第四幕 若葉の跡

 数か月が経ち、メテウスも鍛冶職人が板についてきた。

 彼の造る武具は評判も高く、多忙を極める工房の先輩達に十分な貢献をしていた。


「よし、これで仕上げだ!」


 その日の最後の刀剣を仕上げたメテウスは、くたくたになりながらカウンターの椅子に腰を下ろした。

 すでに窓の外は日が落ちて真っ暗になっている。


「今日はもうお客はきそうにないな」


 閉店札の準備をするメテウスに、帰り支度を整えた兄弟子達が話しかけてくる。


「今日もお疲れさん!

 酒場で飲んでいくけど、お前も来るか?」

「俺が下戸なの知ってるでしょ」

「そうだったな。

 しかし、酒を飲めないなんて人生損してるぜ!」

「俺はそうは思いませんよ」

「ところで、あの子はどうした?

 最近、工房に顔出してねぇみてぇだが」

「若葉の冒険家のことですか?

 でかい遺跡の調査隊に加わったって言っていたから、そっちで大変なんじゃないですか」

「そうは言っても、何か月も砂漠に出たままってことはあるまいよ。

 戻ってきたなら、武具の修繕に顔を出しそうだがなぁ」


 そう言われて、メテウスははっとした。

 ユニオンに属す冒険家なら、必ず専属工房であるここに武具を持ち込むはずだ。

 都の外にも鍛冶工房のある町はあるが、顔の利く工房を使わない理由はない。


 ――工房に来ない。それとも、来れない?


「……あ、あの、兄さん。

 工房に来れないって、どんな理由が考えられますかね……」

「ん? そりゃあ、お前……。

 死んだら店には来れねぇだろうよ」


 メテウスは、自分の武具を使う冒険家は必ず自分の元に戻ってくるものだと信じて疑わなかった。

 今までがそうだった。これからもずっと、そうなのだと思い込んでいた。

 事実は違うのではないか。

 冒険家は命の危険もある職業であり、魔物に全滅させられた冒険家の話は、ひとつやふたつではきかない。実によくある話だ。


 ――彼女がもし死んだのなら?

   それは、俺の造った武器が彼女の力になれなかったということだ。


 ――俺は、もしかして取り返しのつかないミスを犯したのでは?


 ふっと胸に湧いた不安に、メテウスの顔は青ざめた。

 砂漠には刃が通らない魔物もいると聞く。

 そんな化け物と遭遇することも考慮して、武器を選ぶべきだったのではないか。

 いや、それはもはや鍛冶職人の領分ではないのか……?


「なんか俺、酒を飲みたい気分になってきました」

「なんだよいきなり……。

 まぁいいや、そういうことなら飲みに行こうぜ!

 俺がおごるからよ」


 その夜、メテウスは兄弟子に煽られて無理な深酒をした末に、倒れた。

 二日酔いの症状が酷く、翌日は仕事にならなかった。

 親方には兄弟子と共にどやされ、しばらくの間、工房の職人は飲酒禁止とされた。


 また数週間が経った頃、ユニオンにちょっとした騒ぎが起こった。

 砂漠の遺跡へ向かった調査隊が全滅した責を負い、ユニオンの代表が更迭されたのだと言う。

 ユニオンの冒険家達は、そのことに皆が一様に腹を立てているようで、抗議活動を辞さない構えのようだ。


「この一年、危険だとわかっている砂漠の遺跡群に調査隊を強引に送り込んでいたのは、ゴライアの領主の意向だ」

「あの強欲ジジイが、帝国からの評価を上げようと躍起になった結果がこれだ」

「だが、遺跡での商売はしばらく沈静化するだろうな。

 代わりに俺達冒険家は、ゴライアを含めたこの地域で仕事がやりにくくなる」

「犠牲になった連中には見舞金が出るそうだ。

 金があればどんな武具だって買えるが、人の命だけは買えないってのによ!」


 ユニオンの屋内を工房に向かう途中、苛立ちながら酒場に集まっている冒険家達の愚痴が聞こえてくる。

 メテウスはずっと工房の仕事にかまけていたので、ユニオンの事情や、冒険家の立場、領主との確執などは知る由もなかった。

 冒険家は命の危険すらある職業だ。

 考えてみれば、わけありの人間でなければこんな職に就こうとは思うまい。


 ――若葉の冒険家も、わけありの人間だったのだろうか。


 親方の言った通り、自分には技量や魂があっても、経験が足りなかった。


「何やってんだ、メテウス!

 ふいごに火がついてるぞ馬鹿野郎!!」


 鍛冶道具の扱いを誤るなど、普段のメテウスなら考えられないミスだった。

 いつもは温厚な兄弟子が烈火の如く怒り、親方からも雷が落ちた。

 今日は、散々な日だ。


「何やってんだ、俺は。

 心が……不安で乱れているのか」


 昼時、客足が途絶えたところで、メテウスはカウンターに頬杖をついて窓の外を眺めていた。

 工房で働くようになってから、こんなに集中力を欠いたのは初めてのことだった。

 ふわふわとした今の気持ちを解消するためにも、若葉の冒険家とまた話がしたい。

 しかし、その機会はもう永遠に訪れないかもしれない……。


「あの、注文をしたいのですが」

「……あ、いらっしゃい。

 注文は武器類ですか? 防具類ですか?」


 気づかぬうちに、お客がカウンター越しに立っていた。

 お世辞にも綺麗とは言えない革のコートに羽根つき帽子を身に着け、首元に洒落た赤いスカーフを巻いている。


 ――あれ、この人どこかで?


