第9話 百物語


 カラッと晴れた夏のマラソンの授業は地獄だった。炉吏子はちゃっかり見学だが、それでも日陰に居るのに暑そうで、人類に逃げ場なしかよと毒づいたりもした。意外だったのは院で、こちらも暑すぎるのは苦手らしく、早めのタイムで完走したサラを余計に輝かせていた。あざみは二位、俺は後ろから数えた方が早いと言うことで察してほしい。

「こういう時は納涼怪談大会がしたいんだよねー……」

 ぼそっと呟いたあざみの言葉を聞かないことにしていたら、いつの間にか学園百物語大会の準備がされていた。監修はうちのとーちゃんと俺でいつの間にか決まってて、とーちゃんにジャージで行っても良いか、と訊かれて初めて知ったぐらいだった。主催・隅川小怪奇倶楽部となっていたが、俺は一切そんないかがわしい事は聞いていない。思わずサラに電話をすると、小坂識君には内緒でって言われてしまって、とあっさり吐いた。炉吏子もあざみも主催者側だから絶対口を割らないと思ったが、流石倶楽部の良心サラだ。いやそもそも倶楽部でも何でもないんだけどな? 俺が炉吏子を見張る為だけの共同体なんだからな?

 その炉吏子が出ると言い張ってるなら、俺にはもはや何の選択肢もない。変なの拾って帰らないようにいつもより気合の入った札を五十枚一気に量産した俺の努力は、誰もほめたたえてくれない。虚しいものだが、そんなもんだろう。地域にご奉仕というにはうちの寺はいまいち向いていない。読経料安くするわけにもいかないし、固定資産税はあるし。近頃の寺事情だ。懐は温かいと言えない。じーちゃんぐらいの代までは、お寺様として崇拝されてもいたらしいか、最近では盆と彼岸と人死にがあった時ぐらいしか役に立っていない。スクーターで行って帰って来るんだから威厳もない。まあ、祖父ちゃんは髭がふさふさで眼力もあるし、そこそこ怖いが。親父となると剃髪もしないでボケっとしてる事が多い。良いんだか悪いんだか、まあ街は平和と言う事だろう。閑話休題。


 一年生から六年生まで大体十人ずつの参加だった。俺は、サラやあざみのように守護霊が強かったり神仏の加護が付いてたりする連中は避けて札を配って行った。ちなみに炉吏子には筆頭で渡した。一番気合いの入った札だから、多分熱を出したり倒れたりすることはないだろう。いざという時はとーちゃんに車で寺まで運んでもらうことが決まっているし。こういう時に大人がいると、って言うか車があると便利だなあと思う。別に一輪車でも良いんだけど、炉吏子ぐらいなら。俵田の時もだけど。あいつの霊どうしてるかな、なんて今更思う。過ぎた事とはいえ、気分の良い物じゃなかった。それに他所のクラスにはタチの悪い奴もいるのだ。見えないのに見えると言い張る奴、とか。

「で、俵田の後ろの影がだんだん濃くなっててさ。そしたらある日車でドン、だろ? 俺その時やっぱりなー良くないのに憑かれてたんだなーって思って……」

 呪われてたのは俵田の兄だとか、影なんかなかったとか、突っ込みはしない。とーちゃんも何も言わない(一応袈裟姿で来てもらった)から、別に突っ込まなくても良い他愛のない嘘なんだろう。ただ、こいつには後でもう一枚札を渡しておこうと思う。とーちゃんが書いた方も。何だかんだ俺と同じく寺で育った寺の子だから、霊力はあるのだ。お不動さんは心配しているらしいが、俺はそこまで思ってもいない。とーちゃんはとーちゃんで、やるときはやる坊主なのだ。

「それにしても寺の息子の小坂識がいるクラスであーいう事故が出るって、こえーよなあ。寺なんか案外あてにならねーのかもなあ、この札もさ」

 ぴらぴら振られるのは俺の書いた札だ。ついでに、俺がクラスにいてもいなくても変わらなかっただろうと思う。あそこまで達してしまっていたら、彼岸は避けられなかった。せめてと紹介した寺に辿り着く前にああなってしまったのは確かに責任を感じないでもないが、すべてはあの兄のしたことの因果応報だろう。巻き込まれた家族は痛ましいだけだ。俵田も。その両親も。

