第7話 呪い


「おい小坂識、ちょとこっち来い」

 同級生の俵田啓介に昼休みの呼び出しを食ったのは、初めてだった。

 俵田は名前の通り米屋で、一時はこの一帯の地主もやっていたぐらいだったが、今はほどほど落ち着いて、街のお米屋さんをしている。成績は良くもなく悪くもないが、体育には強い方。拳で来られたら逃げよう。思いながら俺はその三歩後ろをついて歩く。辿り着いたのは屋上だが、二十年位前の自殺ブームの影響で施錠されていた。ちなみにこの近辺の学校から自殺者は出ていない。平和な街なのだ、基本的に。

 俵田は階段の一番上に立って、俺はその三段下にいる。

 そんな俺に向かって俵田は――

 パンっと手を合わせて、頼みごとのポーズをしてきた。

「頼む、そのメガネ、俺に貸してくれ!」

 …………。

「ごめん無理」

「米二キロで!」

「いや解んないから。これないと俺も色々不便なんだよ。サラの近くなんて全然見えなくなるし、反対に見える物が増えて外歩けないし」

「だから、借りたいんだよ!」

「何で」

「その――」

 俵田の言う所によると、こうだ。

 俵田の兄が通う学校でいじめ騒ぎがあり、止めようとした俵田兄もその被害者になってしまった。兄は不登校になり、毎日オカルトの本を読んでは呪い殺す呪文を唱えたり儀式をしたりしているらしい。それを止めるために、俺のメガネで兄の部屋に巣食う悪いものを片っ端から追い出したい――。

「いやそれ普通にうちに頼みに来てくれれば祈祷料は取るけどお祓いするぞ?」

「父さんも母さんも、はしかみたいなもんだって言って深く考えてないんだよ。だからお祓いに出すにも金が無くて、そしたらお前らがいるの思い出して」

 『ら』とはなんだ、『ら』とは。元々は俺と炉吏子の監視から発生したものだぞ。あざみが入ってきて、最近はサラも一応部員になってしまったが、基本的な中心は炉吏子であって俺ではない。でもいつも集まるのは俺の机だ。何故だろうと、今更思う。

 頼む、と同級生に言われて断固として断れるほどの気力もない俺は――

「解った。俺が行く。このメガネの操作は複雑なんだ、覚えるまで俺も何回も飯抜かれた」

「そんなに!?」

「だから、行くだけ行くが、もし精神的に参ってるだけとかだったら病院連れてけよ。それが絶対条件だ」

「解った。ありがとうな、小坂識。仲良くもない俺の頼みごと聞いてくれて」

 そう言えば特に仲が良くもないのを思い出した。やはり俺は寺の子なのだろう、助けてくれと駆け込まれたら、よし解ったと言わずにはいられない。


 放課後、俵田の家に近付くにつれ、メガネには変なものがちらちらと映るようになって来た。白っぽいそれは浮遊霊のなり損ない、それがどんどん増えて行くから俺はレンズを増やして弱いものは映らないようにする。すると俵田は、やっぱりいるのか、と心配そうに聞いてきた。まあそれなりに、と適当に答えると、ぶるっと俵田の身体が震える。曰く夜中に儀式をやっていることが多いらしく、その声で目が覚めるとゾッとするそうだ。そりゃそうだろう、悪意が無くても俺だってそう思う。隣の部屋から恨み言・辛み言。夜中って事は明かりも消しているだろう。父母はそれが届かない場所ですかすか寝ている。だから解ってもらえない。だから知ってもらえない。それは兄も同じだろう。家族は誰も自分に干渉して来ない。見捨てられている。孤独感は強く、強く降りそそぐだろう。

 そうして見えた俵田の家は。

 真っ黒で殆ど、見えなかった。

 俺がメガネを外すと、俵田はきょとんとする。

「メガネ掛けるまでもなく、よどんでる。お兄さんの部屋は二階の左側だな?」

「あ、ああ。ただいまかーちゃん」

「あらお帰り啓ちゃん。お友達?」

「うん。小坂識リドル。寺の」

「ああ、あの小坂識君? 何、またお兄ちゃんが呪文言ってるとか言って来てもらったの? ごめんなさいねえ迷惑掛けて」

「そういう問題じゃありませんよ、おばさん」

「え?」

「どうしてこんなになるまで放っておいたんですか」

 俺は俵田に先駆けて、階段を駆け上る。瘴気の出ている部屋は鍵も掛かっていなかった。俺はそこを開ける。真っ黒な部屋の中は何も見えない。メガネをかけて明度を限界まで上げると、やっとその背中が見える程度だった。振り返ったのはクマの出来た顔。サラでも連れてくればよかった、一瞬思って俺は否と思う。

