第13話 怨霊


 たんっと元気に駆け上がって、俺達は見降ろされる。

「学校の階段!」

 元気にそう言い張ったのは、あざみだった。

 相変わらず一人だけ絶好調である。

「じゃなくて怪談! 七不思議が不発に終わっても怪談がないわけじゃないと思うのよ!」

「なくていい、そんなもん」

「リドルは良くてもあたしは嫌ーっ! スペクタクルな日常欲しい!」

「このまえ鬼に御朱印帳でビンタしてたのでは足りないのか、お前。なんなら橋姫紹介するけどお前ら合わすとメートル上がっていくばかりになりそうだな……」

「ちょっと見てみたいけど、やっぱり隅川小怪奇倶楽部としては学校内の怪談を集めて行きたいのが希望なのよ」

「そんないかがわしい倶楽部のつもりじゃない……」

 本当、中心は炉吏子のはずなのに。何でこんな面倒くさいのがいるんだろう。炉吏子か。炉吏子が喧伝したからか。後で隙があったらスリッパで殴ろう。余計なもん集めやがって。否、元々憑かれ体質だから、これも憑かれていると言えるのか? ぼーんやり考えていると、べしっとスリッパではたかれた。なぜに俺。

「聞こてえない振りすんな! あんたが中心なんだからね、この倶楽部!」

「だから俺は炉吏子を見張るだけだと何度言えば良い」

「炉吏子ちゃんが行きたいって言うんだから、あんたも一緒なの!」

「炉吏子……」

「だ、だってだって、怪奇とか心おどるし楽しいし、心霊番組大好きだし」

 確かに夏と年末は心霊番組の大盤振る舞いだ。曰く写真、曰くUFO、曰く呪い……そう言う興味はあくまで娯楽で解決してもらいたい。実生活に持ち込むな。と言う俺の正論は無視されて、あざみはネタ帳をぺらぺらめくっていく。そういう時にも使ってたのか。ぜひ取り上げて焼却したい。だが残念、学校の焼却炉は使われなくなって二十年以上になると言う。うちの護摩の燃料に……否、火が曇りそうだからやめよう。聖なる炎なのだ、あれで。聖火リレーにも負けねーぞ。

 とにかく俺が溜息を吐くと、あの、と珍しく身を乗り出してきたのはサラだった。

「橋姫さんに怪談を聞く、と言うのはいかがでしょう。江戸の頃からここに居らっしゃるそうですし、面白い話が聞けるのではないかと思うのですが」

「却下だ。サラ、急速にこっち側に慣れようとすんな。院様の力だって無限大じゃない」

「……はい」

 しょぼんとされて院に睨まれる。

 そうだ、だったら。

「院の昔話聞きゃ良いじゃねーか。その神格に近い院様がどうしてそうなったのかは、俺も気にならないではない」

「それ良い!あたし達結局院様見た事もないんだもん、非実在院様論を破るためにも丁度良い!」

 なんだ非実在院様論って。

『我の事か? ふぅむ……』

 俺はメガネを外し、院の光に眼を突かれながら炉吏子とあざみにそれを貸していた。明度を院が見える程度にしてあるから、おおーっと二人はおののいている。サラはサラで院が見えるようにしてやったらしく、まあ、と驚いていた。袈裟姿のおかっぱ頭。平安くらいの頃の姿だろうか。源氏物語で読んだことがある。それにしても、こんな若さで命を落としたとは、可哀想なもんかもしれないが。むぐもごしながら珍しく消極的な院に、女子三人はわくわくし通しである。昼休みはまだあるしな。だんまりでは逃げられねーぞ、院様よ。

