第27話『新たな命』

 俺が2歳の誕生日を迎えてから、2ヶ月ほどが経過した。

 それは同時に、俺がこの世界に転生してから2年以上の月日が経ったということだ。


 日本にいた頃。それこそ仕事を始めてからは、1年など時間が加速しているのではと錯覚するほど瞬く間に過ぎ去っていた。

 しかし、この世界では1年が、1ヶ月が、1日が、驚くほどに長く感じる。


 不自由なこの体が新鮮で、目にするもの全てに興味をかれる。

 体とともに心まで若返ったかのように、些細ささいなことが魅力的で、身近なものが輝いて見えた。


 俺の不幸体質は相変わらずこの世界でも健在だが、今の所、俺の四肢が何処か欠けたり、身の回りの誰かが死んだりするようなことは起こっていない。

 去年のあの地震以降、虫の知らせもない。もっとも、これに関しては自分の意思でどうにかなるものでもないので、安心はできないのだが。


 ここ1年で俺の生活は大きく変化した。

 具体的には、立って歩けるようになったことで、一人でできることがかなり増えた。

 まだまだ思うように動けないこともあるが、日常生活ではあまり問題にはならない。


 言語に関しても、日常生活で不自由を感じることはなくなった。

 他人の手助けなしに本も読めるようになった。とは言え、本の内容を理解できるかどうかは、また別の問題なのだが。


 まだまだ慣れないことや分からないことは多いが、一先ひとまず俺はこの世界で平和に暮らしていた。



 ◇◇◇◇◇



 部屋に響き渡るのは、赤子の“産声”。


「おめでとうエンリィ、元気な女の子だよ」


 ソラに抱き抱えられた赤子がタオルに包まれ、母さんの横に寝かされる。

 泣き続ける赤子とは対照的に、母さんの顔はとても穏やかだった。


「始めまして、フォナ」


 赤子の顔に優しく触れながら、母さんは語りかける。


「フェリ、お前の妹だ」


 一緒に出産を見守っていた父さんが俺の頭を撫でながら言う。


「妹……フォナ……」


 もちろん、自分に妹ができることなど、赤子が生まれる前から理解していた。日に日に大きくなっていく母さんのお腹を見れば、一目瞭然だった。

 けれど、生前一人っ子だった俺には、兄妹とはどういうものなのか、全く分からなくて。

 実際に妹の姿を見ても、兄になるという実感は湧かなかった。


「名前、決めてたんだ」


「ああ、もちろん。男の子だった時は“フォルト”、女の子だった時は“フォナ”と名付けることにしていたんだ」


 いつだったか、名付けについての話を聞いたことがあった。

 この世界では、生まれる前の子供の性別を調べる方法がない。

 いや、魔術なんてものがある世界なので絶対にないとは言い切れないのだが、少なくとも俺は知らないし、方法があったとしても一般的ではないだろう。

 だからこそ、子供の名前を考える時は、生まれてくる子が男の子でも女の子でもいいように、両方の名前を考えておくのが普通らしかった。


 話を聞いた時は深く考えなかったが、今思い返してみると疑問が湧いてきた。


 それは、俺が女の子だった場合、どんな名前が付けられていたのか。


 別に知ったところでどうなるものでもないし、知る必要もないことなのだが、気になった俺は父さんに質問をしてみることにした。


「ねえ、父さん」


「どうした?」


「俺がもし女の子だった時は、どんな名前を付けるつもりだったの?」


「え? それは……」


 言葉は、そこで途切れる。

 使わないからと忘れてしまったのだろうか。


 顎に手を当てて考え込んでいた父さんが口を開こうとした、その時だった。


「フェリ」


 背後から名前を呼ばれて振り返ると、そこにはさっきまで母さんと話をしていたはずのソラが立っていた。


「エンリィは出産で疲れてるし、アテラ様もまだフォナの顔をちゃんと見てない。あたし達は外に出よう」


「え? う、うん、分かった」


 返事をするかしないか、ソラは俺の手を取って部屋の出口へ歩く。まるで、俺の返事の内容が同意か拒絶かなど、どちらでも良かったかのように。


 部屋を出る直前。振り返ると、父さんと目が合った。その顔には、少し困ったような笑みが浮かんでいた。


 その表情のまま、父さんの口がゆっくりと、何かを呟くように開かれる。


 俺が口の動きから意味を読み取る前に、閉じられた部屋の扉に遮られ、父さんの姿は見えなくなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る