第4話 事故物件
※
帰り道は一緒にサラの家に行くことになった。友達が出来た印にちゃんと紹介したいとサラが言った所為だ。あざみと炉吏子はきゃっきゃしているが、寺の子として敬遠されてきた俺には珍しい事で、ちょっと緊張したりもした。あの子を家に上げるのはちょっとね、と言われ続けてきたせいだ。助けても助けなくても敬遠されるならと、俺もクラスで話すのは炉吏子とあざみぐらいになっていたが――橋を渡る。社宅とはちょっと遠い橋だ。社宅近くの橋には当分近付かないでおこう。少なくとも、サラが忘れるぐらいまでは。俺がまだ忘れられてないってんだから、五年十年の話以上になりそうだが。とーちゃんやじーちゃんも知ってるってんだから、本当にいつから居憑いてるんだか、だ。江戸時代でも四百年ぐらい前だぞ。
サラが家に近付いていくにつれて、邪気が濃くなっていく。守るように院の後光が強くなった。俺はレンズを組み替えて、人間しか見えないモードにしてみる。人間の邪気じゃあない。習字道具セットを脇に挟み、かしゃかしゃメガネをせわしなく組み替えると、三人が訝し気にしているのが解った。だが俺はやめない。院の神気も増している。
――邪気は――
サラの家から発せられていた。
院を見上げると、こくりと頷かれる。
「ただいま、お母さん」
「いたっ。ああ、お帰りなさい沙羅」
「どうしたの? また包丁?」
「最近切れが悪いから、研ぎ師さんに出したばっかりなんだけれどねえ――今度は切れすぎちゃったのかしら」
苦笑しながら出て来たサラの母親は、なるほどサラとよく似ていた。サイドテールの髪を、後ろに一つ結びにしているのが違いか。それともその手がばんそうこうでいっぱいなのが違いか――院の光に促されて、俺は習字セットの鞄を出す。あ、と声を出したのは炉吏子だ。一度見た事のある光景だからだろう、すぐに気づいて場所を開けてくれる。あざみの方はあざみの方で興味深げにのぞき込んでいた。サラとその母親は、きょとん、と俺を見る。本当は霊水か何かで墨を溶いた方が良いのだが、面倒くさいからボトルの墨だ。硯に出して、まだ柔らかい筆にたっぷり含ませる。
そうして書いたのは、破邪の言葉だった。
悪霊退散。
一気に家の中が明るくなる。というか、立ち込めていたものが無くなる。
あ、とそれに母親は気付いたようだった。
「それは――何? えっと、沙羅のお友達よね。お名前は」
「小坂識リドル君だよ、お母さん。お寺の息子さんなんだって」
「ああ、道理で」
そういやこのかーちゃんも寺生まれだったか。なんとなくシンパシーを感じないではないが、寺を継がなかったのは男兄弟がいた所為かこのかーちゃんに霊力が無かった所為か、どっちかだろう。守護霊は付いているものの、サラに比べると随分か細げだ。主を怪我から守れない程度には。
「おばさん」
「え?」
「この家、事故物件ですね?」
びくっとした母親の態度に、きょとんとするのはサラだ。事故物件って、と口を添えるのはあざみだ。こいつはオカルト知識には本当、余念がない。
「この家で誰か亡くなるかしたってこと? リドル」
「ああ。多分ひとつ前の家主だろうな。過労か何かで自殺してる。安い物件には訳がある、知ってたでしょうおばさんだって」
寺の娘なら知ってるだろう。引っ張られる、と言う事もあることは。母親がノイローゼになる前に来られてよかった、俺はほっとする。サラがいれば大丈夫だろうが、いない時間が問題なのだ。料理も洗濯も掃除もろくにできなかっただろう。料理は指を切る。洗濯は水が抜ける。掃除は尖った物に引っかかる。ほとんど全部を、この母親だけがこうむっていたはずだ。サラのいる時間は父親もいる時間だから問題ない。集中攻撃を受けていたわけだ、このおばさんは。ほろほろ泣き出した母親の背を撫でさするサラは、本当に菩薩めいている。
「取り敢えずこの半紙を家のどこかに置いといてください。後で正式なお札持って来ますんで。じゃ、一足先に俺は帰るからな、あざみ、炉吏子」
「了解なんだよー」
「さ、おばさんももう泣かないで下さいな。あいつに任せとけば大概どうにかしてくれますから」
「本当に……すごいのね、小坂識君って」
札を持って戻る頃には夕日が暮れていた。宵闇はあやかしの時間だ。さっさとおいとまして、また来てね。今度はゆっくり、来たいです。お菓子でも作っておくわ。手作りか、それは良い。玄関先で話してから、おっと、と俺はお札に髪をはさむ。念のためだ。かしゃかしゃメガネのレンズを変えても、もう邪気は見えない。院の神気が漏れているぐらいだ。これなら大丈夫だろう。横着して橋を渡りそうになって、炉吏子に止められる。
「この橋はダメなんでしょ、リドルっ」
そうだった。
ちょっと橋姫さん見たかったな。なんて言い出すあざみには、あやかしがいかに恐ろしいか説教してやった。
もがれ掛かったんだぞ、こちとら。
女子には解らない恐怖だろうが。
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