第6話 橋姫


 橋姫の橋を遠くに見ながら、俺達はちょっと離れた橋を渡る。こっちの橋には姫はいないはずだし、多人数ならなおさらだった。そうして改めてサラの家を訪ねると、以前とは違って清浄な気配がしていた。掃除もするようになったし、包丁で指を切って恒常的なケガレに触れることも無くなった所為だろう。ぱたぱたとスリッパを鳴らして出迎えてくれたおばさんは、俺の両手を握って泣き出した。ありがとう、本当にありがとう。

「実は父母の不和で離婚話も出てたらしいんです。それがお札一枚で収まったから、お母さんも感激しちゃったみたいで。先日の御朱印のことを話したら、早速押して頂いたんですよ。危なっかしい宗教じゃないのか、と父には訝られましたけれど、実際母の指がみるみる治っていくのを見ると信じない訳にはいかないらしくて――小坂識君、本当に、ありがとうございました。私たち一家を、助けて下さって」

「院様が干渉するのはサラだけか。家庭が滅茶苦茶になったらそれも面倒そうなもんだがな。良いんだか悪いんだか」

『良いのだよ少年。我は我の領分がある。それを超えた事は出来ないし、してはいけない』

 ま、でしょーよな。

 サラの部屋はまだあまり片付いていなくて、ダンボールがそこかしこに積んであった。中を見ると有名作家の少女小説シリーズでいっぱいで、きゃっきゃするのはあざみと炉吏子だ。そうかお前ら文字を読むなんて高尚な趣味があったんだな。半ば本気で感心していると、サラにどうされました、とたずねられる。思った通りの事を言ったら両側から脛を蹴られ、悶絶しながら膝を折る俺。く、口は災いのもと、ををを。それにしても大量の本だ。棚にしまうのが大変じゃないかと問うと、並べ方を考えるのが楽しいんですよ、と微笑まれる。

「作家順、出版社順、刊行順……たまに入れ替えると暫く読んでいなかったものが見つかったりして、楽しいんです」

「それは良いな、俺は本なんて道徳の教科書と国語の教科書ぐらいしか読まないが、そう言う楽しみ方があるのは面白い」

「転勤族なので物が増やせないから、せめて見つけた楽しみ方です」

 ちょっと得意げに胸を張るサラ。炉吏子やあざみより背が高い所為か大人っぽく見えるが、やっぱり中身は十歳だよな、などと俺は考える。俺の部屋は心霊オカルトばっかりで趣味と実益兼ねた殺風景な部屋だから、女の子の部屋ってのは面白い。本か。俺も図書室行ってみようかな。本所七不思議も読み終わったし。次はどこの七不思議にするか――そういやうちの学校って七不思議聞いた事ないな。炉吏子、あざみ、と声を掛けると、勝手に人の本を読み始めていた二人がこっちを向いた。いやちょっと図々しくないかお前ら。整理途中だってのに。

「うちの学校って七不思議あるのか? そういえば」

「千手観音祀ってるぐらいだから無いんじゃない? あ、遡ってそこまでしないといけないものがあった、って可能性はあるかな。何々、心惹かれちゃった? 怪奇探し」

 あざみが差し出したのは有名作家の怪奇シリーズだ。ゴーストバスターな主人公一味があちこちで起こる心霊現象に立ち向かっていく。あざみが俺達に目を付けたのはその辺にもあるんじゃないだろうか、まさかサラも? 思わず見上げるが目を逸らされた。当たりか。有名なシリーズで男子の俺だって知ってるし図書館にも何冊かあるもんな。

「いや惹かれねーよ、俺は出来るだけ温厚に穏便に暮らしたいんだ。橋姫とだっていつかは仲直りしたいと思ってるし」

「お優しいんですね、小坂識君は」

「自分に降りかかる火の粉を減らしたいだけだ。優しさでも何でもない」

「にゃーて言って、ホントは遊んでた頃が恋しいくせにー」

「炉吏子。お守り返せ」

「あたしに死ねってゆーの!? ほんとあれないと歩けないぐらいの高熱出すんだからね!?」

「じゃあその考えた事がまっすぐ飛び出す口をなおせ」

「はいはいー、っだ。だったら橋姫との仲直り方法探した方が良いんじゃないの?」

「そんなニッチな情報あるか」

「良ければPCお貸ししますが」

「んな気ぃ使わなくて良いんだよ。その内どーにかなるだろ」

「でもリドル、ジモティーだから中学までは少なくともここに居るんてしょ? 危なくにゃーい?」

「まあリドルがもがれてもあたし達には関係ないけどさ」

「もぐ?」

「もぐもぐ。橋姫はもぐの。下半身を」

「あざみちゃんあざみちゃん、サラちゃん照れてる」

「ウブな反応が堪らないあざみちゃんです」

「帰れお前ら」

「二人っきりで何する気!? パフパフ!?」

「だから古い言葉ばかり使ってやるな。お前んちみたいに死語趣味はしてねーんだ、どこだって」

「ぱふぱふって何ですか、炉吏子さん」

「胸に顔を突っ込んでー」

「教えんで良い!」

 そんなこんな言って、遊んだり片づけを手伝ったりお茶したりしていると、あっという間に門限の五時の鐘が鳴る。我ながらこの門限は小学四年生に対して早すぎないかと思うのだが、代々受け継がれて来た門限はいかんともしがたい。二人を置いてサラの家を辞し、スマホを出して時計を確認しながら――