「リドル」

 掌に爪を立てて堪えていると、とーちゃんがぺしぺしと宥めるように俺の頭を撫でた。不思議と落ち着いて、ん、と俺は応える。ばかばかしいだけだ、こんなものに腹を立てても。人呪わば穴二つ――吹聴されることも穴の一つなんだろうか。想いながら俺は集まってきた浮遊霊達をメガネ越しに見る。時々は立ち上がって、ばたばたと札を当てた。真夜中の体育館に親と子と先生と。神と子と精霊みたいだな、なんて俺はふすっと笑う。宗教は違うけど、聖書は一応持ってる。旧約の半分ぐらいで飽きたけど。

 そう言う俺だから、西洋のデーモン話はピンと来なかった。何が怖いか解らない、と言うか。そりゃ確かに隣歩いてた人間が突然狼男になったら怖いだろうが、それは狼が怖いんであって狼男が怖いわけではない、とゆーか。ふっと消されるろうそくも数を少なくしている。フランケンシュタインの怪物も、そりゃ一人ぼっちは寂しいだろう、で終わる感想だった。吸血鬼は、痛いのは嫌だなあってぐらいで。

 俺はもしかして生に執着が薄いのだろうか、と思わされる。橋姫の時だって、もがれる痛みを想像して逃げてたぐらいだ。もがれて死ぬこともあるだろうに、そっちにはあまり気が行かなかったと言うか。子供なんだから失血死の危険もあったのに、そういうことは考えずにいた。痛いのが怖かっただけで、本当、自分の死について考えた事はない。生きてる中で生と死について考えない奴はいない、とは、何にあった言葉だっただろうか。じゃあ俺は生きてないのか? 常に死んでいる? そんなバカな。こんなバカな会合開く友達がいて、付き合ってくれるとーちゃんがいて、何を思っているんだ、俺は。後で橋姫の所に相談にでも行こうか、思ってまたあやかしだと頭が痛くなる。俺の近くにはいつもそんなものしかいない。他には霊感体質と神様集めが趣味の奴と異様に守護霊が強い奴だ。夜の体育館にいるってのに眩しいのはどういう事だろう。院もこの空間をせめて清浄に保つようがんばってくれてるんだろうか。主の為に。そう言えばこんな不穏な夜なのに、入ってくるあやかしは少ない。玄関の千手観音像の力もあるんだろう。とーちゃんも礼をしてたぐらいだし、俺もその光を避けず礼ぐらいした方が良いのかもしれない。

「じゃあ最後はリドルの番ね」

「へ?」

「へ? じゃにゃーわよ、こんな場に連れて来られて何もにゃーと思ったの?」

「思った」

「そらそらとびきり怖い話、お願いねっ!」

「ま、頑張れや、リドル」

 とーちゃんにまで見放されて、仕方なく俺が話したのは――

 初めて悪霊に会った時の、話だった。


 二歳か三歳かは覚えていない、まだ幼稚園に通う前で、ばーちゃんが生きてた頃だったのは覚えてる。ばーちゃんも寺の嫁らしく長いその生活の中で霊力を身に付け、簡単な術なら使えるようになっていた頃だった。俺もその薫陶を受け、日々浮遊霊を追い掛けては払っていた頃である。

 『それ』は着物姿で寺の前に立ち、見上げるように本堂の方を向いていた。どちらさまてすか、と俺が声を掛けると、きょとんとした後にっこりと笑い、ここの子? と訊ねられた。大人のお姐さんは綺麗で、こくんっと頷くと、そうなの、と彼女も頷いて――

 がばりと口を開けて俺に食い掛って来た。

 それを見ていたのが外で掃除をしていた祖母で、竹ぼうきを使って『それ』――悪霊を吹っ飛ばした。どうやら霊力の高いところを回ってそこで出会う霊力の高い人間を食っていたらしい。すぐに騒ぎに気付いたとーちゃんとじーちゃんがやって来て、それは祓われた。

 思うに俺の自身への関心のなさは、この辺りからすでにあったような気がする。誰かが助けてくれると言う、安心感のある生活の中では。

「そんな怖くないだろ。俺の持ちネタなんてこんなもんだ」

「いや普通に怖いから。あんたは色々マヒしてる」

「何気なく声を掛けた人が、なんて、怖いです……」

「そーゆーサラちゃんも何気なく声を掛けた橋姫さんからおみやげ貰っちゃってるしにゃー。案外そんなもんなのかもよ?」

「そう言えば小坂識君の守護霊さんはどうして何もしてくれなかったんでしょう」

「スパルタなんだよ。うちのじーちゃん、こいつの曾じーちゃんなんだけどな。子供は千尋の谷に落とす主義で、俺も小さい頃は結構泣かされた」

「小坂識のとーちゃんはあんまり強くないって聞いたけどなー」

 ニヤニヤしてるのはさっきの知ったかぶりだ。さらりと無視して、俺は炉吏子にとーちゃんのお札も念のため持たせる。夜の集会は終わって、あちこちでさようならが交わされていた。俺は炉吏子とあざみとサラを送って行かなくてはならないので、とーちゃんが場を清めるまでステージに座って待ちぼうけだ。流石に百物語の会場、結界は引いていたが、悪い物は集まりやすくなってるらしい。かしゃかしゃメガネのレンズを入れ替えていると――ああやっぱりいた。

