第14話 花子さん


 花子さんが行方不明になった。

 と言う噂を持ってきたのはあざみだった。なんでも今までは声を掛けると何かしら反応があったのに、この一か月ほどは何の反応もないのだと言う。成仏するような少女じゃなかったのは知っていたから、俺は捜索に駆り出された。なんだって女子トイレの幽霊を男子である俺が、と思ったが、下手に炉吏子に憑かれたら困るのも俺だ。炉吏子はとにかく何でも拾って来る。そして倒れる。階段で倒れられたら一大事だ、まさに学校の階段、と思いながら俺は放課後の校内をぶらつく。音楽室からはピアノの音が聞こえて来ていた。ラプソディ・イン・ブルー。生音源だけど先生以外にこんな曲弾ける奴がいただろうか。さて、覚えがない。

「はーなこさん!」

 あちこちで呼びかけるのはあざみと炉吏子だ。サラは前の学校で怖い話を聞いて以来花子さんは苦手らしく、怯えているが、俺達と離れている方がよっぽど怖いらしく、俺のトレーナーの背中ちょんと掴んでいた。学校の怪談としてはオーソドックスだが、うちの学校の七不思議に入っていなかったのは何故だろう。訊いてみると、あざみは、ああ、と言った。

「必ず出て来るなら不思議でも何でもないかなって。それに九不思議でも語呂が悪いしねー、どこの学校にいるのでもなく隅川小に拘った結果があれだよ」

 そうか、置いてけ堀と人魚が同じだとは教えていなかったな。それでも八不思議なんだが。ちなみに男子トイレにも太郎さんがいるのだが、こっちは単純に知名度が低くてアンテナに引っ掛からなかっただけだろう。はーなこさん、とまた声が響く。音楽室は近付いてくる。トイレの神様はあれで綺麗好きだから、男子トイレの方が意外と穏やかだったりする。女子トイレは噂だらけで勝手に何をするか解らないのが怖いところだ。実際俺が入学して来た時にも自分を成仏させるためだと思い込み、学校中の水を出しっぱなしすると言う地味かつ確実に学校の懐が痛むテロを仕掛けて来た。俺にその気が無いと解るところころ笑って驚かさないでよもー、なんて言って来たんだから、実に勝手な奴であった。

 巷で言われているような恰好ではなく、紺色のセーラー服におさげと昭和の学生を思わせる姿だったのを覚えている。脚はなかったが、浮かんでいるうちに形を忘れてしまったらしい。ほっそりからゾウ足まで変幻自在よ、と言っていた。だからどうしたと言いたかったが、そんな事でいさかいごとになるのも面倒なのでやめておいた。俺は穏便な寺の息子なのである。

 はーなこさん、と声を掛けると、一瞬ラプソディ・イン・ブルーが途切れた。だがその直後にフォルテシモになったから、そういう曲なのだろうかと納得してしまう。聴いた事はクラシック鑑賞が趣味の母親のライブラリからしかないが、こんなに緩急のある曲だっただろうか。華やかだったのは覚えているが、それも指揮者違いで随分変わると言うからなあ。はーなこさん。仕方なく俺も呼んでみると、明確に音色に変動が出て来た。気がそぞろになったというか、迷いが出て来たと言うか、そんな感じだ。んにゃ、と意外にも一番最初にそれに気付いたのは炉吏子で、脚を止めて校内徘徊が一時中断する。

「なんか変でない? このピアノ」

「へ? 変って何が、炉吏子ちゃん」

「なんてゆーか、こっちに返してくるような感じって言うか」

「がっ学校の十怪談!?」

 正確には十一怪談だが。太郎さん。不憫。

「リドルはなんかそう言うの感じにゃい?」

 オカルトと言えば俺の出番だと思っている節があるのだから困ったものだ。本当に。まあ、間違っちゃいないんだが、それでも面倒だ。本当なら関わりたくない。せめてあざみが入って来なきゃなあ、この倶楽部。安穏としていられたのも事実だが、鬼の時の事を考えるとサラと二人で助けられているんだから邪険にも出来ない。中々これでバランスの取れた倶楽部なのかもしれない、ここは。院のお陰で俺も無駄に霊力を使わなくて良いし。あざみは防御力鉄板だし。炉吏子は炉吏子で聡い時には聡いし。あくまで時に限るが。

 はあっと溜息を吐いて、俺は呼び掛ける。

「はーなこさん」

 ピアノは一瞬止まり、フォルティッシッシモに変わる。そうなると学校に残っていた生徒たちも訝し気になって、教室から顔を出したりしてくるようになる。そして上手いなこのピアノ。転調やら含んでる割りに、乱れない。いや、ある意味乱れてるのかもしれないが。ひゃっとあざみが肩を跳ねさせ、サラは俺のトレーナーを掴む力を強くする。首が締まって少し苦しいが、まあ、謎は解けたと言っても良いだろう。

 それにしてもそんな趣味があったとはなあ。こっちもびっくりだぜ。花子さんもとい女子トイレの神さんよ。不浄の集まる所には神が憑く。ケガレが溜まり過ぎないように。おまけに女子トイレだからその、あの、あれだ、あれもあるだろう。そのうっぷん晴らしにでも目を付けたのだろうか。俺達はのんびり歩きながら音楽室に向かう。別に急ぐ必要もないし。本当のところ別に探さなくったって良いのだ。神は気まぐれなものと決まっている。ここが空いたら別の神が入るだけだ。神様だってたまには別の所に行きたいだろう、校内でも。