 俺は橋姫の橋に、向かった。

 橋姫は元々呪いを得意とする神でもある。有名な所で丑の刻参りだが、あれってのは橋姫の姿を模したもので、嫉妬深い橋姫の力を借りてできる呪術の一つだ。つまり橋姫は呪いを飛ばせる。それでもこの数年間俺に何もなかったのはなぜか。簡単なことだろう。うちが寺だから、ではない。寺から離れてる時分の方が多い子供に呪いを掛けるのはたやすい。俺自身の霊力ではじき返せているとも思わない。相手は年月を経たあやかしなのだ。俺程度の自然結界は、ものともしないだろう。

 俺は土手を降りて、橋のたもとに向かう。

 メガネをかしゃかしゃ言わすと、それがこちらを向いた。

 着物姿の長い髪のお姉さん。

 俺も最初の印象はそうだったんだよなあ。

 まさかあんな、金輪を被って髪に火をともした化け物に見えるなんて、思わなかった。

『――童?』

「そ。リドルだ。久し振りだな、橋姫さん」

『今更何をしに来た!?』

「仲直りしに」

『へ?』

 髪が集まりかけていたのが、ぱら、と散る。

「俺にとってのあんたは良い友達だったからさ。あんな箱渡されなきゃ、今だって一緒に遊んでたぐらいの友達だ。あんた、親しくなった相手に所かまわずあの箱渡すのはどうかと思うぜ。普通はビビッて来なくなるっつーの」

『びびる』

「おっかながる」

『だって、あれがあればどんな相手とも結ばれるから』

「結ばれなかった末のもぎ取ったもんだろ。お守りじゃない、呪いだあれは。この前この橋の上で女の子にもあげたろ、あの箱」

『……ええ』

「もしも何もしないなら、世間話ぐらいはしても良いと思う。でも何かあったら、……俺も力を使うよ」

『妬ましい』

「はは、そういや嫉妬の神でもあったな、あんた。大丈夫、今のところ俺の初恋はあんたで止まってるからな」

 ぽぽぽ、と頬を染めて、長かった髪は完全に下がる。俺も俺で頬を染めながら、その髪につげの櫛を通した。こっそり橋姫の髪の毛ゲット、と言う訳でもないが、せっかく綺麗な髪をしているんだから勿体ない。後ろに一つおだんご頭を作って飾り串も刺してやると、橋姫はちょっと照れたようになった。本当、俺の初恋はこのあやかしで止まっている。やっぱり綺麗だと思ってしまうあたり、どうしても。でもそろそろそれも変わっていかなきゃならないだろう。何せ俺も、十歳だ。いい加減大人に近付いていかなければなるまい。

『童は、また来てくれるようになるか?』

「友達連れてきていいならな」

『良い、許す。童の顔をまた見られる方が良い』

 にこ、と微笑んだ橋姫は、本当とびっきりの美人だった。


「――と言う訳であの橋渡れるようにしといたから、おだんご頭の着物のねーちゃんがいたら世間話の相手ぐらいしてやってくれ。サラ」

「何て言うか、……すごいですね、小坂識君。対話で神様との仲違いを治めちゃうなんて」

「対話だけってんでもない」

 次の朝休みの時間、ほーっと息を吐くサラに俺はつげの櫛を出す。

「櫛で苦死の綾を取り、つげの色を増すように呪いの力を解いていく。ばーちゃんから教わった、女あやかしの宥め方だ。また櫛屋行って新しいの探さねーとな……地味に財布に痛いんだよなー櫛って。良い物は本当に良い働きしてくれるから。職人魂ってすげえけど、昔ほど取り扱ってる店も少なくなって来たし」

「使いまわしはされないんですか?」

「そんなことしたら橋姫の妬みを買うぞ」

「そ、そうですね、それはいけません。でもなんだか一途で一筋って感じで良いですね、それ」

「ま、一途で一筋だったころもあるからな」

 変なメガネを幼少から付けさせられていると、人よりあやかしに遊んでもらう事の方が多かった。それを矯正するためのメガネが、余計に俺を人から遠ざけていた。よく笑いよく話すあの橋姫は、本当に初恋のおねーさんだったのだ。それだけに渡されたものにゾッとした。子供だって解る、永別に近かったのだ、あの箱は。しょせん人とは相いれないのかと、悲しくなって俺は橋の方に行かなくなった。それが彼女を悲しませると解っていても、俺だって怖かったのだ。自分もいつか干からびた性器のお守りにされるのかと思うと、恐ろしかった。

「にゃーにが一筋? リドルぅ」

「あたし達もお話聞きたいなー♪ 橋姫さんがどうしたって?」

「ぬをっ」

 のし、のしのしっと俺の背にのしかかって来る炉吏子とあざみの姿に、サラがくすくすと笑う。あ、そーだ。

「サラ、これいざという時のお守り……橋姫怒らせちまった時は、中身の札使え」

「おまけ付きですか?」

「一応な」

「ありがたく、ちょうだいします」

 袋型のそれを受け取ってぺこりと頭を下げて来る、そんなしとやかさが後ろの二人にもあったらよかったのに。

 耐えられずベしゃっと机に伏せると、院がけらけら笑っているのも見えて、絶好調に不愉快になった。

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