 壁中に貼られた猫の皮。内臓を詰めているのだろうビニール袋。そして彼の腕の中では、息をしていない猫がいる。

「にーちゃん!」

 俵田が叫んで茫然とする。せめて生類を殺していなければと思っていたが、これはやりすぎだ。遅れて階段を上がって来たおばさんが、悲鳴を上げる。くひっ、と俵田の兄は笑った。

「せっかく十匹目だったのになあ。あと三人で、終わったのになあ」

 こいつは駄目だ。思った俺は自分の髪を一本引き抜いて、ピンと伸ばし、彼に投げつける。

 がくんっと机に向かって倒れ込んだ彼を車に乗せるよう母親に指示を出して、俺は自分のスマホで家に連絡を入れた。

「かなりケガレが溜まってるのが一人行くから、護摩焚いておいて。あととーちゃんかじーちゃんがいると心強い。詳しい事は後で話すから」

「なあ、なあ小坂識、兄ちゃんもう駄目なの? 死んじゃうの?」

「死にはしない。ただ暫く寺で預かる方が良いと思う。その間にこの部屋、特殊清掃の人雇って綺麗にした方が良い」

「とくしゅせいそう?」

「人死にがあった部屋の掃除とかしてくれる人。一応俺も祓うけど、俺の力じゃ足りないと思うから」

「啓ちゃん! 小坂識君! はやく乗って!」

 やっと事態を把握したおばさんは俵田兄を担いで車に乗せ、俺達も呼ぶ。って言うか凄いな米屋さんの腕力、自分より背が高くなった高校生の息子担いでいくとか、出来ねーよ普通。

 俺は寺に向かってもらい、寺では待機していたとーちゃんとじーちゃんが俵田兄の身体を引き受けた。おろおろしているおばさんを落ち着かせるために母は茶を入れ、茶の間に待機させる。俺も手伝うと言ったのだが、荷が重すぎると判断されて俵田と一緒にここで缶詰だ。その間に俺は俵田の兄の通っている学校の名前を聞き、新聞の過去記事からお悔やみ欄を見る。十六歳、十七歳の死人が九人出ていた。猫の皮の数とも合う。多分これが、俵田の兄が呪い殺した連中だろう。

「そんな、そんなこと、証明も出来ないじゃない、まさかあの子が」

「猫の数と一致する、不自然な若死にでもですか。あなたはもっと早く息子達の異変に気付かなくちゃいけなかったんですよ。怯える啓介君も、本気で呪いを始めていたお兄さんにも」

 ぺしっとかーちゃんに頭を叩かれる。

「追い詰めるようなことを言うのはおよし、リドル。それよりもメガネで見えないほど瘴気が溜まっていたと言うお家の方が心配よ。伝染病でも出たら洒落にならないしね」

「ああ、こんな、こんなあああああああああ」

 俵田の母は泣き崩れ落ちる。俵田はそんな母親の背中を抱いて、自分も泣いていた。十歳の子供に出来る精いっぱいの慰めだ、それは。

「かーちゃん、俺ちょっと出掛ける」

「何をしに?」

「ちょっとだけ俵田の家を浄化できる知り合いがいるんだ。そこに」

「自分の周りだけで物事を片付けられると思うんじゃないよ、リドル」

 きっと母に睨まれる。

「その人の苦労にもなろう。あとは大人に任せなさい。啓介君も、良いね? 解ったら二人で宿題でもしていなさい」

「……はい、お母さん」

 わあああと泣き崩れている俵田の母親には、かーちゃんが付き添う事になった。俺達は揃って宿題をするけれど、もちろん集中なんてできるはずはなく。

 祈祷が夜中まで続いた事だけは、ぼそぼそと聞こえる呪文で解ったけれど。

 俺は良いことをしたのか、悪いことをしたのか、解らないままにその日は過ぎて行った。


「リドル目のクマすごっ!」

 朝一番に俺に話しかけてきたのは炉吏子だった。思えばこいつの時は一人で除霊出来たんだから俺もそこそこすごい子だったと思う。一年生、六歳の頃か。ギリギリ神の物だった時代だ.

