第28話『銀髪の家庭教師』

 部屋を出ると、外には心配そうな顔をしたリネが立っていた。


「あ、ソラさん。それにフェリ様も。あの、奥様は……?」


「出産は無事終わったよ。元気な女の子だ」


「そ、そうですか……よかったです……」


 リネはほっと胸を撫で下ろす。

 そんなに心配なら部屋に入ればいいと思うのだが、使用人として思うところがあるのか、自分から部屋に入ろうとはしなかった。


「はぁ……」


 未だに心配そうな顔で部屋の扉を見つめるリネを見兼ねたのか、ソラはリネに仕事を頼んだ。


「水差しの中身が無くなりそうなんだ。エンリィに水を持って行ってあげてくれ」


「え、あ、はい! 畏まりました!」


 水を得た魚、いや、仕事を得たリネと言うべきか。

 さっきまでの暗い表情はどこへやら。ぱっと身を翻し、ぱたぱたとキッチンへ駆けて行った。


「……せわしない奴だな」


「本当にね」


 明るいというか、ひたすらに元気というか。その場にいるだけで空気を明るくさせる、そんな人だ。


「さてと。それじゃ、あたし達も行くか」


「どこに行くの?」


「あたしの部屋だよ」



 ◇◇◇◇◇



 この家は、裕福だ。

 そのことを理解するのに、それほど時間は必要なかった。

 家で何人もの使用人が働いていたし、家も屋敷と言っていいほど大きかった。他と比べられるほどこの世界を知っているわけではないが、使用人が何人もいて、自分専属の世話係がいるような状況は、普通ではないだろう。


 では、そんな屋敷の主人である俺の父親が一体何をしている人物なのか。端的に言えば、俺の父親は軍人らしかった。

 さらに付け加えると、軍人の妻である俺の母親、エンリィもまた、軍人なのだった。


 一口に軍人と言ってもその種類は様々だ。

 前線で実際に戦う者。後方で支援をする者。作戦を立案する者。これらは全て軍人として括ることができる。

 父さんと母さんはこの中でも、前線で戦う軍人に分類される。

 しかし、前線で戦うと言っても、塹壕に立てこもり銃で敵を撃つなどの戦闘をするわけではない。そもそもこの世界には、飛び道具の類がほとんど存在しないようだった。

 その理由は、今は置いておくとして。


 二人は、魔術師なのだ。


 魔術と呼ばれる異能を操り、敵を殲滅し、国を守る。それが、二人の仕事だった。


 そんな仕事に思うところがないと言えば嘘になる。

 ただ、この世界で2年近く過ごし、様々な知識を得るに連れ、そうした気持ちは消えていくと同時に、日本は、地球は平和だったのだと思い知らされた。


 この世界は安全ではない。

 人間は、生態系の頂点に君臨する存在ではない。人間の敵は必ずしも人間ではない。しかしそれでも、人同士の争いはなくならない。

 だからこそ、自己防衛の手段を用意しておくことは重要なのだが、この家で働いている使用人の中に、いわゆる警備員は存在しない。

 父さんと母さんが魔術師で、戦力的に必要ないというのもあるが、それ以上に、この家には最強の護衛がいるのだ。


 それが、今俺の手を引いて横を歩いている少女、ソラだった。


 肩下まで伸びる銀色の髪を後ろで結っている彼女は、見た目では10代の少女にしか見えない。

 しかし彼女は、人間ではない。

 エルフという長命種族である彼女は、見た目通りの年齢ではない。

 正確な年齢を聞いたことはないが、少なくとも100年は生きているとのことだった。

 そしてその戦闘能力は、王族の警護すら任されるほどだ。


 見た目に反して経験豊富な彼女は、俺に様々なことを教えてくれる。


 この世界の一般常識的な部分から、護衛ならではの少し物騒な知識まで、知識の幅はとても広い。

 家庭教師のようにソラから何かを学ぶのが、今では毎日の習慣になっていた。

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