『言われても我もあまり思い出せんでなあ。憑き続けてきた曼荼羅家の事なら多少は話せるが、我の事となると……』

「なにそれダンゼン気になる! 思い出して院様。自分のこと思い出して~」

『と言われてものう……』

 院は困り果てたように言う。これはもしや思い出さない方か良い類なのかもしれない。二位尼みたいなことになったのかもしれないし。

『京……そう、京にいた事は覚えている』

「京って京都だよね?」

『そうそこで……我は裕福な家に住んでいた。だが女房が引き入れた男に孕まされ、出家を決意した』

「にゃ? その子の子孫がサラちゃんってこと?」

『恐らくに。子供は我を母と知らず、すくすく寺内で育ち、やがてよき僧侶となった』

「ほうほう」

『その頃じゃ。誰ぞが我が母であると告げ口をしたのは』

「…………」

『荒れた息子は女犯を犯し――ああ』

 頭を押さえる院に手を伸ばそうとするが、一寸早くサラがその身体を抱き締めていた。よく見れはサラの顔は院の面影を残しているから、その女犯の末の子がサラなのかもしれない。心配げにする炉吏子とあざみに、だから心霊の過去など聞くなと言ってやりたかった。院について言ったのは俺だけど。せっかく忘れかけていた妄執や怨念を思い出すかもしれない。とくに院の力は強いから、これが悪に転じると俺もとーちゃんもじーちゃんもお手上げだ。サラの代になって様々な所に手を差し伸べるようになったが、その力は偉大である。主に俺達が使わせてるんだが。

『寺を放逐されかけて、我は入水した。せめてそれで許しい欲しいと書置きを残して。それから息子は目覚めたように修行も荒行をこなしていった。母子にも出来る限りの金銭を差し出して、孫は陰陽寮の文章生になって――その頃から、我の力は強くなっていった。気付けば孫は賀茂一族に入っていて、それを見届けてから息子も逝った。良い成仏であったと、思う』

 賀茂一族。陰陽術に長けた人間を数多く輩出している平安時代のエリート一族だ。なるほどそこに入り込めたのなら、院の力が強くなっても不思議はない。おまけに自己犠牲の入水だ。徳が上がるのも頷けようものだ。

「サラは賀茂一族の末裔って事か。なるほど、院様が付くのにもふさわしい。しかも寺と神社のサラブレットだ。十分な資質もある。サラ、お前修行したら凄いことになるかも知んねーぞ」

「私、夢はアイドル歌手って六歳から決めてるんです」

 思わずずっこける。

 まあ、十歳だもんな、俺ら。

 俺みたいな寺育ちと違って、夢を見るのは上々だろう。

 俺みたいに道が決まっているよりは、ずっと自由で良いんだろう。

 結局自由じゃないのは俺だけか。

「あたし看護師さんになりたいなー」

「あたしは警察官になって銃撃ってみたいにゃ!」

「一発撃つごとに始末書もんらしいけどな、あれって」

「まじで!? じゃあもう公務員は諦めるしか……」

「お前の中の公務員は警察だけか! 先生達だってそうだぞ一応!」

「だってあたし得意科目無いし体育実技出来ないし、大体こんなに人が交わるところにいて平気だと思う? リドル」

 全然思わない。

「お前うちに来て尼になるか? いっそ……」

「にゃにそれプロポーズ? ちょっとロマンが足りてないよ」

「誰がするか!」

「力いっぱい否定しなくても、小坂識君。女の子は繊細なんですよ?」

「くすん、心がひび割れたビー玉」

「覗き込めばリドルがさかさまに映る」

「連携攻撃してくんな! あと前から思ってたけど曲が古い!」

 と、言ったところで予鈴が鳴る。

 院は少しすっきりしたような顔で、急ぐサラの後ろをついて行った。

 いやでもサラはともかくサラの両親はどうなんだろうなあ……寺と神社とは思えないぐらい、零感体質だったぞ。おばさんに至っちゃ呪いを行おうとする――と言うか実際やってたのかあれは――、親父さんは安いからって事故物件借りておばさんを追い詰める。離婚しといた方が良いんじゃないだろうかとも思うが、それでサラの守護霊が離れちゃいよいよどうしようもなくなりそうな夫婦だった。そのためにサラは良い子に育ったのかもしれない。誰からも好かれる良い子に。両親に捨てられない良い子に。

 そう思うとちょっと複雑だな。思いながら、教室に入る。

「小坂識、アウトー」

「げっマジっすか」

「放課後トイレ掃除なー」

「へーい……」

 トイレの神さんは割と好きなんだけどな、綺麗好きで。こっちも仕事に力が入るってもんだ。女子トイレの方はどうなんだろうか。いや入らないけどな、掃除でも。どっちかって言うと女子の噂話で耳年増なおねーさんだったし。いや、ちょっと会ったことがあるだけで入ってないけど。そう、全然入ってないけど。


