第15話 こっくりさん
※
「こっくりさんこっくりさん、おいでましたら『はい』の方へお進みください」
「こっくりさんこっくりさん、羽畑君の好きな人を教えてください」
「こっくりさんこっくりさん、お帰り下さい」
「こっくりさん、こっくりさん――」
「炉吏子、なんだそれ」
朝登校して来ると同時に炉吏子の机に設置されたのは、招き猫の貯金箱だった。
んー、と炉吏子は唸る。
「なんか最近十円玉貰うの多くてにゃー。めんどくさいからご勝手にお入れくださいモードにしてみた」
「十円玉ぁ?」
ざわざわと、嫌な予感が走り出す。こいつに何かを託す奴は、大概後ろめたいことを抱えていて、それを俺に浄化させたい奴だ。おいやめろ面倒は御免だ、俺は穏便に暮らしたいんだ。かしゃかしゃメガネを鳴らしてその十円玉の溜まったのを見る。
どれも小さな動物霊が憑いていて、炉吏子の近くに置いとくには危険すぎる代物だった。とりあえず札を書いて招き猫に張り付ける。明らかに招福じゃねーよめっちゃ悪いもん集めてるよ。炉吏子の体質は解ってるだろ、じろりと頭の上の猫又を見ると、ちょっとふっくらしてぺろりと口元を舐めていた。食ったのか。食える分は食ったのか。なら良いかと思っていると、違うクラスの女子がまた炉吏子の貯金箱に十円玉を入れようとしたので、その手首をつかむ。
「何? 小坂識君」
「それは、何をどーして手に入れた十円玉だ?」
「ジュース買ってお釣りで出て来た十円玉」
「それだけじゃないだろう」
俺は片手でレンズを変える。
「でなきゃあんたにそんな動物霊が憑いてる理由にならないからな」
狐のようなそれはシャアッと俺に牙をむいてきたが、今更動物霊ごときではどうとも思わないのが俺である。
びく、っとした女子はあからさまにきょろきょろと目線を巡らせ、
「あっこら、待て!」
俺の手を振り払って出て行ってしまった。
「にゃににゃにリドル、朝から失恋?」
「ちっげーよお前さては馬鹿だろ知ってたけど」
「馬鹿じゃにゃーよ五十点はフツーだよ!」
「平均点数九十点のテストで五十点取るからだよバーカ、このバーカ!」
「うにゃーリドルの馬鹿ー!」
「なんか朝から元気ねー二人とも」
「何かあったのでしょうか……」
こっくりさんの事件は、大体こんな感じで始まった。
うちのクラスは何だかよく解らんが俺が抑止力になって、心霊沙汰とは無縁に近い。だが他のクラスまでその力は届かないので、女子はそそそくさと休み時間に違うクラスに行くのだ。こっそりつけさせたのはあざみである。こいつは他学級にも友達が多いのだ。その多くが類友、心霊大好きな女子であることは嘆かわしいが。
「なんか変なクラブが出来てるみたいだよーリドル」
「うち以上にか」
「うちは健全な心霊検証倶楽部ですっ!」
健全な奴は心霊現象を検証しようとは思わないと思うのたが。もっと実のある本や霊験あらたかなものを求めると思うのだが。そう言う俺の突っ込みは流されるのがこの倶楽部の『健全』でもある。ちょっとは泣きたい。涙が出ちゃう。男の子なんだもん。女子三人に囲まれて姦しく苛められる男の子なんだもん。いや、サラは苛めて来ないけど院が、な?
