第13話 雪女

 擦れ違った女の人からひんやりした冷気を感じて、俺は振り向く。白に淡いブルーを混ぜたような着物で髪はポニーテール、水色のリボンを付けていた。それから雪が降りだし、ああ、と俺は納得する。

 もうそんな季節だったか。

 年も明けてぐったりしている寺では中々気付かないが、この街に雪が降るのは雪女のお姉さんかいる時期だけだ。そしてそれは我が家にとある客人が来る時期とも重なっている。


「ようリドル! 相変わらずちっこいな! ご飯もりもり食べてるか!?」

「出会い頭に失礼な挨拶ありがとう、栄海えいしょうにーちゃん」

 十歳年上の栄海にーちゃんは、とーちゃんの弟弟子だ。この時期には山から下りてきて北海道から九州まで行脚するのがパターンになっている。なんで、と聞いたら、夏は暑いだろ、と返されて納得したのは六歳の時だが、それを言ったらこの季節は寒いだろう。しかも北海道から始めるのだから訳か解らない。でも明るく元気なにーちゃんがいると家の中も朗らかになるので、結構それは好きだ。じーちゃんもとーちゃんも厳格じゃあないけれど、テレビ見ながら飯食ってると怒るし。でも栄海にーちゃんはテレビを見る暇もない程にあちこちの話題を持って来てくれるから、それは僥倖だった。とーちゃんの兄弟子や他の弟弟子達の現状、師匠の具合。とうやらとーちゃんの師匠は具合を悪くしているようで、寺を誰かに譲りたがっているらしい。とーちゃんにどうですか、と聞いて、俺にはここがあるよ! と返され、じあリドル来るか? と言ってはうちの跡取り持ってかないで! と突っ込まれる。栄海兄ちゃんは面白おかしい良いお坊さんだ。ひそかに俺の憧れでもある。小さい頃から毎年にーちゃん、にーちゃんと呼んでいた所為もあるだろう。

「でも本当、廃寺にするのは勿体ないんですよねー師匠の寺。檀家さんも多いし」

「息子さん居たろ、どうしたんだ?」

「修行が嫌になって東京でミュージシャンになるって出て行きました。半年前」

「なんだよーこっち来てるなら顔出せよなー」

「とーちゃんそう言う問題じゃない」

「あれ? 違うのか?」

 とぼけたとーちゃんの言葉に、にーちゃんが笑う。かーちゃんもじーちゃんも笑った。みんなで笑える食卓って言うのは良いもんたと思う。いつも何とはなしに点いているテレビが消されてるのにも気付かないぐらいには。

 にーちゃんの滞在は長くても一週間以内だ。何で旅してるのかも聞いたことあるけれど、誤魔化されて教えてもらえない。昔っから客間じゃなく俺の部屋に泊まってくにーちゃんとは、ムーの面白さを語れたりするから、寝る前のその時間が俺は大好きだった。良いよねムー大陸。ノアの箱舟の残骸とか。聖骸布の血痕とか。心躍るよ。

「にーちゃんは、何で旅してんの……?」

 五年ぶりぐらいに訊いてみると、そうだなあ、と珍しく考えるそぶりを見せてくれる。

「リドルも十歳だし、初恋くらいはもう済ませてるよな?」

 進行形で橋姫だとは言えず、うん、と小さくうなずいて見せる。

「俺も俺の初恋を追っかけてるのさ。この時期しか会えない、初恋の人を」

 時期?

 時期の関係ある初恋って何だろう。思いながら俺はすっとぼけなかったにーちゃんにちょっとは大人扱いされたのか嬉しくて、そのまま眠ってしまった。


「栄海にーちゃん来てるって!?」

 次の朝。

 炉吏子が走って来たところで、我が家の朝餉は終わっていた。

「おー炉吏子ちゃんはおっきくなったなあ! 身長何センチ伸びた?」

「五センチぐらいかにゃ? それでもまだリドルよりちっさいよー、栄海にーちゃんからもにゃんとか言ってやってよリドルの身長! 六センチ伸びたんたよ!? ずーるーいー」

「はっは、大丈夫だその内に滝行で縮む! よっと、重くなったなあ」

「太ってないよー!」

「そう言う意味じゃないって、はっはっは」

 朝から抱っこし抱っこされ、元気な二人である。俺は靴紐を結んで、ゆるみが無いか確認した。東京の遅い冬、外はうっすらと雪を刷いて湿っている。よく転ばなかったな炉吏子。顔面からぐっしゃあと行きそうなもんなのに、いつものこいつなら。