 そーっと音楽室の扉をスライドさせて、サラ、あざみ、俺、炉吏子の順番でトーテムポールみたいになりながら覗いてみる。

 そこには一心不乱におさげ髪を乱れさせながらピアノを弾く花子さんの姿が見えた。

 力の強い霊なので、他の三人にも見えたのだろう。ひゅっと息を呑む音が三つ、叫ばないのは良い事だ。向こうだってびっくりするからな。

 それにしても、何故にラプソディ・イン・ブルー。

 集中し過ぎて俺達の気配に気づかないほどに、何故ピアノ。

 そう言えば誰もいないのに鳴るピアノ、ってのも学校の怪談ではよくあるよなあ。それって案外こんな違う霊の憂さ晴らしなのかもしれない。思いながら俺はがららっと引き戸を開ける。

 びくっと振り向いた神さんは、俺達を見てちょっと都合の悪い顔をし――

『……見付かっちゃった?』

 などと、あんな派手な曲を弾いていたのに舌を出すのだ。


「花子さんが行方不明になったってんでな、学校中探してたんだよ。で、あんたはなんでまたそんな派手な曲を」

『そのね、いい加減暇になっちゃったからぶらぶらしてたんだけど、そしたらこの曲の練習してる子がいて』

「楽譜なんか読めたのか、すごいな」

『ううん、指の動きを追って覚えたの』

「猫ふんじゃったか!」

 女子はよく猫ふんじゃったの速さ対決をするが、あれも楽譜で覚えるのではなく出来る人の指を見て覚える事が多いそうだ。だから逆に楽譜を出されると速度が落ちる、とか聞いたことがある。しかしあれはほぼ黒鍵だけを使っているからまだ覚えやすいだろう。ラプソディ・イン・ブルーを目だけで覚えるとは、流石は神か。否。むしろ、流石は女子か。

 きょとりとしていたサラはくすくす笑い出した。ま、笑える動機だよな。暇だったからピアノ弾いてましたなんて。しかも結構な難曲を。

「で、その子は?」

『もう卒業しちゃったわ。十年も前になるかしら。だから懐かしくって弾いていたんだけど、結構癖になるのね、ピアノって』

「あとで楽譜でも持ってきてやるから、せめて生徒がいるうちは『花子さん』してろよな。女子が結構心配してるんだぜ」

『太郎さんにお願いしたんだけど、留守居は』

「純情な太郎さんに変なことさせんな。多分女子トイレの前でもじもじしてるぞ」

『あらあら』

 じゃあ戻らなくちゃね、と――

 形を思い出したらしい足をぴょんっと言わせて、『花子さん』は姿を消した。

「すっごー……」

 ふへー、と息を吐いたあざみが言う。

「リドル、いつもあんな風に話してたの? 色んな霊と」

「まあ、な」

「すっごーい! あんたと友達やってて良かったと思うのはこういう時たよ、オカルトな日常! ビバ! スペクタクルビバー!」

「あんまり良いもんじゃにゃーけれどにゃー」

「でも凄いですね、神様と対話で物事を解決できるだなんて」

『同じことを鬼にもしようとして危機になったのも、小僧だがの』

「うるせー黙って下さい院様……なんならあんたも成仏させましょうか、経文で」

『出来もせんことを言う物ではないぞ。どこかの国の宗教では言っている、汝偽証するなかれ』

「ぬぐぐ」

『良いではないか。優しい坊主も良い物じゃ』

 その優柔不断な八方美人と優しさを間違えて炉吏子と自分の命を危険にさらした俺には、言う事がない。言えることがない。あの時もしもサラがあざみに注進してなかったら、俺はここに居なかったんだろうから。

 ピアノに札を張ろうかと思って、やめておく。あの『花子さん』だって趣味ぐらい欲しいだろう。せめて気が付いた時に鍵盤の蓋を開けておくぐらいで丁度良い。いやそれにしてもすごい演奏だった。オーケストラ合わせても遜色ないぐらいだった。ああ言う霊もいるんなら、幽霊楽団とかあっても良いんだろうになあ。夭逝した作曲家に一本書いてもらって、様々な指揮者にふるってもらう。それはなかなか楽しそうな想像だった。まあ霊じゃなくて神様だから、聞く奴皆成仏させていっちまうだろうけれど。それもそれで面白い、と思ってしまう俺も、結構な意地悪かもしれない。くつつつっと笑って、俺のトレーナーからやっと手を離したサラ達と一緒に教室へと向かう。途中の女子トイレでもぞもぞしている丸刈り頭にランニングとジャージ姿の太郎さんがいたから、解決したと報告すると、心底ほっとした顔で男子トイレに帰って行った。うん。女は平気かもしれないけど男は恥じらいがちょっと大きいんだよ。特にその、そう言うのについては。女児の立小便、とかやってた時代とは違うって言うか。そこを解ってくれるととても嬉しいんだが。

 と、あざみが女子トイレに向かってすうっと息を吸った。

「はーなこさん!」

 ぺきっとどこかが軋む音がして、よしっとあざみは納得した顔になる。

 アフターフォローも万全か、うちの倶楽部は。

 入部希望者は受け付けておりませんので、ご注意を。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る