「隅川小心霊クラブだってさ。今は主にこっくりさんやってるみたい。それから真面目な降霊会もやるらしいよ」
だから怪奇における真面目とは。
しかしこっくりさん、か。
「タチの悪いことしてんなあ」
おそらく炉吏子はそのこっくりさんで使った十円玉の始末先に選ばれているんだろう。朝よりちょっと顔色が悪いのは、体育の時間に一気に重くなった貯金箱のせいかもしれない。今日は久しぶりに百メートル走でぜんそくの発作を起こしかけたし、じーちゃんの木札も半月前に代えたばかりなのにもう代え時の色になっている。
仕方ない、ちょっとあいさつに行って来るか。
炉吏子を見張るのが、俺の役目なんだし。
「中心人物は解ってるのか?」
「二組の坂城礼子ちゃん」
「相変わらず仕事早いよな、お前は」
「見えないあたしがこの倶楽部にいるためには、このっくらいしないとね」
二人の共同体を三人の倶楽部にした奴が何を言うか。
「あとサラ、院様の神気思いっきり後光にしといてくれ。頼むな? 院様」
『ほう。あぶり出しか』
「そゆこと」
俺は炉吏子の机にあったずっしり重い貯金箱をもって、二組に向かう。まだぜーぜーしている炉吏子は、ここ数年でも大分悪い影響を受けていると言わざるを得ない。鬼を抜かしたら最悪かも。サラに支えられている事で幾分浄化はされているが、油断は出来ない状態だと言えるだろう。まったく。人を呪わば穴二つなんだぜ、坂城さんとやらよ。
二つ隣の二組に向かうと、俺が顔を出した途端女子の一部がざわッとした。顔見知りの男子を捕まえて坂城の机を教えてもらうと、背の高い女子が威圧的かつ圧迫的に立ちはだかる。
「坂城さんに何の用よ、小坂識」
「お前たちのせいで犠牲が出てるのを見せつけにやって来た」
言って俺は炉吏子の背中を軽く押す。それだけでげほげほと咳込んで床に丸くなった炉吏子に、女子もちょっと引いたようだった。炉吏子の憑かれ体質は一年の序盤で学校中が周知している。何せ半年で救急車五回だ、覚えられない訳がない。下級生にまで語り継がれている事だ。だから具合の悪い時は四年四組の小坂識君か保健室に行きなさい。新任教師すらも、知っている。
俺は女子の隙間をすり抜けて、睨まれたり怯えられたりしながら坂城の席に辿り着く。億劫そうに顔を上げた坂城は俺達を見たが、それだけだった。
「坂城」
「何? 小坂識君」
「こいつの顔は見えるか?」
俺は敢えてサングラスモードにせず、後光を放つ院を指した。正確にはサラを指した。訝しげに坂城は、見えるけど、と言う。だから何、とでも言いたげだった。
心霊はあくまで遊びのつもり、か。
まあ見えないなら見えないで良いんだが。
「あんまり霊やあやかしを騙るもんじゃないぜ」
「し、心霊様に失礼なこと言わないでよ!」
「そうよ、自分だって変なメガネで見てるだけのくせに!」
「大体そう言うのを祓うから仕事が出来てんでしょ!?」
「俵田のことだって、噂になってるんだから!」
「あんた達が絡んでたのに一家全滅なんて、本当は何の力もないんでしょう!?」
「偽物!」
「そうよ、偽物よ!」
「――――るっさい!」
存外にも。
声は後ろから聞こえた。
ヒューヒュー言ってる喉を押さえながら立ち上がったのは、炉吏子である。
「リドルの力はあたしが一番よく知ってる」
げほっと噎せながら、炉吏子は坂城にたかっていた全員をねめつける。まあ、生き字引に言われちゃ反論も出来ないだろう。一年の俺がこいつを除霊した。ちょうど今みたいな小さな動物霊を集めてしまっていた頃だ。あと小さな浮遊霊。数も集まりゃ害が増すってもんだ。
「そんでもってあんた達がしてる事がどんな結果になるかも、あたしが一番よく知ってる!」
啖呵を切った炉吏子がふらっとしたのをあざみが支え、俺は貯金箱をドンっと坂城の机に置く。瞬間に札を剥がすと、一気に霊があふれ出て、その少しずつが全員に行きわたった。
「坂城転じて榊と成す。あんたも無能力者じゃないんだ、自分の始末は自分で付けな。駄目だったら謝って寺を勧めろ。このぐらいなら小学一年生の俺でも片付けられた程度だからな」
「何を――」