 栄海にーちゃんの事を知ってるのは炉吏子ぐらいのもので、あざみも知らない。面倒見の良いにーちゃんなので、独り占めしたいんだろう。案外炉吏子の初恋は栄海にーちゃんなのかもな、なんて思いながら、俺は炉吏子のランドセルの背負い紐を引っ張る。

「はやくしねーと遅刻すっぞ」

「はーい、っだ。じゃーにゃー栄海にーちゃん!」

「おう、行ってらっしゃい」

 ひらひらと手を振られ、俺達は学校に向かい歩き出した。

「それにしても栄海にーちゃんなんで冬に旅するんだろーね? 今日みたいな日が来たら大変にゃのに。基本草鞋でしょ、お坊さんって」

「初恋を追い掛けてるそーだ」

「にゃにそれロマンチック! ネタ帳に書いておこう、あの人がいつか初恋を追い掛けていると言った時……」

「本人には使うなよ……」

「わーかってるって! でもロマンチックだにゃーそーいうの。憧れるけど、どうして南下が初恋ジャーニーなんだろね?」

「さあなあ。後で聞いてみるか」

 南下。そう言えばそう言う見方も出来るか。なんだって冬に南下を? まるで雪を追い掛けてるみたいじゃないか。思い出したのは水色のリボン、薄青の着物。まさかまさか。んなことはあるまい。

「へー、しゃあ一週間ぐらいいるんだ? その人、栄海さん?」

「短い時はもっと短いけどな」

「初恋を追い掛ける……ですか、追い掛けられる初恋ってなんでしょう。小坂識君、解ります?」

「さーな、どーでもいーよ。それでにーちゃんが満たされてるなら、相手があやかしても良いんじゃねーかと思うし」

「移動するあやかし……移動しないのだったら橋姫にゃんとか思い付くけどなにゃー」

「橋姫にゃんは止めろ。そして人の初恋を引き合いに出すな」

「あらそうだったんですか?」

 しまった藪蛇。

「私も早く、情熱的な恋がしてみたいものです」

「サラちゃんは初恋まだなの?」

「お恥ずかしながら、どうせ去る土地で何かをしてもと思ってしまい」

「あー転勤族あるあるだねー、私も転勤族だったころはそうだったもん。どうせ引っ越すし、ってちょっと投げやりになっちゃうの」

「私はー……」

 炉吏子が考え込む。否、どうでも良いけど何故俺を中心に恋バナするお前ら。女子と男子の温度差で寒気がしてきたぞ。

「秘密かなっ」

「あーするいずるい、リドルが吐いたんだから炉吏子ちゃんも吐かないと不平等条約だよ!」

「現在進行形で続いてるから秘密にゃのです。にゅふり」

「いやその前に不平等条約って何。俺だっていつまでも橋姫一筋じゃねーよ。その内誰か良い人見つけるだろ。寺守ってくれるような肝っ玉の人」

「ふ~ん? じゃあそーゆーことにしておいてあげようかなー」

「何で結局吐いてないお前が上から目線なんだ……」

「不平等条約ですから」

 口の所に指でばってんを作りながら、サラがくすくすと笑った。


「と言う訳で、隅川小怪奇倶楽部でっす!」

 午後になっても融けない雪で靴の中はぐしょぐしょだったが、あざみとサラは北国にいた頃のスノトレ? とか言う雪に強い靴で無事だった。防水加工しているらしい。ついでにスパイクも付いている。なんで関東では売ってないんだ、羨ましいぞ北国。きょとん、としたにーちゃんはまさに草鞋で出ようとしている所で、かんじきまて付けていたが、そこまで深い雪でもない。いや、と名乗りを上げたあざみに向かって剃髪した頭を掻きながら、にーちゃんは困った様子だった。そりゃそうだろう。今から出かけますの状態で。

「俺も俺の用事があるんだけど……」

「どこか行くんですか?」

「……その辺ぶらっと」

「今じゃなきゃダメですか?」

「駄目。それは、駄目」

 強い目に言われたあざみは、ぐぐっと押し黙る。

「言ったろ、にーちゃんは飯時しか家に来ないって。良いから玄関空けろ、にーちゃんが困ってる」

 四人四色の眼に晒されて、にーちゃんは出て行く。寸前、俺の頭にぽくんと一発拳を当てた。覚えてろよ、とニヤリ笑い。俺だって困ってるんだ。と首を竦めたが、伝わったかどうだか。