「って誤魔化されてたけど、学校の怪談が聴きたいんだよあたしは!」

 ふがー! と両手を振り上げたあざみは、べしべしと俺の机を叩く。すっかり帰るのが一緒になった面々は俺の掃除帰りを待っていてくれていらしいが――面倒くさいなあ、ったく。なんだって炉吏子を危険から守るための共同体が、炉吏子を危険にさらす倶楽部になってるんだろう。炉吏子自身もノリノリだし。勘弁しろよ。自分の家に降りかかった災難があれこれありながらも、この倶楽部は続いている。やっぱり危ないのは炉吏子なんだが、院の力やあざみの御朱印帳、じーちゃんお手製の木札なんかでなんとなく危機を切り抜けて来ちゃってるから、油断しているところもある。そう言うのは良くない。油断は人を殺す、簡単に。俺だってあの鬼に対してそうだったぐらいだ。殊勝なふりして実は、なんて、よくある鬼奇談なのに。

 仕方ない。比較的反動のないだろう怪奇に触れさせて、大人しくしてもらおう。俺はランドセルからペットボトルと筆を出し、半紙にいつもと違う呪文を書く。あれ、と気付いたのは炉吏子だけだ。俺に一番近い所で術を見て来た、炉吏子だけ。

 墨と筆をしまって俺達が向かうのは玄関の千手観音像だ。軽く十メートルぐらいある、吹き抜けの玄関に佇む巨大な像。生徒を守るために生徒たちが彫った、ちょっと等身が微妙なのがご愛嬌のそれ。裸眼では眩しくて見えないから、メガネの明度をかしゃかしゃ下げて、一礼。すると三人も続くように礼をした。カルガモか、お前らは。

「炉吏子は木札絶対離すなよ」

「う、うん」

「あざみは御朱印帳持ってきてるだろうな?」

「もち!」

「サラ。院様の様子は?」

「特に変わりは」

「んじゃいくぞ」

「行くってどこへ?」

「学校の、階段」


 俺は札を千手観音像にくっつけた。


 ――光は瞬く間に消え、そこは夜の学校の階段の踊り場になった。ただし、俺達の今知る学校ではない木造校舎の。


「え、なにこれどこ?」

 あざみはきょけきょろ辺りを見回した。窓ガラスは今より少し薄い気がして、そこから入ってくる街の明かりはない。赤々と燃え盛る、炎は見えても。

「ちょっあれうちの方!? 火事なんてなんで、リドル説明してよここどこなの!?」

「だから学校だよ。今の校舎に立て直す前の木造校舎。ざっと七十年ぐらい前じゃねーかな」

「タイムトリップは怪談じゃないー!」

「でもお前が見たがってたものは見えるぞ。あざみ」

「へ?」

 逃げ伸びてくる防空頭巾の人々を、ぱららららっと軽い破裂音を立てながら低空飛行の飛行機が機銃で狙っている。倒れる人々、血を吐いて這いつくばる人。ひっ、とあざみは背筋を立てて、炉吏子は茫然としていた。サラは院が目隠しして何も見えないんだろう、ぱちぱち瞬いている。

 次々に人々が追い立てられてきては倒れて行く。映画みたいだ。無味乾燥なことを思いながら、俺は寺の方を見る。うむ、無事。流石我が家。まだ母屋も焼けてない。ちょっとは食らってるかもしれないが、あくまでちょっとだ。街ほどじゃない。

「み――たくない」

 震える声であざみが呟く。

「ひ、人が死ぬとこ見たいなんて、言ってないっ」

「でもお前が大好きな怨霊悪霊の類はこうやって生まれるんだぜ。ほら」

 俺はあざみにメガネを掛けさせる。あざみは恐る恐る目を開けた。すると、死体からすうっと抜けては暗く転じて行く霊を見る事になる。大体俺の裸眼と同じ程度に調節しておいたから、くっきりはっきり見えるだろう。がたがた震える肩、怯えるまなざし、見上げられて見下ろす。いつの間にか背中を丸めているあざみは、俺より視線が低くなっていた。

