第二回戦 『性愛中毒』

 石球磨苺いしくまいちごは常に根拠のない自信に満ち溢れている女だった。「あたしって色々なところに顔出しちゃうから」が口癖で、大学の講義そっちのけでボランティア活動やらサークル活動やら、インターンやらにも手を出す身軽さの持ち主で、とにかくあらゆることを同時並行的にやっていなければ気が済まないような女だった。

 長い黒髪に、小麦色の肌。ちょっと彫りが深くて異国風の顔立ちをしているが、両親は生粋の日本人らしい。男っぽい服が好きで、パンツ姿の方が印象に残っている。化粧も特徴的で、とにかく一部の隙もない。黄金比を思わせるような、精巧で計算し尽くされたかのような美しさ。どこか人間離れして、彫刻のような印象さえ受ける。

 僕と石球磨との出会いはありふれたもので、学園祭実行委員会という学内サークルの中でも割と活発な部類のサークルで同級生として知り合ったのだった。もちろん僕としては学園祭には毛ほども興味がなく、ただセックスの相手を探すという目的のために入会を決めたに過ぎなかったのだが、当の石球磨本人は将来イベントの企画に携わりたいという真っ当な理由で入会したらしかった。思えばこの時点で僕たちは人間的に性質も程度も根本から異なっていた。それでも僕たちは知り合い、たまたま下宿先が近かったという縁でたびたび食事に行く仲にまで発展した。

「君ってさ、夢とかないの?」

 酔うと石球磨はきまってそんなようなことを訊ねた。そして僕は、

「さあね。楽をしてお金を稼げて、楽をして結婚して、楽をして老いと向き合い、最後は穏やかに死んでいきたいな」

 と答えるまでがルーティンだった。

「そんな嘘っぽい人生、あたしは嫌だなぁ」

 石球磨は口を尖らせる。僕は彼女に同感だった。だって僕の言葉は嘘八百もいいところで、本当の僕はセックスのことしか考えていなかったから。それまでの人生でセックス以上に心を奪われたものはなかったし、それはこの先の人生も同じことだと思っていた。僕はきっと体力の続く限りセックスに明け暮れるのだろう。いや、たとえ体力が失われても体力の要らないセックスの方法を見出してセックスするのだろう、と。

「あたしは将来、大した人間になるんだ」

 石球磨はグラスの中の氷を見つめて呟いた。

「あたしにはこの社会で生きる才能があるんだ。それもただ生存するのではなくて、成功する才能がね。何を言ってるかわからないだろうけど、あたしはこれまで自分が叶えたいと思うことは全て叶えてきたんだよね。定期テストでは全科目九割以上得点したし、テニス部では顧問から部長に選ばれて、中学、高校と生徒会長を務めた。もちろん運がよかったと言われればそれもあるんだろうけど、あたしは夢を引き寄せる才能があると思ってる。自惚れじゃなく、あたしの過去がそれを証明してる。だからあたしは明日のことを考えると楽しくて仕方がない。十年先、二十年先はどうなってるなろうって、考えると胸の中が幸せでいっぱいになる」

「そんな人生、僕も経験してみたかったなぁ」

 僕がそういうと、石球磨は微笑んだ。

「君は思い通りにいかないことの方が多かったの?」

「どうだろう……半々かな。あまりちゃんと覚えていないけど。そもそもそんなに何かを強く願って生きたこと、なかったかもしれない」

 僕は真っ赤な嘘をついた。僕はいつだってセックスすることだけを強く願って生きてきたのだから。そういう意味では、僕はセックスしたいと思った相手とは九割以上の確率でセックスできているかもしれない。

「ふうん。そういう人生って、つまらなくない? だって生きることって、何かを願うこと、欲求することと切り離せないじゃない? 何も願わないって、それは死んでることと同じだと思うの」

「たしかにね。今思い出したけど、僕だって美味しいものを食べたいなとか、あのマンガが読みたいなとかは思ったりするよ。そういう小さな願いも、願いのうちに入るならね」

「願いに小さいも大きいもないよ。あたしとしては、自分の願いに正直に生きることが、その願いやさらにその先にある願いを叶えることにつながると思ってる」

「どういうこと?」

「要は、やりたいって気持ちに蓋をしないで、思いっきりやってみた方が人生楽しいぞってこと!」

 石球磨の言葉に熱がこもるのを感じた。

「それっていいね。その考え方、なんか石球磨らしい。僕も試してみる」

「本当にそう思ってる?」

 石球磨は悪戯っぽい目をする。僕はそっとフォークをテーブルに置き、彼女の手に自分の手を添えた。

 時計の針がちょうど夜の九時を指した頃だった。池袋北口のホテル街はピークを微妙に過ぎて部屋に空きが出てくるタイミングだ。僕は二人分の会計を済ませた。

 石球磨苺の陰部は無毛だった。これに僕は意外の感に打たれた。

「電気は消してくれる?」

 そうしおらしい声音でいう彼女の目は微かに潤んでいるように見えた。僕はますます不思議に思った。しかし、セックスの最中に会話する気にもなれず、僕はその疑念を飲み込む形で行為に神経を集中させた。

 僕たちはお互いの体を確かめ合うかのように、まさぐり合い、くるくると体勢を変えていった。まるで寝技の実演をする柔道家のような気がして、僕は何度も笑いを堪えなければならなかった。石球磨はそれまで僕が経験した女とは異なり、僕の愛撫に合わせて愛撫を返してきた。それは思いやりや愛情からではないらしく、彼女のある性質を窺わせるものだった。

 口による愛撫に移行してからは、石球磨も大胆になり、僕に対して積極的に自分の急所を曝け出すような体勢も進んでとってきた。しかし、僕には彼女が淫乱などではないことをわかっていた。彼女は僕に対して張り合おうとしているのだった。指先による愛撫も、唇による愛撫も、僕がそうやってきたからやり返したのだ。一体なぜ彼女がそこまで僕に対抗してくるのか真意はわからない。でも、僕はこの女のそんな姿が哀れに思えてならなかった。

 僕は石球磨の尻を掴むと、強引に引っ張った。すると彼女は四つん這いで尻を大きく後ろに突き出す情けない体勢となった。

「ちょっと……」

 これにはさすがに意を唱える石球磨。しかし僕は、彼女を逃すつもりはなかった。暗闇の中で的確に窪みの位置を把握して侵入することは、『性愛中毒ドラゴンヘッド』と呼ばれた僕をして造作もないことだった。

 瞬間、石球磨苺はうめくような声を漏らした。まるで鋭い刃物で突き刺されたような、自分の弱点を見透かされたような悲痛な声だった。それを聞いて僕は生まれて初めてセックスの快楽を知った気がした。

 僕と石球磨の自意識はセックスの快楽の中にどろどろに溶け合い、そしてなくなった。後はもはや走るしかないようなもので、僕たちは絶頂に向かってひたすらに腰を振り続けていた。石球磨は僕に対抗するのをやめ、ただ尻を突かれるがままになっていた。僕は満足した。それでこそ僕が求めていたセックスだ。ポルノの真似事ではない、ヒトとヒトの、動物としての営み。全霊をもって臨み、ただ快楽の中に溶けていく。

 石球磨の顔は醜く歪んでいた。さっきまでの精巧に彩られたメイクは汗で滲み、流れ、肌の上で崩れていた。荒い息遣いからは微かに夕食のアラビアータソースが酸化したような臭いがした。

 この女を「人間」として演出している部分が剥がれかかっていると思った。その時点で僕はもう我慢することができなかった。僕は熱くほとばしる精を彼女の顔面にぶちまけてやった。

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