「栄海さん! 一つ聞いてもよろしいでしょうか!?」

 めずらしくサラが声を上げる。

 振り返って脚を止めたにーちゃんは、なんだい、と声を張り上げた。

「『その方』は、『人』ですか?」

 兄ちゃんは困ったように肩を竦めて。参ったな、というように丸く白い息を吐いた。

「違うよ」

 兄ちゃんは言って、牡丹雪の中に消えて行った。

「……サラちゃん、何で解ったの? 『初恋の人』が人間じゃないなんて」

 長めのこたつに入りながら、あざみが問う。

「時期によって変わるのだとしたら、もしかしてと思ったまでです。この時期なら、雪女さんとか」

 妖怪にさん付けする奴である。でもそれならあの着物の人。ひんやりした冷気を纏わせていたあの人が、そうかもしれない。少なくとも人ではなかった。妖気を感じたが、悪い物でもなく。にーちゃんはあの人を追い掛けて南下している、と思えば納得はいった。


 それから一週間。

 雪は降り続け、にーちゃんも外に出て、という事か続いた。


 東京で一週間も積雪するのは異常だ。融雪機やスノーダンプが次々に北国から輸入されてくる中、俺はにーちゃんに尋ねた。あの日、サラが言っていたことを。

「にーちゃん」

「んー?」

「にーちゃんの初恋の人って、雪女?」

 気付けに飲んでいた酒をぶばっと瓢箪から零し、げほげほにーちゃんは噎せる。

「な、なんっ、そんな、わかっ」

「やっぱりそーなんだ。いや、サラ――この前来たサイドテールの子、言ってたろ? 人じゃないんじゃないかって。もしかしたら季節によって現れる妖怪なんじゃないか、って」

「っ……女の子の勘ってスゲーなあ」

「だよなあ、にーちゃんの反応見て改めて思ったわ、俺」

「すげー小さい頃なんだけどな、初めて見たのは」

 曰く、寒椿を手にしている姿が絵画のようで美しかったのだと言う。

「……それって薄青の着物にポニーテールの人?」

「知ってるのか!?」

「何となくは。そんでもってこの前線の停滞、多分捕まってるんだと思う」

「何に!?」

「橋姫に」

「へ?」

 初恋は呼び合う物らしかった。


『童! 童ではないか! 久しいのう!』

「久し振りにしたのはこの滑る土手を作った橋姫だよ」

『? どういう意味じゃ?』

「雪女さん!」

『え、栄海さぁん……』

 やっぱり。

 せっかく来たんだから付き買えと、女子会(二人)から逃げ出せずにいたらしい。

「そろそろ次の地域に行かないとダメだよ。こっちじゃスタッドレスタイヤも普及してないから、事故が起こったら大変だ」

『なんじゃお仕舞か。つまらんが、それがお主の仕事だものな。春にまた会おうぞ、ゆき』

 妖怪に仕事感覚とかあるのか。俺達は土手に上がる階段を探しながら、ぴぇびぇ鳴く雪女の相手をする。

「春にまた、ってどういう意味だったんです? まさかまた雪を?」

「違うよ、彼女は折り返して、桜前線になって帰っ行くんた」

『栄海さんが見付けてくれなかったら私、本当に悪い妖怪になる所だったぁ~』

「見つけたのはリドルだよ。しかし凄いなリドル、橋姫と友達なんて」

「いやまあ……腐れ縁だよ」

 階段を上がる。雪女はにっこり笑ってぺこりとお辞儀をし――

「わっと」

 風雪の中に、消えた。

「さてと、じゃあ俺も今夜限りでお暇すっかな」

「雪女さん追い掛けてくの?」

「それが俺の、修行であり恋だからなあ」

 妖怪と結ばれることはない。あっても精々腐れ縁だ。それでも良いと思っているのなら。

「やっぱにーちゃんには、敵わねーなあ……」

「ん? なんか勝負してたか?」

「いや、こっちの話」

 お土産一つで初恋を手放した自分が負けたようだとは、思わない。あれは危ないあやかしだ。雪女もそう。事故でも起こしてたら大変だった。幸い今回の雪で死傷者は出ていないが、最低限に力を押さえてくれていたからだろう。まったく、あやかしも様様だ。子供たちは雪だるまなんかを作って呑気なもんだったが、スノトレの普及率はどれぐらい上がっただろう。

 翌朝綺麗に晴れた中、にーちゃんは寺を辞して行った。

 その背中に覚えた憧れは、自分の初恋は敵わないと思っている者同士なのに、こんなにもスタンスが違うものなのかと言う事による。

 にーちゃん、強い。

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