 俵田は学校に行けるような状態じゃなかったから、寺に置いてきた。夜になって店を閉めてから帰って来たお父さんに事情の説明を電話でして、そんな馬鹿なと鼻で笑ったのにお兄さんの部屋を見てみてくださいと言い、特殊清掃の予約を入れさせた。憔悴しているおばさんと一緒になったら、出来れば転校させることを勧め、二人には客間に泊まってもらった。その間中ずっと、呪文は聞こえていただろうけれど。自分の息子の状態を、聞かされていただろうけれど。

 俵田の方は俺の部屋に泊まってもらったが、ずっと震えて泣いていたのが解って、眠れる状態じゃなかった。そんな訳で炉吏子の指摘はこの上なく正しい物なんだろう。顔を洗った時は鏡を見る余裕もなかった。飯もかっ込んできただけで、味なんか解らなかった。給食、給食は味わいたいなあ。四時間目までに回復出来ているだろうか。否それよりも。

「炉吏子、宿題見せてくれ」

「あら珍しい、わすれたのん?」

「違う。一仕事入ってやる余裕がなかった」

「仕事か、それじゃ仕方ないけどあたしの頭はあんたより悪いわーよ」

「知ってる。それでもやってないよりはマシ」

「可愛くにゃー! でも貸してあげるあたし優しー!」

「……本当に大丈夫ですか、小坂識君。なんだかよくない気配があるようですけれど」

「あーサラ、お前の傍にいると院様の霊気で浄化されて気持ち良ーわ……」

「そ、そうですか? じゃあいっぱい出しますね、ん~~っ」

「それで出るのサラちゃん。力んで出る物なの。ちなみに俵田が休みなのはなんか関係してる? あいつのお兄さん、最近あちこちの保健所から捨て猫かき集めてるって噂だけど」

「あざみするどいあざみだけに。でも企業秘密。はいともいいえとも言えません」

「その時点でもうはいって行ってるよーなもんだけどにゃー」

 炉吏子のくせにするどい。俺は宿題を写したノートを返してから、神気浴をする。パワースポットとかああいうのより、人の力の方が強いこともあるのだ、サラみたいに。和むって言うか癒されるって言うか。あ、だんだん眠く――

「はい、朝礼はじめますよー」

 ……人生そううまくはいかなかった。


 メガネをかしゃかしゃいじりながら、俺は家に入る。おじさんは米屋を臨時休業して、おばさんも数珠を借りて、本堂で祈っていた。時々びくびくっと震える俵田の兄の身体におびえながらも、そうしている。

「とーちゃん、俺代わるよ。流石に疲れたでしょ」

「お前は向こうに行っていなさい。余計なことに首を突っ込まなくていい」

「元々俺が連れて来た人だよ。良いから任せて」

「……すまん、実はもう眠気でもうろうとしている」

 とーちゃんの座っていた茣蓙に座り直し、俺も呪文をじーちゃんと合わせて唱えて行く。貼り付いた猫は四匹。まだまだ掛かりそうだ、思ったところで二匹が消えた。代わりに俺の肩が重くなる。なるほど、神気に当てられてた分が一気に消費されたのか。でもこれであと二匹だ。最初と二番目に殺された奴。生きたまま皮をはがれてる。まだ殺してからの方が楽だと気づかなかったころの物なのだろう。殺す。嫌な言葉だ。ついでに茹でてからの方が剥がしやすくなると教えてやりたかった。こんな怨霊に取りつかれる前に。それ以前の問題、か。

