第16話『トラックで轢いて異世界転生』

 もやがかかった視界。水の中にいるようなもった聴覚。麻酔後にも似た鈍い触覚。

 脳と体の情報伝達に齟齬そごでもあるのか、体が上手く動かない。


 なんだっけ。何してたんだっけ、俺。

 と言うか、何処どこだここ。

 まだ少し視界ははっきりしないが、視界に映る白いものは、多分天井だろう。

 こういう時は確か――


 ――知らない天井だ。


 そう言おうとして、言葉が出ないことに気づく。

 いや、より詳しく説明するならば、声自体は出ていた。それがおよそ、言語の体を成していなかったというだけで。

 きっと周りからは「あー、うー」とか言っているように聞こえたのではないだろうか。


 でも、どうして。

 なんで言葉が喋れなくなっているのだろうか。

 その答えは、すぐに分かった。


 周りを見渡そうと顔を右に向けると、そこには大きな鏡があった。

 ようやくはっきりしてきた視界で確認する限り、それは鏡台なのだろう。

 しかし、問題は鏡台そのものではなく、鏡の中に映るもの。

 おりのような囲いがついた寝台。一般的にベビーベッドと呼ばれるものの中で寝ている、見覚えのない赤子。


 その赤子と、目が合った。


 これは、あれだ。

 そうだ、俺は。


 ――彼女を、生き返らせてください。そして、異世界には、俺が行きます。


 体にかかる重力の向き。

 自分と同じタイミングで瞬く赤子。

 上手く動かない自分の体。


 そうだ、赤子は。


 この子は――――俺だ。



 ◇◇◇◇◇



 そうか、転生、だもんな。

 転移ではなく、転生なのだから。

 そりゃ当然、25歳男性の体のままな訳がない。


 しかし、だ。


 確かに転生はしたのだろう。

 これが夢や幻想、妄想、幻覚の類でなければ、俺は赤子の体に転生した。

 だが、ここが本当に異世界なのか、という点に関しては今ひとつ実感を持てずにいた。


 例えば、鏡に映る自分の姿がそもそも人間じゃなかったとか。

 髪の色がエキセントリックな蛍光色だとか。

 地球ではありえないような分かりやすい違いがあれば、異世界に転生した実感というものも湧いたかもしれないが。

 鏡に映る自分は生前と変わらぬ――というか、そもそも死んで転生した訳じゃないのだが――黒髪。

 頭からツノが生えていたり、肌の色が緑色だったりすることもなく、何処からどう見ても人間の子供だ。

 その上、俺が転生直前に記憶の保持をお願いしてしまったせいで、一部を除いて記憶はそのまま。


 そんな状態で異世界に来た実感など、どうやって感じれば良いというのか。


 しかし、何もかもそのままという訳ではなく。若干じゃっかんではあるが、異世界を感じさせるものがあった。


 それは、新たに追加された新しい記憶。身に覚えのない知識。

 おそらくは、女神から譲渡された「空間制御能力」とやらがこれなのだろう。

 頭の中に直接説明書が埋め込まれているような、見知らぬ鮮明な知識。

 能力の概要、発動方法と条件。その他諸々が新たな記憶として詰め込まれていた。


 いち男として。いちオタクとして。いちゲーマーとして。

 今すぐにでもこの空間制御能力とやらを使ってみたいが、現在は能力使用に必要な魔力が足りず使えないようだった。

 何故なぜ、魔力が足りないとかそんなことが分かるのか。理由は、よく分からない。

 例えるとするならば、「あ、これ以上息を止めていたら死ぬな」といったような、漠然とした危機感。


 多分、きっと、今この能力を使えば、俺は死ぬ。


 なんとなく、そんな気がした。


 魔力が足りないから使用不可とか、なんだか、異世界というよりもゲームの世界に来たみたいだ。


 そんなことを考えていると、唐突に、突然に、浮遊感が全身を襲った。

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