 その人物は、若葉の腕章をつけていた。


「えぇと……その……ダガーの研磨をお願いしたいのです」


 そう言うと、若葉の冒険家は革の鞄からダガーを一本取り出して、カウンターに置いた。

 メテウスは、そのダガーに見覚えがあった。


「スティレット、ですか。

 刀身に刃こぼれ、先端に錆……」

「研磨できますか?」

「ええ。ただし刃の寿命が短くなりますが、それでもよければ」

「かまいません」

「……失礼ですが、このダガーはどこで?」


 スティレットを手に取り、その重さや質感を感じ、確信する。

 このスティレットは、メテウスが若葉の冒険家のために造ったものであることを。


「姉の……形見なんです」

「君のお姉さんは、冒険家?」

「はい。先日の遺跡調査に参加して、帰らぬ人となりました」

「その話を、詳しく聞かせてほしい」


 砂漠には、古の時代に時の英雄達によって封印された遺跡がいくつもある。

 若葉の冒険家が参加した調査隊は、そういった類の遺跡を調査していたのだ。

 全滅した調査隊の遺体が回収される際、その痕跡から上位種のジンに襲撃されたことがわかっている。

 調査隊の一名――すなわち彼の姉は、次々と残虐な殺され方をする仲間の姿に絶望し、錯乱してしまったのだろう。

 最期に彼女がとった行動は、スティレットによる自害であった。

 そして、彼女の遺体のそばには、ブロードソードと思わしき刀剣が粉々に散らばっていたと言う。


「うっ……」


 メテウスは、脳裏にその光景を思い浮かべ、吐き気を催す。

 精魂込めて打った武器が、何の役にも立たず粉々に砕かれ、挙句の果てに命を絶つ手段に使われる。

 鍛冶職人として、こんな残酷な現実は他にあろうか?


「このスティレットを処分しないのは、いつか僕が姉の無念を晴らすためです。

 砂漠の遺跡に巣食う悪鬼どもを、皆殺しにする。

 その憎しみを風化させないために、これを常に手元に置いておきたい」


 メテウスは、目の前の年端もいかない少年の目を見た。

 憎しみによどんだ眼をしている。これは、危険な生き方をする人間の眼だ。


「そんな目的の手助けを、俺はできない」

「あなたの同情はいらない。僕は客としてここに来ました。

 あなたは鍛冶職人として、僕の注文を聞いてくれればいいのです」

「君は、千夜一夜の武勇伝に語られるような冒険家を目指す気はないのか?

 復讐のためだけに冒険家になるのか?」

「あなたに、何がわかるんです。

 僕は父だけでなく、姉も魔物に殺された。

 しかも、同じ殺され方ですよ?


 許 せ る わ け が な い……!!!!」


 メテウスは、激しい悔恨に頭を抱えた。

 自分には、冒険家の心が何も見えていなかったのだ。

 自分の欲求だけを求めていたから、もう一方の大事なことを見落としていた。


 ――あの夜、ここに訪れた彼女も。

   若葉の冒険家も、もしかしたら同じ目的でここにきたのか?

   父の復讐の記憶を忘れないため、あのダガーを持ってきたのか?


 ――でも、彼女の眼は決して憎しみによどんではいなかった。

   目の前の少年と、彼女と、何が違う?


「問答はもういいでしょう。お金ならあります。

 ダガーの研磨には十分な額です。早く――」

「研磨は必要ない」

「は?」

「君には、俺が別の剣を用意してやる。

 このダガーは、そのための材料にさせてもらう」

「何を言ってるんですか?

 僕はそんなこと頼んでない!」


 少年は、とっさにメテウスからダガーをひったくろうする。

 が、メテウスはそれを許さない。


「こんなものがあるから、君は生き方を間違えようとしている。

 今なら、俺が君の生き方を変えてやれる」

「意味がわからない。

 あなたが僕の何を知っていると?」

「君のことは何も知らない――」


 ――振り返れば、君の姉のことも何も知らなかった。

   彼女は話そうとしたが、きっと俺が知ろうとしなかったんだ。

   俺は何も知らない。彼女の名前すらも……。


「――だけど、やるべきことはわかる。

 スティレットに代わる武器を君のために打つ。

 それが鍛冶職人として、俺がするべきことだ」

「……どうして。

 数いる客の中の一人に過ぎない僕に、どうしてそこまで?」

「武器職人は、ある意味でお客の命を預かるような仕事だ。

 俺の造った武具のせいで、冒険家は命を失うかもしれない。

 だからそうならないように、できる限りの努力をさせてほしい」

「……勝手ですね。勝手ですよ」


 少年は、カウンターに向かってうなだれる。

 その時の彼は、つきものが落ちたような――そう思わせるような安堵した表情を浮かべていた。

 この少年は、心のどこかで誰かに止めてほしかったのだろうか。

 ならば、彼の姉がダガーを工房に持ち込んだのも、同じ理由からなのか?

 否。それはメテウスの想像に過ぎず、答えはもうわからない。


 少年はスティレットを材料に、別の新しい剣を造ることを承諾した。

 メテウスは三日後に新しい剣を渡すことを約束し、少年は工房を後にする。

 その後ろ姿は、いつかの若葉の冒険家と重なるように思えた。


 ――この先端の赤い血に、君の無念がこもっているんだな。

   でも、その無念は弟に引き継がせはしないよ。

   俺が断ち切って、新しい一歩を踏むための剣に生まれ変わってもらう。


 メテウスの心は晴れたわけではない。

 ただ目的が定まったことで、悔恨を心の隅に押しやることができた。


「俺は鍛冶職人としての、責務を果たす」

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