第三話 自転車、現る

「えっ? どういうこと」


 話を聞いていたユウキちゃんがパソコンの手を止めて、こちらを向いた。


「いま言った通り、停めておいたはずの自転車がなくなっちゃったの」

「どこに停めたんだ?」

「マンションのすぐ前。登校班が集合する近くに、歩道に沿ったスペースがあるでしょ。あそこだよ」

「あぁ、あそこならマンションの人がたまに停めてるよね」


 おじさんは毎日のように見ている場所なので、すぐに分かってくれた。

 わたしのマンションは敷地の境界から二メートルくらい離れたところに建っている。境界と歩道との間にはフェンスもなくて、樹がぽつんぽつんと植えられているだけで自由に歩けるようになっていた。


「あれは歩道状空地といって、敷地境界から後退して建てることで建物の高さ制限を緩和しているんだよ」

「なーに専門知識をぶっ込むんで来てるの!?」

「ふーん、そうなんだぁ」


 駄目だよユウキちゃん、すぐ調子に乗るから誘いに乗っちゃ。昔の仕事で得た知識なだけだから。


「この地域だと二メートル後退したら高さ六メートル緩和されるんだよ」

「へぇー」


 ほら乗ってきちゃった。腹パンでもお見舞いしようと思ったのにタイミングを失くしちゃったし。


「で、なくなったのに気づいたのはいつ?」


 横道に逸れそうなところで、彼女が自分で話を戻してくれた。


「金曜の朝には絶対あったと思うんだよねー。確かに見た気がするの。帰ったら中にしまわなくっちゃ、って。それが帰ってきたらなくなってたんだ」


 あの日は寝坊して家を出るのが遅くなって、慌ててたからなぁ。もう登校班も行っちゃった後だったし。でも確かにあった気がする。


「朋華ちゃんが自転車を使ってるイメージがないんだけど」

「ほとんど乗ってないからね。塾に行くときくらいしか使ってないもん」

「路上駐輪の取り締まりで、区役所に持っていかれちゃったんじゃないの?」

「わたしもあの時はそう思ったんだけど」


 この辺りは駐車だけでなく駐輪の取り締まりも厳しくて、たまに路上へ停めている自転車を区の保管場所へトラックで運んでいってしまうことがある。


「それがさぁ……」


 再び声を潜める。


「日曜日の朝に同じ所へ停まってたんだよ」

「えっ、ちょっとどういうことよ」


 体の向きを変えて、ユウキちゃんが身を乗り出した。


「訳わかんないでしょ? 金曜に自転車がなかったのは確実なのに」

「あの場所なら目立つから、見落とすってことはないだろうしな」おじさんがフォローしてくれた。

「じゃぁ自転車がいつの間にか消えて、いつの間にか戻って来たってこと!?」

「そうなの。何があったの?って感じでしょ」

「ある意味、怖くなーい?」

「ちょーヤバいよね」


 彼女と話しているうちに、いきなりひらめいた。


「きっと木曜の夜は満月だったのね。妖しい月の光を浴びてかりそめの命を得たわたしの自転車は、街へと繰り出したの。そして、その力が消えてしまうことを悟り、自らのあるべき場所へと戻ってきた……なんて素敵なの!」


 ん? なに二人とも、その顔は。ノリが悪いなぁ。

 こんな風にでも思わないと、薄気味悪いでしょ。


「つまり、木曜の夜に停めた自転車が金曜の朝にはあったのに、夕方には無くなっていた。そして日曜の朝には元通り戻っていた、ってことだな」


 さらっとまとめてるけど、そういうこと。

 わたしの妄想――いや、推理通りでないとすれば、誰かが盗んで使った後にまた返しに来たってことでしょ。

 返してくれたのはうれしいけれど、なんか背中がぞわぞわしちゃう。


「ね、不思議な出来事でしょ」

「うん、ちょー不思議」

「そっ――ぉごっ!」


 なにか言いたそうなおじさんへ、今度は絶妙なタイミングで腹パンをお見舞いした。


「女子二人がミステリアスな事件に思いをはせてるんだから静かにしてくれる?」


 お腹を押さえるおじさんを見慣れているせいか、ユウキちゃんもスルーして話を進める。


「可能性として高いのは、やっぱり区役所に持っていかれた説じゃないの?」

「うーん……でも、そうだとしたらなんで戻ってきたのかな」

「持って行ったのと返したのが別、ってことは?」


 なるほど、その発想はなかった。

 区役所がトラックで運んで行ったなら、なんで返してくれたんだろうと思っていたけれど、返してくれたのが他の人だったら……でも誰が?

 たまたま保管場所でわたしの自転車を見つけたなんてこと、そもそもないだろうしなぁ。


「あの場所はマンションの敷地内だから、区役所が持っていくことはないよ」


 復活したおじさんが口をはさむ。


「区役所の人が間違えて持って行ったのに気付いて返しに来たとか……。うーん、何か他にあるかなぁ」

「自転車泥棒が、使った後でこっそり返しに来たとか?」


 そこへ突然、静かにテレビを見ていたユキさんが一言。


「ストーカーの仕業じゃないか」

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