第五話 変わらないもの
ウォーターサーバーからコップにお水を入れて、もう一度ソファーに座りなおした。一口飲んでからおじさんを見る。
「先週の日曜日の夜、ママとご飯を食べに行ったの」
おじさんは軽くうなずいて黙ったままわたしを見てる。
「それがね……男の人も一緒に」
えっ、ていう口の形になったけれどおじさんは何も言わなかった。
「ママの彼氏さん。最近になって彼氏さんが出来たみたいで、出張の後もまっすぐ家に帰ってこないことも増えてきて。それは別にいいの。ママにも好きな人が出来るのは悪いことじゃないと思うし、わたしも一人でいるのは慣れてるし。彼氏さん、初めて会ったけれどいい人だし」
途中から自分でも何を言いたいのかわからなくなって、おじさんの顔も見れなくなって。
テーブルの上に置いたコップを見ていた。
「彼氏さん……若いんだよね」
コップの中にはまだ半分くらい水が残ってる。
「三十三歳って言ってた。ママより十歳若いの。それがね、嫌だとかダメだって言ってるわけじゃないの。ママも彼氏さんと話しているときは楽しそうだし。応援したいと思う。でもね……」
続く言葉が出てこない。
頭ではわかっているけれど、もうここまで出かかっているけれど。
おじさんはわたしの言葉を待ってくれている。
「おとう、さん……とは呼べないよ」
小さな、小さな声でつぶやいた。
「だって、わたしと十七歳しか違わないんだよ!」
顔を上げると、おじさんは穏やかな表情でわたしを見ていた。
「そう呼べって言われたわけじゃないけどさ、まだママと結婚するのかも決まってないみたいだけれど、でもそういうことでしょ?、一緒にご飯を食べに行くって。わたし……どうすればいいのか分からなくて……」
ずっとモヤモヤしていた思いを一気に吐き出して、少し落ち着いた。
「それで、いいんじゃないかな」
えっ、と今度はわたしが言いかけた。
こうした方がいい、とか言われるかもしれないと思っていたから。
「ちゃんと朋華は今の状況と自分なりに向き合ってる、そう思うよ。いい人だし、お母さんのことも応援したい、その気持ちのままでいいんだよ。無理に合わせることもない。お母さんだって、その人だって、いきなりお父さんと呼んでくれとは思っていないさ」
「そう……かな?」
「朋華は相手のことを考え過ぎるところがあるでしょ? 自分がこうしなきゃいけないんじゃないか、って。それは朋華のいいところでもあるけれど、もう少し肩の力を抜いて、自分一人で背負いこまずに相手に任せてもいいと思う」
おじさんの言いたいことは分かる。
でも、簡単には出来ないよ。
どうしてもパパのことを考えちゃう。わたしがもっといい子でいたら、ママと離婚しなかったかもしれないって……。
「きっと朋華にも色々な思いがあってすぐには変えられないだろうけれど、少しずつ意識して相手に任せたり、頼ることをしていけばいい。とりあえず、どう呼ぶかなんてさ、相手のことは考えずただ名前で呼べばいいんじゃない?」
「大丈夫かな……」
「そんな遠慮することなんてないさ。俺になんて、遠慮せずに腹パンしてくるじゃないか」
そう言ってにっこりと笑ったおじさんに釣られて、わたしも笑顔になった。
「もう少し遠慮してくれてもいいんだけどな」
「えー、それは無理。だってパンチしやすいんだもん」
「なんだよ、それ」
二人で顔を見合わせて声を出して笑った。
そうか、遠慮しないってこういうことか。
「実はね、もう一つ心配があるんだ」
今ならどんな返事が来ても大丈夫な気がする。
「もしこのまま、ママと彼氏さんが一緒に暮らすってことになったら、わたしも引っ越すかもしれないよね」
すぐにってことにはならないだろうけれど、可能性はある。
せっかくユウキちゃんやみんなとも仲良くなったのに。それに……。
「その人はどこに住んでるの?」
「渋谷って言ってた」
「なーんだ」
おじさんはまた笑ってる。
「心配事だなんていうから、てっきりどこか地方なのかと思っちゃったじゃないか。お母さんが出張先で知り合ったのかなぁって」
椅子のキャスターを滑らせて少しこっちへ近づいた。
「どうなるか分からないなら、今から心配しなくてもいいんじゃない? 引っ越したとしても近いんだし」
「そうだけど……」
「それにさ、朋華のマンション、新築で買ったばかりだろ。引っ越す可能性は低いんじゃないかな。その人が引っ越してくるかもしれないけれど」
「……そうかな」
「もし引っ越したって、いつでも遊びに来ればいい」
「来てもいいの?」
「当たり前だろ。毎朝会えなくなるのは寂しいけれど、朋華のことは娘のように思っているんだから。むしろ会いに来て欲しいくらいだよ」
いつもの笑顔が目の前にあった。
ありがとう……おじさん。
下を向くと涙がこぼれそうなので、勢いよく立ち上がった。
「そうそう、おじさんに渡すものがあったんだ」
本当はこれが今日の目的。
「はい、これ」
ラッピングしたチョコチップクッキーをバッグから取り出して手渡す。
「え、俺に!? 何だよ朋華まで……。今日は嬉しいねぇ、ありがとう」
「ちゃんと手作りだからね」
「すごいなぁ。でも他にあげる人はいなかった――ぁがっ!」
ほんっと、ひとこと余計なのよね。
腹パンして欲しくてわざと言ってるんじゃないかっていうくらい。
「それにしてもさ。何でこういう日にチョコ菓子を買っておくかなぁ」
「いや、こんなふうに二つももらえるなんて思ってなかったから」
「それぐらい先を読まなくちゃ。探偵なんだから、ね」
*
後日、ケンタ君がカンナちゃんに謝った話を聞いた。
どうやらリンちゃんがこっそり彼に話して仕向けたらしい。
リンちゃん、グッジョブ!
―バレンタインチョコ事件 終わり―
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