女与力みたいに立ちはだかろうとした女子が、突然噎せる。それからあちこちで咳の音が響いた。え、え、と戸惑っている坂城は一応自衛のお守りぐらいは持っていたと見える。最近の若者はお守りはダサいからと言って付けないのが気に入らんが、こいつは少数派だったようだ。俺は炉吏子を連れて、サラとあざみと廊下に出る。向かう先は教室だ。ささっと札を書いて、教室の出入り口に一枚ずつ貼り付ける。そして炉吏子がまた咳き込むので、健康祈願の札を書いて渡してやった。それだけでも随分浄化されたらしい炉吏子は、ふー、っと深呼吸をして、ありがとね、と言った。
俺のしたことと言えば霊を解き放っただけで寺の息子としては一番やってはいけないことに入るのだが、まあ良いだろう。クラブとやらもこれで解散すれば良いのだが――とにかく炉吏子の背中をぱしんと叩き、まだ残っている小さな霊を絞り出させる。すると猫又がペロリとそれを食ってしまった。しまったな、体育の時間にこいつ置いてりゃ良かったのか。今度からはそうしよう。
しかし心霊様ねえ。こんな能力が役に立つのは寺か神社か教会に限られてくると思うんだが、何をそんなに勘違いしたのだろう。あざみに背中を擦られ、サラに手を握られ、もう片手に札を持ってりゃ心地も良いだろう。ほへー、としている炉吏子の額に手を当てて、熱がないのを確認する。とりあえず帰りは寺に寄ってもらって、木札を取り換えた方が良いだろうな。飴色も通り過ぎて真っ黒だ。別に橋姫の櫛で祓っても良かったんだが、そうしないのが俺の意地の悪い所で。
それにしても俺って炉吏子にそんなに頼られてたのか。真面目に修行しよう。中学出たらどっかの寺に修行に出よう。その間の炉吏子の世話は、とーちゃんとじーちゃんに任せて。中学までは、俺が付いててやれるだろうけれど。そしてそれまでに、こいつの体質が改善するかもしれない。その、あれだ、あの、生理……が来たりすると、身体のつくりも心のつくりも変わって来るって言うし。それがプラスの方向に行けば、守護霊はいなくとも守護あやかしのいる炉吏子だって人並みに生きて行けるだろう。
さて霊感様はどう出るかな――思っていると、せき込みながら入ってきた女子のそれが止まる。女子って本当にそう言うの好きだよな。自分に害が無いと信じ込んでいるんだろうか。そんな訳ないのに。どんな小さな降霊術だって、危険に変わりはないのだ。しかし誰が考え付いたんだろうな、こっくりさんって。あとでじーちゃん辺りに聞いてみよう。
そして俺のこのメガネは霊を見るためだと思われていたのが何気にショックだ。見ない為のメガネなのに。俺の裸眼の世界を知って欲しい。院が輝き炉吏子は浮遊霊くっ付け、あざみだけ健康優良児。他には昔飼ってた犬とか猫とかハムスター連れた連中がぎっしり。生きてるのか霊なのかもわからない自然体なのも多い。俵田だってそうだ。幽霊仲間と話してる様は、全然幽霊に見えない。少し存在感は薄れたから、成仏までそう時間はかからないだろう。こっくりさんみたいな悪質な遊びに手を出さない限り。
「炉吏子、早退しなくて平気か?」
「んー? もう大分大丈夫になったから平気ー。ありがとね、リドル」
「こちらこそ、だな」
「ほへ?」
俺のこと信じてくれて、ありがとう。
帰り道は大行列だった。坂城にはどうすることも出来ないので、げほげほ咳が止まらない連中が家の寺に向かっていたからだ。ちび幽霊の除霊なら五百円ぐらいで済むが、これはチリツモとして語り継がれることになるかもしれない。ちなみに炉吏子は最初の時に纏まった額を渡されたので、いつでも来放題札貼られ放題だ。かかりつけ医か、うちは。
この行列も別に俺が祓えないものじゃないが、いっぺんちゃんとした『除霊』という物も見せておくのも抑止力だろう。そして金がかかることも解らせなければならない。ボランティアでやってんじゃねーんだこっちは。友達料金目当てにすり寄って来るやつなんてぜってー相手にしねえ。
「小坂識、小坂識んちまだあ……?」
「もう見えてるぞ、あれが本堂だ」
「げほっ、遠いよ……」
「お前らが使ってきた動物霊達の成仏までは、短い道だ」
てかカエル使った奴までいるとかなんだ。蟲毒か。だとしたらもう一枚札炉吏子に付けといた方が良いな。さららっと札を書いてランドセルにくっ付けてやる。お。と反応があった。
