エピローグ
※
「実はこの春引っ越すことになりまして」
「え……ええぇえぇええー!?」
サラの衝撃の告白は三学期に入ってからもたらされた。
三学期も三学期、期末に近い所での突然の話に俺達隅川小怪奇倶楽部(もうなんかこれで一括りにして良い気がしてきた)は、驚きの声を上げた。転校生だったんだから転勤族なのは当たり前だろうが、一年はあまりに少なすぎだろう。そう言うと、『でも決まっちゃったことなので』と、ひょうひょうと流される。きっと彼女にとっては珍しくない事象だからなのだろう。引っ越し歴四回、一所にとどまるのは多くて三年程度だろうから、別れには慣れている。そんなもんに慣れんで良いと思いたいが、俺も呆気に取られていた。
なんとなく、卒業するまでは四人の倶楽部が続くと思っていたのだ。なんとなく、何の根拠もないけれど、続いて行くと思っていた。サラが日常に入り込んできたのはまだ一年足らずの事だが、院のインパクトやら本人の無自覚なその光や施しに、俺達は甘えていた。ちょっと弱くなっていたのだろうか。ぐっと掌に爪を立てて、俺は何とか平静を装う。
「引っ越しはいつなんだ?」
「三月二十八日です」
「そんにゃの! 早すぎるよ、ちょっと前に転校して来たばっかだってーのに……!」
「それでも一年ですよ。半年で転校したことがあるぐらいですから、引っ越しも珍しくありません」
「……場所は?」
「都内です」
「じゃあ、会おうと思えば会えるよね? 隅川小にいなくなっても、怪奇倶楽部は続くよね!?」
曖昧な笑みを浮かべるサラに、後ろを向いている院。なんか怪しいなと思うには十分だったが、あざみも炉吏子も泣きだしたので、俺はその二人を撫でる事を優先した。えっ、えっとしている二人の頭をぺしぺしと叩いてやる。どうせ中学には一緒に行けないと思ていたんだ、それがちょっと早まっただけだろう。思う物の複雑な心地になって、俺まで鼻の奥がツンとして来た。最初に院と一緒に話し掛けて来られた時に比べると、院も随分光を調節してくれるようになり、サングラスモードの出番も減った。鬼の時は本当に助けられた。昔話をせびったこともあった。母親に依り代にされそうになっているのを助けた事もあった。それが、いなくなる。ちょっと寂しいが、仕方ないんだろう。中学になったら部活なんかでどうせみんな擦れ違う時間が増えて行くんだし、それがちょっと早まっただけだ。油断していただけだ。――それだけなのに。
鼻が痛い。眼が熱い。耳も熱い。ここで俺まで崩れてしまったらサラの未練になる、と思えば、そう言う訳にも行かなくて。
大丈夫だ、サラは一人で立っていける人間だ。院もいるし本人の性格からも、人に好かれやすい。付け込まれやすいところもちょっとあるが、そう時は院がちょっと乗り移って事なきを得る。だから大丈夫だ、サラは、きっと。大丈夫じゃないのは――俺達の方で。
くずぐず鼻を鳴らし始める炉吏子にポケットティッシュを渡してやると、一枚取られてぢーっと鼻をかむ音がする。これが昔だったら呼吸困難起こしてたな、なんて俺は思う。今は猫又と曾じーちゃんのお陰で、秋の運動会にはマラソンだって完走した。炉吏子は大丈夫だ。院がいなくても、曾じーちゃんが憑くようになったから、問題はない。あざみだってけろっとした奴だから、五年生に進級したらクラス飛び越えて会いに来ることもあるだろう。ちなみに俺と炉吏子はワンセットで先生に頼んである。それももう解消しても良いのかもしれないと思うと、この隅川小怪奇倶楽部自体の存続にかかわる事のような気がしてきた。四人から三人に減るだけじゃない、ような。そう思うとそれはちょっと寂しい気もしたが、どうせ中学で『隅川小』怪奇倶楽部ではなくなるのだ。一年早くそれがやって来たと言うだけなのだろう。だけど。だけどと思ってしまう俺は俯いて、サラの顔を見られない。
サラ。曼荼羅沙羅。寺と神社のサラブレットぶりは院の時代までさかのぼる。知の無知、自分がどんなことをできるのか全然解ってないが、俺も積極的に教えるつもりはなかった。こっちに来ちゃいけない。その顔を濁らせちゃいけない。今も困ったように笑っているが、笑い事じゃないんだと怒鳴ってやりたいぐらいだった。どれだけこいつに支えられて来たのだろうと思う。橋姫との仲直りだってそうだ。こいつが橋姫からあのおぞましいおみやげをもらわなかったら、きっと俺はあの橋を避け続けていただろう。飴色を増す、つげの櫛。俺達のたった一年は、濃い一年だった。だから寂しいだけで、別に他には、他には思う事なんて。
「やだって言っても、行っちゃうんだよね」
案外早く立ち直ったのは炉吏子の方だった。
「はい」
「手紙書くから住所教えてね?」
「私の方から書きますよ。住所録、持っていますし」
「絶対絶対だよ? 約束なんだからね? ゆーびきーりげーんまーん」
「うーそ吐いたら院様ひっぺーがす」
