第5話 同級生がいない寂しさ
二人のコーヒーカップは空になっていました。
「どうする、お茶にするか?」
「いや、僕はジュースがいいや」
「冷蔵庫にあるから、取ってきなさい」
私は熱い日本茶を淹れました。
「伯父さんの高校時代も、いろいろあったんだね」
孝之はペットボトルを手に戻ってきました。
「忘れていることも沢山あるけれど、こういうことは忘れられないよな」
「うん、そんな感じがする」
私はお茶を一口、口に含みました。
「でもな、雨宮さんにしても、田辺君にしても、本人から聞いたことじゃなくて、伯父さんが感じただけだからな」
孝之はジュースを飲みながら聞いていました。
「でも、大変だったことには違いないでしょう?」
「そうだが、本当はどんな思いだったか、分からないよな」
「だけど、そんなことは聞けないでしょう?」
「いや、別の人なんだけど、聞いたことがあるんだ」
私にはもう一人思い出す人がいました。四国出身で、高校は違いますが、一つ年上の高尾(たかお)進(すすむ)さんのことです。
彼は高校一年生の時に大病を患い、一年留年していました。知り合ったのは大学生の時、私が二十歳、彼が二十一歳でした。病気が治って五年ほど経過していましたが、激しい運動は禁止、小指が上手く使えない等の後遺症がありました。イメージは、「のび太君」を少し太らせた感じです。
物静かで穏やか、明るく、「パチンコしてたら、よく見渡せるんだ。座高なら僕が一番だよ」、そんなことを言って、私たちを笑わせていました。
それから、本。いつも本を読んでいましたから、大変な博学でした。
苦労した分だけ、温かみがあって、私などは困ったり、悩んだりすると必ず高尾さんに相談していました。
「まあ、なんとかなりますよ」
結論が出る訳ではありませんが、その言葉を聞くと、なんだかほっとしたような感じになったことを覚えています。
そこまでじっと聞いていた孝之が、先を知りたくなったのか、「その高尾さんは、今、どうしているの?」と聞いてました。
「高校の英語の先生をしているよ」
「先生なんだ…」
「この間、SNSの投稿サイトを見ていたら、高尾さんの教え子だと思うけど、『いい先生だった』と書き込んでいたよ」
私がやや中空を見つめ、高尾さんのことを思い出していますと、孝之はジュースをゴクンと飲んで、じっと私の言葉を待っていました。
「それで?」
「ああ、そうだ、そのことだな。大学を卒業する頃、高尾さんに高校を留年した時のことを聞いたんだ、『大変だったでしょう?』って。でも、『いろいろありますよ』と笑っているだけだった。それでも酔った勢いでしつこく聞くと、たった一言、『同級生がいないってことは寂しいですよ』と言ったんだ。一変に酔いが醒めてしまったよ。高尾さんは直ぐに『冗談だよ』と言ったけれど、あれが本音だったと思う」
孝之はペットボトルをテーブルに置き、「あの子と学年が違っちゃうのか」と言うと、なんとも情けない顔になりました。
「まあ、そんなしけた顔をするな。赤点三つだろう。頑張ればなんとかなるだろう」
「いや、四つかも知れない。英語の成績がまだ戻ってない」
「しょうがなねえな、三つも四つも同じだ。死んだ気になってやればなんとかなるだろう」
私の話が彼に十分届いたかは分かりませんが、帰って行く時の孝之の顔は、来た時の膨れ面ではなく、すっかり反省した顔になっていたのは確かでした。
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