「あの千手観音像はこうやって学校で死んでいった人間を慰撫する為でもあるんだ。もう悲しい事が無いように、健全に部活なんかに打ち込めるように、そういう道具も持たせてある。竹刀とかラケットとかな。作ったのはこの二十年ぐらい後の人間だ。満足か? あざみ。お前が見たがってた霊の、生まれる瞬間だ。もっとちゃんと見てやれよ」

「リドル」

 ぺちん、と炉吏子に頭を叩かれて、俺は炉吏子を見下ろす。こっちは純粋に俺より背が低い。運動も出来なかったから、発育が遅いんだろう。今も俺より足が遅い、数少ない一人だ。あざみの肩を抱き支えて、きっと睨みあげて来る目は、ちっとも怖くない。だけど、やり過ぎたかな、とはちらと思う。

「やり過ぎ。早く戻して」

「あざみは満足か?」

「リドル!」

「も、もう良いっ学校の怪談なんか探らないっ! だから戻して、リドル、こわいっ!」

 俺は上げていた手を下ろす。

 ぺり、と札が剥がれるような気配があって、俺達の世界に光が戻って来た。

 ――もっとも。

「「うおっまぶしっ!」」

 裸眼の俺とメガネのあざみは、千手観音像の光を一撃食らい、しばらく悶える事になったが。

「うー……リトルってばいつもあんなの見てるの?」

「ま、盆と彼岸にはよく見る光景だぞ。祟りに出て来たり見守りに出て来たり」

「祟り……うちみたいなのって軽いもんだったんだね」

 ぶるっと震えて肩を竦ませるあざみは、まだ炉吏子にしがみついたままだ。とは言え炉吏子も木札がなければただの憑かれ体質だから、危なっかしいことこの上ない。やっと目隠しのとれたサラは、きょときょとしながら俺達を見ていた。

「あの、皆さん何を見てらしたんですか?」

「戦時中の旧校舎からの風景。人がぱらぱら死んでくの」

「ひぇっ」

 案外可愛い声を出す奴である。普段大人びているから余計に。

「学校の怪談なんてああいう連中が作り出してくようなもんだ。他校でも七不思議は旧校舎に集中する傾向がある。まだ子供が七つまで神の子だったころの名残でもあるかな。でもこの学校のトイレの神様は信じて良いぞ。少なくとも男子トイレ」

「いかにゃーわよそんなとこ! 女子トイレにはいないの!?」

「耳年増なお姉さんが一人」

「びっみょう!」

「てか何で知ってるの?」

「まさか小坂識君……」

「入ってねーよ!」

 すっかり暗くなって来た路地を歩いて俺達は帰っていく。最初に新興住宅街の方のあざみがいなくなって、社宅の方のサラがいなくなった。方違えして俺と同じ通学路になった炉吏子は、俯いて何か考えているようである。

「ない頭で何考えても無駄だぞ、炉吏子」

「なっシツレーにゃ!」

「どうせあの怨霊たちがどうすれば安らかになれるんだろう、とでも考えてたんだろ」

「うぐ」

 図星か。

「終わった事の風景だよ、あんなんは。だからどうしようもない。お前が何を思っても、千手観音様ぐらいしか聞いちゃくんねー」

「千手観音様が聞いてくれるなら、お祈りしてみようかなあ……」

「過去の事はほじくり返すな」

「あう」

「だからお前は――」

 何にでも好かれて何にでも憑かれる。

「――お前なんだよ」

「にゃにそれ、リドルってば時々解んにゃーこと言うー」

「お前の頭が悪いだけだ。小学生で算数五十点はきついだろう。中学になったらもっと難しくなるらしいぞ」

「うえー分数とか小数点とか嫌いー! 割り切れないの、ほんとやだ!」

 そう。

 割り切れないのがお前の良いところだよ。

 ぷすっと笑うとぺけぺけ殴られる、俺はペットボトルを鳴らしながらけらけら笑ってやった。

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