 誰かがちゃんと向き合ってやればよかったんだ。いじめられていること、追い詰められて呪術なんてものを調べ出したこと、保健所から猫を集めていること。どこかの段階で誰かが声を掛けてくれれば、この人はちゃんと泣けただろう。泣けたら前を向けただろう。だけど周りは良くも悪くも放任主義だった。両親でさえ。唯一気にかけてくれた弟がいなければ、この人も祟りで亡くなっていただろう。あと三人、とか言ってたし。弱っている守護霊はほとんど無くなりかけだ。守護霊がいないとどんなに大変か、俺は炉吏子と言う実例で知っている。消耗したんだろう、怨霊から主を守るために。頑張った。あんたは頑張ったよ。だから少しの間こいつを俺達に任せていて欲しい。ちゃんと返すから。大丈夫。

 命を失った猫達も、どうか許してやって欲しい。追い詰められていたからってやって良いことと悪いことがあるのは解ってる。でもこの人にはもうそれしか残ってなかった。それしか思いつけないほど、痛めつけられていた。痛めつけられていたから痛めつけて良いなんて法理はない。道理だ。だけどこの人だけが悪いんじゃない。どうかそれを解ってくれ。頼む。頼むから。

 経文を唱えながら込めるのは願いだ。そうしなさいと俺はじーちゃんに教わった。仏壇に向かう時は近況報告。加持祈祷の時は祈り、願い。そして神仏の力を乞う。一匹。また消えた。最後で最初の一匹だけがしがみ付いている。俺は願う。助けてくれと。許してくれと。


 小さなころからあやかしばかりと遊ぶ俺は気味悪がられてよくいじめられた。見えないようにするためのメガネを与えられた時もおかしなメガネだといじめられた。だからこの人の気持ちが解る、とは言わない。でも橋姫がいなかったら俺も自分の力を悪い方に使ったかもしれない。炉吏子が俺をヒーローにしてくれなかったら。炉吏子。浪花炉吏子。

 あいつに守護霊がいない事も、俺は知っていた。知っていて放っていた。だけどたまたま家に行く機会があって、仕方なく対処をしただけで、俺は薄気味悪い変な子供から正義の味方の祓い師になれた。炉吏子が喧伝してくれなければあざみともサラとも縁は結びつかなかっただろう。そんな存在が、この人にはいなかっただけなんだ。結びつく仲間が、いなかっただけなんだ。仲間? 仲間――なんだろうか。よくは解らない。でも一緒にいて居心地の良い相手がそうであるのなら、この人はそういう相手に巡り合えなかったかわいそうな人だ。だからどうか、助けて下さい。こいつを愛する両親の為に、弟の為に、もしかしたら他にもいる誰かのために。

 助けてください。

 この人を思う誰かのために、この人を助けてください。

 最後の一匹が剥がれる。


 じーちゃんが経文を置いて、両親の方に向き直る。俺も同じようにする。


「猫達は剥がれましたが、彼が呪い殺した九人は、いつどこから湧いてくるか解りません。そして九人もの魂を剥がせるほどに、儂らも呪力がない」

「そんな!」

「ど、どうすれば」

「山に紹介状を書きます。その上で彼には、僧になってもらうしかない。自分を守れる自分になってもらわざるを得ない。山まで辿り着けるかも解りませんが、ここにいるよりはマシでしょう。あくまで、マシ程度ですが」

「ああ……なんで、なんで俺はこの子の話を聞いてやらなかったんだ!」

「それは今悔いても仕方ありません」

 俺は口をはさむ。じーちゃんに睨まれたけれど、元々この問題を持って来たのは俺なんだから、言うんだ。

「啓介君も同じことを言っていました。でももうなってしまったことは仕方ない。どうしようもない。だからせめて光の見える方に行くんです。それがどんなに儚い光でも」

「ああ――あああああ――」

 泣き伏せるおばさんと、それに覆い被さって泣くおじさんと、本堂の外で泣いている俵田と。

 何にも救われない気分になった。

 せめてすぅすぅと息をして寝ているお兄さんだけが、救いのような。


 後日、山に向かう車が交通事故でひしゃげているニュースを見た。

 俵田一家全員死亡。

 人呪わば穴二つ、と、ちょっと陰鬱な夕食だった。

 お守りは一応持たせたんだけどな、おまけ付きで。

 自分の力なんてこんなもんか。思わされるには十分、過ぎた。

 それは違う自分の姿に見えたからかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る