「なんか肩軽くなった。まだなんか憑いてたの、リドル」
「まあな。ほら着いたぞー本堂の玄関から直接入ってこーい。母屋でこれだけの靴は収納できねえ」
「げほっ、げほっ」
「なんじゃリドル、ハーメルンの笛吹きか」
「これが霊験あらたかなうちのじーちゃんです」
ド簡単に説明すると、みんながそれぞれに手を合わせる。
「じーちゃん、一人ずつ見て料金言って行って。俺は護摩の準備しとくから」
「うむ? なんじゃいこっくりさんかい、二十年に一度ぐらいははしかのように流行るんじゃ。めんどいのー」
「そう言わずにまあまあ」
「ふむ。五百円、七百円、五百円、五百円……」
これが大人だとゼロが一つ増えるのは秘密である。半人前には半人前の値段で許してやるのがうちの気軽な所だ。火を焚いて大きくする。薪に使うのは先日伐採した神木の枝だ。これも霊験あらたかだが、別に説明はいらないだろう。
最後に入って来た坂城にだけ、じーちゃんは目をすがめて睨むようにした。
「二千五百円」
「って、何であたしだけそんな!?」
「お前さんが元凶だからじゃ。大して害がないのに付いて来た善性を認めての五百円引きじゃ、無かったら近く持って来るが良い」
俺はじーちゃんの隣に茣蓙を敷き、隣に炉吏子を座らせる。特等席だにゃーと笑っているが、まだその顔は幾分青い。
「――おんっ!」
じーちゃんの除術は三十分も掛からず終わったが、本堂には一匹の霊もいなくなった。
これにはまだしばらく、敵わねーわなあ。
「おじーちゃん、木札書いて」
「うお黒っ! まあよく仕事をしたようじゃな、護摩にくべて……新しい木札は」
「はい、じーちゃん」
「おうリドル。気がきいとるの、女子に囲まれた所為か?」
「かもな。隙あらばこっちに憑こうとするのばっかりで大変だった」
「まあ、これが薬になろうて」
「だったら良いんだけどな」
「――ほい、炉吏子ちゃん、新しい札じゃ。リドル、送ってやんなさい」
「へーい」
気のない振りをしながら俺はじーちゃんの眼を見る。
悪いことが起こると、言っている眼だった。
そんな訳で俺の腹にはカッターナイフで穴が開いた。
勿論やったのは坂城だ。
炉吏子が防犯ベルを鳴らすが、残念この油土塀辺りは全部墓である。死人に助けを求めてもなあ。
いや。一応頼んでみるか。
曾じーちゃん。
炉吏子を守ってください。
俺もこの程度の穴で死なないと思うけど、一応。
追ってとーちゃんは坂城を当て身で眠らせ、かーちゃんは俺を近くの病院まで運ぶ。
曾じーちゃんは。
炉吏子の守護霊に、なってくれた。
これでもう怖い事はないな、と、俺は素直になる。
「いでででででででででで、いってー二センチとか入ってんじゃねこれ、いてててて、かーちゃんもっと優しく運転してよ!」
「大怪我の跡取り息子相手には信号すら疎ましいわよ! しまったわ救急車呼ぶべきだった!」
「大怪我ってほどじゃないって、大体腸はうねってるから刃物が刺さりにくいって聞いたことあるし!」
「あくまで『にくい』なんでしょう!? あーもう何だってこんなに赤信号が続くのかしら、ぶっ飛ばしちゃいたい!」
「歩けるから自分で行くわだったら!」
「リドル、リドルぅ」
「お前は何故ついて来て泣きじゃくるか炉吏子!」
「だってあたしの所為で、」
「どっからどー見ても坂城の自業自得だっての! その辺は嘘吐けない術使ってとーちゃんが警察に話させるから、お前は泣くな! お前の泣き顔は嫌いだ!」
「まあまるで告白ね?」
「ちげーから! いでっででで」
「あの人が痛いと言いながらも私を気遣ってくれた時……」
「ネタ帳に書き足すな!」
さて俺はメガネを外して、炉吏子に渡す。
すると曾じーちゃんの厳しくも一生懸命笑おうとしている顔が目に入っただろう。
猫又はちょっと居心地悪そうになったが、炉吏子は大はしゃぎだった。
「ねえねえ、これってあたしの守護霊さんにゃの!?」
「おう、うちの曾じーちゃんだ。大切に祀るように」
「解った! これで百メートル走もマラソンも怖くないね、クロ!」
明度が合っているのか見えていたらしい猫又は、欠伸をして香箱を組み炉吏子の上で眠った。
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