第8話『叶えられぬ願いなら、引き換えに』

 ――貴方が生きている以上、彼女を生き返らせることはできないのですよ。


 その言葉は、思わぬ鋭さを持って俺の心に突き刺さった。


 ――お前に彼女を救うことはできないよ。


 そう言われているような、気がしてしまって。


「ち、違うのですよ! そういう意味で言ったのではなくて――」


「分かってますよ。何か事情があるんですよね。時間がなくて説明できないって言ってたことに」


「……はい」


「全部、1から説明してくれとは言いません。でも、少しぐらいなら、教えてもらえませんか?」


「……分かりました」


 女神は、腰まで伸びる髪を手で弄りながら暫く俯いた後、とつとつと話し始めた。


「事故被害者の彼女を殺そう考えた人がいる。そう言ったのを覚えていますか?」


「ええ、もちろん」


「彼女は、何の理由もなしに殺されたわけではないのですよ。そして、事故を起こして彼女を殺してしまう人物に貴方が選ばれたのも、ちゃんと意味があるのですよ」


「意味……?」


 俺と彼女は全く面識がない。事故の瞬間が初対面だったはずだ。

 なんで俺が選ばれた? なんで彼女が選ばれた?


「今は、それについて説明することはできないのですよ。でも、彼女が死んだからと言って、その“理由”がなくなった訳ではないのですよ」


「それは、どういう……」


「つまり――今彼女を生き返らせても、もう一度、今回のような出来事が繰り返されてしまうだけなのですよ」


「俺が、もう一度彼女を殺してしまう……ということですか?」


「確定ではないのですよ。それでも……彼女を救おうとしている者の1人として、再び殺されるかもしれない可能性がある状態で彼女を生き返らせることは、できないのですよ……っ」


 ……そうだ。この女神も、考えてることは俺と同じだった。

 そして、きっとこの人は、俺よりも多くのものを抱えていて、俺よりも多くのことを知っていて、俺よりも責任ある立場にいるからこそ、安易な決断を下せないのだと思う。簡単に人を、救えないのだと思う。

 それでも、できる範囲での最善を考えてくれている。


 だったら、今の俺にできることは。


「なら、彼女を生き返らせることと引き換えに、俺を異世界に送ってくれませんか」


 俺にできる範囲で、その手助けをすることだ。


「引き換えに……でも、それは――」


「できませんか?」


「……で、できます――けど! 貴方は自分の言っていることが分かっているんですか!? 異世界へ行くというのは、今まで生きたこの世界を手放すということなんですよ!? 家族も、友人も、財産も、これからの可能性さえ、全て! 貴方はそこまでして――」


「でも、彼女は全てを奪われた。自分の意思とは、無関係に」


「っ……」


「それに、神様なら分かってるんじゃないですか? 俺には失うべき家族も、悲しんでくれる友人も、可能性なんて不確定なものに縋る希望さえ、ないことに」


「……そ、れは」


 そんな生易しい人生は送ってこなかった。掴んでも抱えても、こぼれ落ちてしまうから。いつからか俺は、何も手に入れないようになった。

 何も失わないように。誰にも迷惑をかけないように。死ぬときは、1人で死ねるように。

 そんな俺に、これ以上失うべきものなんてなくて。

 それでも、平等という名の下に、等しく慈悲を与えてくれるなら。


 せめて、自分の意思で全てを失いたい。


「……願い、叶えてくれるんですよね? 繰り返しになりますけど、もう一度言います」


 願い自体は、何も変わらない。ただ、少し具体的な理由が付いただけだ。


「彼女を、生き返らせてください。そして、異世界には、俺が行きます」

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