無理やり小指を絡めてきたあざみが何気に恐ろしい事を言う。院に守られているからのほほんとした少女に育ったんだぞ、こいつは。それに守護霊がいなくなったらとうなるかなんて、炉吏子で散々知ってるはずなのに。
「ゆーび切った!」
鼻声で切られ、サラはますます困った顔になる。サラから前の学校の事は聞いたことがあまりない。精々、どの学校にもこんな倶楽部が無かったことぐらいだ。つまりそれは俺達も、そうやって記憶の彼方に押しやられる可能性が高いってことた。それはあまりにも悲しいし、切ない。でもそれがサラの運命なら、仕方がない。
三月二十六日、本堂を貸し切ってのパジャマパーティーが開催され。
三月二十七日、サラの部屋の片づけを手伝った。
そして三月二十八日、軽トラに荷物を載せるのは会社の同僚たちらしい。
ぶろろろ、と走っていくのにまた泣き出したあざみと炉吏子は――
それが三軒先で止まったのに、へ、と声を上げた。
「ここなんですー、新しいおうち!」
手を振り振りサラが笑うのに、俺達はぽかんとする。
「やっぱり今の社宅だと悪いものが集まりやすいって言われて、空いてる社宅に住むことになったんですー! だから学校も、中学校も、変わらないんですよー! 引っ越しも私が高校行くまでしないことになりましたー!」
「なっ」
「なっ」
「なんだとー!?」
ちょっとは流した俺達の涙、返せサラ! 思いながら俺達は軽トラを追い掛けてサラに飛びつく。院はやっと顔をこっちに向けてけらけら笑っていた。そーかそーか知ってたから笑いをこらえていたわけだな。俺達がどんな思いでサラに別れを言ったかも知っていて、それでも黙っていたと。この院! いっそ俺が背負ってやろうか! 炉吏子に曾じーちゃんやって以来微妙についてないことが続いてこれもその一環だと思っていたら、さっぱりきっぱりかんけーねえし!
「でもパジャマパーティーとか楽しかったです。みなさん私のこと好いてくださっていたのが解って」
「当たり前だ!」
「だって私達は!」
「隅川小怪奇倶楽部!」
「繋がったものは取れないように出来てんだよ、世の中!」
そう、俺達は繋がっている。音楽で言うならバンドだ。連なって繋がっている。荷下ろしのおじさん達に交じってさっき積んだばかりの本を下ろす。もうそこにオカルト物はない。少女小説ばかりだ。児童文学は両親の実家に置いているらしい。シリーズ物のだけ持ち歩いているとか言っていた。あとお気に入り。俺達もお気に入りに入っているのだろうか?
出来ればそうだと思いたい。だって俺達は、隅川小怪奇倶楽部なのだから。
「炉吏子まだ鼻水出てる」
「ふぇっ!?」
「はいポケティ」
「ありあとーリドル。もー、ほんと人騒がせだよーサラちゃんもしかして性格悪くなった? 悪い物でも憑いてる?」
「あの院様の前で悪戯できるあやかしなんていねーよ」
あーもう帰りは橋姫の所で思いっきり愚痴って行こう。そのぐらいは許されるだろう。
新学期一日目、サラが橋でこけて来たのは別に俺の所為じゃない。
そうして続く隅川小怪奇倶楽部は、いつか隅川中怪奇倶楽部になるのだろう。
高校ぐらい出とこうかなあ。今更になって未練に思う。五年も先の事に。
だってそうしたら、皆ともう少しの間は一緒にいられるから。
みんな、か。
やっぱり俺はちょっと弱くなったのかもしれない。でも悪くない弱さだと思ってしまう。じーちゃんたちは怒るかもしれないけれど、八方美人で優しい坊主になっても良いじゃないか。そんなのも、許されるんじゃないか。俺は思ってしまう。とーちゃんとかーちゃんはお見合い結婚だったらしいけど、俺は俺で恋愛結婚もしてみたい。
その相手がこの三人の中にいたらと思うと、ちょっと不吉だが。否吉祥なのかもしれないが、ちょっと怖いものはある。
そう、俺にだって怖いものがあっても良いのだ。
死ぬほど怖いものがあった方が、生き延びられる。きっと。こんな体質だからこそ、そう思える。
しばらくの怖い物は無くなったとして。
「あらサラちゃん、転校するんじゃなかったの?」
「引っ越しはしましたれど校区は同じなんです。今年も一年、お願いいたします」
「あたし達もまた同じクラスになったから、よろしくするんだよおばさん!」
「にゃーい、このまま六年生まで一緒だと良いよね! 隅川小怪奇倶楽部ここにありだよ!」
「別のクラスになっても休み時間押しかけて来るつもりだろお前ら。女子恐い突撃力恐い」
「私もお父さんに振られた時は突撃力で押しかけ女房したものよー」
「とーちゃんがかーちゃん振ってたの!? 逆じゃなくて!?」
「だって楽しそうじゃない、お寺さんの奥さんって」
「あー思う思う、スペクタクル・寺!」
「確かに普通とは違いそうですしね」
「リドル、両手に花だね!」
「いらんわこんなコンニャクような花は!」
隅川小怪奇倶楽部 ぜろ @illness24
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