第17話『母親というもの』

 全身を襲う浮遊感。その原因が、抱き抱えられたことによるものだと気づくのに、そこまでの時間は必要なかった。


 抱き抱えられて、見上げる。

 綺麗きれいな女性だった。

 肩あたりまで伸びているサラサラとした金髪に、深く吸い込まれそうな黒い瞳。

 優しげに微笑ほほえむその女性は、俺を見つめながら何か言葉を発している。


 しかし、分からない。


 日本語ではなかった。英語でもなかった。語学に堪能な訳ではないが、その言葉は今までに聴いた言語のどれとも一致していないように思う。


 まさか、と言うべきか。やはり、と言うべきか。


 この世界では、日本語は通じない。


 異世界なのだしそれはそうだろうと納得する反面、微かな違和感も感じる。


 物語の世界では、日本語が通じることが多いから。

 転生の特典として、言葉を話せるようになっている場合が多いから。

 何処どこかで自分も、と、期待していた。

 けれど現実は、そこまで優しくはないらしい。


 しかしまあ、幸いなことに、転生した姿は赤子な訳で。時間は山ほどあるし、考えられる理性もある。

 気長に学習していくしかないだろう。


 意識を目の前の女性に戻すと、他にもこちらをのぞき込む顔があることに気づく。


 1人は、短く整えられた黒い髪の男性。

 鼻筋の通った顔に、宝石のような赤い瞳。

 これは……笑っているのだろうか。ほとんど無表情と変わらない小さな笑みを浮かべ、こちらを見つめてくる。


 もう1人は、肩より下まで伸びる青い髪色の女性。その上瞳まで青色と、なんだか“異世界”を感じさせる容姿だ。

 どことなく、金髪の女性より幼い印象を受ける。

 そしてなによりも特徴とくちょう的なのが、その笑顔。

 金髪の女性は微笑んでいた。黒髪の男性は微かに笑みをたたえていた。そしてこの女性は、太陽のような満面の笑みを浮かべていた。


 ここまで純粋で屈託のない笑みは、初めて見た。

 その笑顔は、何の理由もないけれど、自然とこちらも笑顔になれる、素敵すてきなものだった。


 この人たちは、一体誰なんだろう。

 黒髪の男性が父親だとするならば、母親は2人の女性の内どちらなのか。

 何か判断材料がないかと2人を見比べてみるが、確証を得られるだけのものはない。


 先ほど鏡で確認した自分は黒髪だった。詳しい目の色までは分からないが、黒っぽかったように思う。

 目の色だけで言えば金髪の女性が母親っぽいが、青色の髪を見る限り、この世界における髪色の決定がメラニンによるものなのか疑わしい。

 そもそもこの世界のと地球にいたのだから、全く別の要素によって髪色が決まっていても可笑しくないし、色素が遺伝しなかったとしても不思議ではない。


 となると、判断は身体的特徴以外でするしかないのだが、どうやらそれは当たりのようだった。


 俺を抱き抱えている金髪の女性は、派手……とは言わないが、綺麗な色彩の服をまとっている。

 対して、青髪の女性はシンプルな黒色の、そう、メイド服に似たような服を着用していた。


 もし俺が、この家の子供として生まれたのなら、きっと、母親は金髪の女性の方だろう。それならば、真っ先に俺を抱き抱えたことにも納得がいく。


 母親。この女性が、母親。


 不思議な感覚がした。


 それは、俺の感性が日本人的だからとか、金髪の女性が所謂いわゆる外国人的な顔立ちだからとか、そういう外見的なものが要因ではなくて。


 ただ、というものに、会ったことが、今までになかったから。


 自分の中で、母親という存在は何処か、遠いものに感じていた部分があって。


 だから、今こうして、母親かもしれない人に抱き抱えられているというのは、こう、上手く説明できないけれど。


 嬉しかったんだと思う。

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