抱えたまま母さんは元々座っていたソファーまで戻ってきた。
そして、着ていたゆったりとしたワンピースを脱ぎ始めた。
「え……?」
あっという間に上半身を露わにした母さんは、胸元に着用しているブラジャーのような布製の下着も外し始める。
唖然とする俺を置いて、母さんは自分の胸にフォナの顔を寄せると、小さな口を大きく開けてフォナは胸に吸い付いた。
いや……うん。この光景自体は、乳児を持つ母親として何もおかしなところはない、はずだ。俺にとって母親はエンリィが初めてと言っても過言ではないので確証はないが、きっと何も問題はないはずだ。
問題なのは、俺がどうするべきなのか、ということだ。
授乳自体は何もおかしな行為ではないし、対外的には2歳の子供ということになっている俺がそれを見ていたとして、何も問題になることはない。
しかし、精神年齢が20歳を過ぎているいい大人の俺としては、この状況に気まずさを感じずにはいられない。
こんな時、どうするのが正解なんだろう。
不思議そうに眺めていればいいのか、興味深そうに観察していればいいのか、それとも羨ましそうに見つめていればいいのか。
……どれもダメな気がする。
というか、俺ってもうここにいる必要ないんじゃないか?
この場にいる意味がないことに気づき、さっさと部屋を出ようとした俺の背後で、「そうだ!」という母さんの声が聞こえてきた。
きっとこの時俺は、早く部屋を出るべきだったんだろう。
「どうしたの?」
けれど俺は、振り返ってしまった。
言葉の続きを、促してしまった。
「フェリもおっぱい飲む?」
「………………」
思考停止とは、まさしくこのことを言うのだと思う。
耳に入ってきた言葉にはきちんと意味があって、発音も文法も変なところなんか一つもなくて、俺はこの世界の言葉を理解できるようになったはずなのに、意味が分からなかった。
「フォナだけじゃ飲み切れなくて、胸が張っちゃうのをどうしようかと思ってたんだけど、飲んでもらえば解決よね」
母さんの手が俺の腕を掴む。
我に返ったのはこれがきっかけだった。
「いや、ちょっとまって母さん」
「それに、フェリの時はおっぱいを飲ませてあげられなかったから。もうちょっと大きくなってたらあれだけど、まだ2歳だし、問題ないわね」
問題大アリですが!?
グイグイと腕を引っ張られ、少し踏ん張って抵抗すると、母さんは片手でヒョイっと俺を持ち上げて膝の上に座らせてしまう。一体この細腕のどこにそんな力が。
大体今の俺は見た目は子供、中身は大人の某名探偵状態であって――ってそれを言ったらフォナだって中身は女子高生じゃなかったか? どんな気持ちでおっぱい吸ってるんだこいつ。
「はい、フェリ、あーん」
「いやっ……ちょ、まっ――」
◇◇◇◇◇
「はぁ……」
「……どうした? 溜め息なんかついて」
話があるとアテラの書斎に呼ばれたソラが、書斎に着いてまず最初に目にしたのは、椅子に座って頬杖をつきながら溜め息をこぼすエンリィの姿だった。
「それが……フェリがおっぱい飲んでくれなくて……」
「…………は?」
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