 俵田だ。悪霊に連れていかれるいわれもなかったから、この辺をぶらぶらしていたんだろう。そしてちょっと怒っているのは、自分の話を小噺扱いされた所為だろうか。そこで怒ったら悪霊になるぞ、と口の中で呟いてみる。だけど、だけど――俵田もぎゅっと手を握り締めていた。俺と同じに。

「よお小坂識、お前の話本当にしょぼかったな」

 知ったかぶりよりよっぽどましだよ。

「お前のその眼鐘本当に霊が見えるわけ? 何かあやしー」

「見ない為のメガネなんだよ、俺にとっては。裸眼ならあちこち生きてるのか生きてないのか解らないのが多すぎて歩けなくなる。動物に浮遊霊に悪霊に」

「へぇ、んっ」

「っ!?」

 唐突にメガネを取り上げられ、俺は固まる。百物語の会場には魑魅魍魎が跋扈している。眼を合わせてはいけない。とーちゃんが浄化したところだけを見ていると、知ったかぶりはメガネを掛けたらしく――

「うわあああ俵田!?」

 明度を合わせていた俵田が、見えたらしい。

「ちょっとあんた何やってんのよ!?」

 聞こえた声はあざみだ。それから炉吏子がメガネを奪い、サラに渡してそこから俺の顔に戻る。ほ、っとしていると、化け物、幽霊、化け物、とぶつぶつ言いながら丸くなってる姿が見えた。どうやら親とは来ていないらしいが、呼んだ方が良いなこれ。うちの車は定員数だし。先生に送ってもらえるか相談してやろう。と、視界の端に居た俵田がガッツポーズするのが見えた。そのぐらいそのぐらい。お前は悪霊になってくれるなよ、俵田。うん、と笑って――俵田は、消えた。成仏にはまだ時間が掛かるだろうが、それまで良い奴でいてくれ。兄の為に俺に頼みごとをし、泣きながら数珠を持っていたお前で。

「で。俵田君の事件、リドルも噛んでたの?」

「げ」

 あざみににじり寄られ、俺は身体を引く。そっちには炉吏子がいて、じとーっと見上げられていた。まあまあと宥めようとするサラがありがたいが、そんな事は許していない二人だ。

「同級生の一家全滅って結構怖いニュースだったんだからね!? 吐け。吐けー!」

「そーにゃ、吐け吐けゲロっと行けー!」

「はっは、そのぐらいにしといてくれよ。二人とも。良い話じゃなかったんだから」

 塩を巻いてからモップ掛けまでして体育館の掃除を一人で終わらせたとーちゃんにそう言われると、二人もぶーたれた顔をしてトーンを下げる。流石とーちゃん、亀の甲より年の功。人を黙らせる術をちょっと使っているだけで。この様子だ。

「うにゃー、そーだけどけどー」

「炉吏子ちゃんはお札持った?」

「おとーさんのとリドルのと二枚貰いました!」

 ば、と炉吏子は二枚の札を差し出す。

「二人は?」

 あざみとサラの方に水を向ける。

「あたしは御朱印帳がお守りになるだろうからってナシです」

「私は院様が守って下さるだろうからと」

「じゃ、余ってる俺のお札持って行きなさいな、二人とも。油断は禁物だぞ、リドル」

「へーい」

 かしゃかしゃメガネを変えて行くと、体育館はすっかり浄化されていた。院の力もあるだろう。ありがたや、ありがたや。

 帰りを急遽呼び出した親に送られた知ったかぶりは、自損事故でむち打ちを患ったらしい。可哀想なのは親だが、それも因果の道すがらの事だ。汝偽証するなかれ、とは聖書の言葉だっただろうか。まあ、当たってるわな。これもやっぱり、人呪わば穴二つだろう。悪霊を騙らば穴二つ。寺を悪く言ったのもプラスして三つぐらいにしとくか。我が家は由緒正しい貧乏寺なのだ。由緒しかない。悲しいことに。まあ能力もあるからまだマシかな、と、俺はメガネの明度を下げて千手観音様に礼をして帰った。

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