第40話『完全記憶能力』

 完全記憶能力。瞬間記憶能力。映像記憶。写真記憶。直観像記憶――

 様々さまざまな呼び方があるようだが、幸は特に呼び方を気にしたことはなかった。


 見たものを一瞬で記憶することが出来る能力。

 自分にそんな能力があると気が付いたのは、幼稚園に入る少し前のことだった。


 昔から何かを記憶するのが得意だった。

 一度会った人の顔は忘れなかったし、読み聞かせてもらった絵本などを暇なときに頭の中で読み返すのは、小さい頃から幸の暇潰しの手段、遊びの一つだった。

 小学校に入る前から平仮名と片仮名、そして一部の漢字の読み書きは出来できていたし、トランプ遊びの神経衰弱では、両親に一度も負けたことがなかった。


 しかし幸は、それが特別なこととは思っていなかった。

 みんな、一度見たものは忘れないものだと思っていた。

 神経衰弱だって、きっと両親が手加減してくれているのだろうと、そう思っていた。だってそうでもなければ、一度表になった札の位置を間違えるなんてこと、あるはずがなかったから。


 自分に物事を一瞬で記憶する力があると知りながら、それが特別なものだと気付くのは、小学校に入ってから2年がった頃だった。


 自分自身の記憶力が特別なものだと思っていなかったが故に、幸はそのことを誰にも伝えてこなかった。

 だから、不思議でならなかった。


 ――どうしていまだに九九をきちんと覚えていない人がいるのだろう。

 ――漢字のテストでわざと間違えることに何の意味があるんだろう。

 ――一度見れば覚えられるのに、どうして黒板に書かれた内容をノートに写さなければいけないんだろう。

 ――一回読んだ教科書を何で毎日持ってこなければいけないんだろう。


 実際にそう口にしたわけではなかったが、幸のこうした異常性は、学校という集団生活の場で幸を孤立させるには十分だった。


 クラスに馴染なじめないことで悩んだ幸が、全てを両親に打ち明けたのは、3年生への進級を控えた春休み。

 初めてそこで、自分の記憶力が異常であることに気づいたのだ。


 ――普通、教科書の内容を一言一句漏らさず記憶することは出来ない。


 ――普通、初めて見聞きした物事を完全に覚えておくことは出来ない。


 ――普通、記憶は失われていくものである。


 それを知ってから、幸が学校で友人関係に悩むことはなくなった。

 今までは、常識に齟齬そごがあった故に、話がわなかっただけで。

 明るく、誰にでも優しく、容姿も整っていた幸がクラスに馴染めない理由は、何処どこにもなかったのだから。



 ◇◇◇◇◇



 幸は目を閉じて、本が仕舞われている引き出しを片っ端から開けていく。

 小説にしようか、漫画にしようか、こんな体だし、絵本というのも良いかもしれない。

 そういえば、随分前に大人でも感動すると話題になった絵本があったはずだ。軽く読み流しただけなので内容も覚えていないし、丁度ちょうど良いだろう。


 絵本が仕舞われている引き出しを開けていき、目的の絵本を見つけると、取り出して引き出しを閉じる。

 少しだけ期待に胸を膨らませつつ、その絵本を開く。


 ガチャリ、という部屋の扉が開いた音が聞こえたのは、その直後だった。

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