第三回戦 主従関係
一児の母で、夫と二人目の計画を進めているという彼女は、自分と同じ立場の人間としか関係はもたないと宣言した。どうやらそれは彼女の主義らしく、結婚相手がいる男との責任を踏み越えた先でするセックスにしか興味はないとのことだった。
そこで、僕はこの夢見坂との一度きりのセックスのために真っ赤な嘘をつく羽目になった。思えば僕はセックスをするために毎回大なり小なり嘘をついている。セックスと嘘は切っても切り離せないものらしい。僕は新婚の夫という役を完璧に演じ、左手薬指にはそれなりの値段の指輪を装着した。そして余裕のある口調でもって彼女を口説いたのだった。
実際、保安検査場さえパスしてしまえば、夢見坂セックス空港のセキュリティは大したことはなかった。実際彼女は相当の変態で、自分の身体を拘束されることに無類の快楽を覚えるらしかった。
「虐げられるとか、虐められるとかを望んでるわけじゃないんです。私の命を所有してほしいというか。良いことをしたら褒めてもらいたいし、悪いことをしたら罰してほしいんです」
彼女はまっすぐな瞳をしてそういった。
「複雑ですね。じゃあ僕があなたを叩いたらどう思いますか? 例えば、あなたが僕の言いつけを守らなかったとかで」
「それは程度によります。私だって暴力は怖いですし……痣や傷が残ったりしたら夫に感づかれます。それだけは絶対に嫌です」
「もちろん。それは僕にとっても同じことです。あなたを傷つけることは絶対にしません」
「ありがとうございます。そういう安心感が根底にないと、私もあなたに全てを委ねられませんから」
委ねる、とはどういうことだろうかと僕は思った。しかし、それは夢見坂とセックスを重ねていくうちに明らかになっていった。
夢見坂は僕よりも先に裸になることを好んだ。それも、自分から進んでというより僕から命令されると喜んで裸になった。鏡に映る全裸の自分と衣服を着た僕の姿を見ると、たまらなく興奮するのだという。彼女はまるで尻尾を振る犬のような格好で僕にすり寄った。僕の足に身体をまとわりつけ、頬ずりした。知り合ってまだ一月も経っていない赤の他人の僕にだ。
結局、彼女は僕がどんな性格でどんな人生を歩んできたかなんてまるで興味がなかったのだ。自分を抱いてくれる身体さえあれば良かったという意味ではない。彼女が求めていたのは、もっと別の存在だった。
「跪け」
僕が命じると、裸の彼女は黙って従った。
「咥えろ」
僕が命じると、裸の彼女は黙って従った。
「もっと感情をこめろ」
「感情?」
「情熱的に、というか……」
彼女は命令を具体的に理解するほどの知能をもたなかった。むしろ、それゆえに相手が困り、自分を見下してくる態度に歓喜しているようだった。僕は彼女に細かい指示を与え、彼女はそれに従う。そんな作業的なセックスが何度も繰り返された。何度も、何度も。それは主従関係の確認作業のように思えた。
彼女との密会場所の多くは郊外のホテルで、子供を保育園へ送ってから職場へ向買う間の三時間が主なタイミングだった。彼女の仕事はシフト制で、日によって出勤時間が異なる。彼女はあらかじめ夫に嘘の出勤時間を伝えていた。
「私の身体は君のものだよ」
夢見坂はセックスの後によくそう呟いた。
「私の身体のどこでも、君は好きに使っていいんだよ。触ってもいいし、舐めてもいいの。嚙むのはだめね、痕が残るから」
「あなたは僕とどうなりたいんですか? 今の夫と別れて、僕の犬として暮らしたいとか考えていたりするんですか?」
「私は夫のことは愛してるの。彼のことは夫として愛してる。それは絶対に嘘じゃない。でも、私は誰かに私の存在をすべて掌握してほしいの。生き死にも、感情も、すべて」
「それはご主人に頼めないんですか?」
「夫はあくまで社会的なパートナーだから。こんな頭のおかしい考えを共有したいとは思わないわ」
「じゃあ、あなたはこの先もずっとこんな関係を家庭の外部に求めるんですか?」
「人生はね、君が思うほどわかりやすくないのよ。人間も、きっと君が思うほど素晴らしい生き物じゃないの」
結局、僕は夢見坂と約半年間何度か会ってセックスをした。回数を重ねるたびに僕たちの間には不文律のようなものが構築されていき、セックスの息がぴったりと合うようになった。彼女は首輪をはめられ、手枷足枷をつけられてベッドの上で無様な姿勢で僕を待った。僕は彼女の背後から忍び寄り、その身体を指先でなぞる。そして尻や胸を平手で打ち、彼女は歓喜の声をあげる。そんな茶番劇を二時間くらい続け、生殺しにするような緩慢な挿入運動で僕たちのセックスは終わりを迎えるのだった。
ある日、夢見坂はセックスを終えてから呟いた。
「今度会う時は、私の最後の持ち物を君にあげる。これで本当に私は君のもの。私は君の忠実なお犬ちゃんになるから」
結局、その日を最後に夢見坂と会うことはなかった。彼女は一方的に連絡を絶ち、僕たちの主従関係は終わった。
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