第29話 犠牲の上に成り立った勝利
夏の陽気が近付く梅雨入り前の練習試合、公式戦までは1か月程の時間があるとはいえ、こんな時期に練習試合を組んでくれるもの好きな高校があってよかったと思う反面。
どうしてこんな強豪校が、ほぼレギュラーの面子で相手をしてくれるのだろうか。
「縁屋ちゃん、氷袋ってある?」
「打撲を冷やす用のならあるけど、なにに使うの?」
「少しのぼせて来ちゃった」
「6月とはいえ、30度越えの中マスクとサングラスをしてたら、熱いでしょうね」
「いや、顔ばれって怖いじゃん?」
「監督の顔なんて誰も気にしないわよ、格好の方が目立ってるしね」
「それもそうか」
挨拶が終わり相手投手の投球練習中、その合間にくだらないやり取りをして余裕を見せる程度の事は出来るが、正直勝算も無ければ勝つ方法考えるのも止める程度には追い込まれていた。
「相手投手は2年生の杉本だ、昨年はずっとベンチか外野を守ってたから投手としてのデータは無いが、打者一巡するころには対策を考えてやる。
稚内、菜月、一ノ宮の3人は後ろの奴のためにできるだけ球数を使わせてくれ」
「「はい!!」」
※
そして、予想外のアクシデントは初回から起きた。
杉本の球速は150キロ程度、変化球はタイミングをずらすためのスローカーブとスライダーの2球種、コントロールが良くない事が圧倒的な欠点で投手練習をし始めたばかりの沢村の方がマシに見えるレベルだった。
1番バッターの本田がフルカウントから選んでフォアボール、進塁出来たら儲けくらいに思い盗塁の指示を出すも、それなりの肩があるキャッチャーと速度の速いストレートの組み合わせで、刺されてしまいワンナウトランナー無しになってしまう。
2番の稚内がワンスリーの場面で、カウントを取りに来た甘い球を打ちセンター前への綺麗なヒットでワンナウト1塁。
続く3番の菜月も15球ほど粘った後にピッチャーが根負けしフォアボールで、1.2塁になる。
そして4番の一ノ宮、ツーストライクワンボールから外角低めの際どい所へと来たボールを綺麗に流し打ち、レフト線ギリギリに落ちフェンスまで転がっている間にランナー2人が生還し、一ノ宮もセカンドまで到達。
初回から2点を先制し幸先の良いスタートを切り、投手陣1番手の菅野は2回無失点。
2巡目の打席が回ってきた段階でもう3点追加し、2番手の加奈子も3回1失点で切り抜けると試合は5回途中で5対1という、誰にも想像しえなかった結果になった。
「こりゃ大番狂わせもいい所だね、6回からの投手に不安があるとはいえそれも2回だけ、次に1番に打順が回るころにはもう1点入っててもおかしくないし。4点までは猶予があるから、余裕も余裕」
「でも、ここまでくると不気味なくらいね」
「あっちが様子見してくれてるのか、単純に投手の調子がいいのか、まぁ手加減して女だけのチームに負けたってんじゃ面子がつぶれるからそんなことも無いと思うけど」
「あと4回もあるからそれだけあれば十分って話かもしれないわね」
「相手が普通のチームならそうかもしれないけどねぇ、うち相手なら1回で十分なんじゃないかなぁ」
「監督にそれを言われたらおしまいね」
「俺は公式戦の時は出れないし尚更ね」
6回から徳々高校の投手が変わり3年生で秋の地区ではエースナンバーをつけていた横山に代わった、想定内であり予想外の投手交代ではあったものの、秋の地区大会で実際に対戦し尚且つデータも癖もわかっている相手の方がやりやすい以上、変わってくれた方が対策は立てやすかった。
しかし、先ほどまでの粘ってフォアボールを待つ状況に比べれば、バットに当てる事すら上位陣以外は出来ない相手に代わってしまったわけで。
3番手に登板予定の真中は潜在能力が高く育てがいのある反面、今の段階では彼女自身の不器用も相まって、悩まされることの方が多い。
「実ちゃんこの前教えたサインパターンって覚えてる?」
「リード指示用の奴でしょ? 一応覚えてるけど」
「6回はそのサインだすから、ちゃんと見ててね」
「え、正確に覚えてないから間違える可能性あるけどいいの?」
「多少ならいいよ」
6回表は流石に秋の大会をメインで投げ抜いただけはある実力通りの投球を見せつけられ、三者凡退。
裏の守りはヒット3本で抑え1失点、7回裏は実ちゃんのリードの元ヒット6本、うち被本塁打1の4失点。
計2イニング5失点の快投でマウンドを降りた。
「ごめんなさい! 私1人で試合を壊してしまって」
「いいのいいの、これで真中ちゃん用のトレーニングメニューは考え付いたから。あとは野手陣が返すだけだよ」
「実際の所何失点したら下ろされてた?」
「何失点しても変える気はなかったよ、元々少ないイニングを責任もって投げてねっていう方針だから」
「うっ、5点で済んで良かった、、、真中ちゃん野球嫌いにならないといいけど」
「その時はその時、使い捨てるつもりは毛頭ないけど、これを乗り越えられるって思ってるから投手なんて厳しいポジションにしてるんだし。闘志を身につけてもらわないとね」
「そう上手くいけばいいけど」
これで5対6の1点ビハインドという形で迎えた、8回表の攻撃今日打撃好調の菜月から。
試合前に少しだけ感じていた嫌な予感が、最悪の形で現実のものになってしまった。
初球の球威のあるストレートが菜月の左肘に直撃し、バッターボックスで肘を抑えながら倒れこんでしまった。
「辻本、いまの見てたか?」
「まぁ、一応」
ベンチ上で観戦していた成多さんから声を掛けられ、互いに多少の違和感を感じた。
相手投手が初球のボールを投げる前、いままではなかった監督とのアイコンタクト、そして少しだけ浮かべていた笑みを見てしまうと、どうやらこのデッドボールは事故ではなさそうだ。
しかし、公式戦に出れるかどうかもわからないような今のうちのチーム環境をみて、選手たちを潰すような価値があるとは到底思えない。
「こっちの状況を知ってか知らずか、今日の試合は残念ながら棄権するしかなくなっちまったみたいだな」
残りは2イニング、あとの事を考えれば無理に誰かを投げさせる必要はない以上、普通に考えれば棄権するのが妥当なのは理解しているが。
その結果成多さんにコーチを任せることになったら、野球部のみんなは納得出来るのだろうか。
「緑屋ちゃん、あとは俺が何とかするから何も言わずに菜月を病院に連れて行ってもらえる? 外に運転手がいるから、それに連れてってもらって」
「わかった、菜月さん行きましょう」
「祐介、私大丈夫だよ?」
菜月の心配させないようにと出た言葉を聞き、一部始終を見て事故じゃない可能性が頭をよぎる俺は、少しやりきれない気持ちになった。
「ばーか、今お前が怪我したら地区大会に支障をきたしたらどうする。トラブルが起きたからってことでコーチつけるのは無しにしやるから、お前は病院に行って大人しく検査を受けてこい」
「うん、わかった。ごめんね」
お前が謝る必要がどこにある、と言葉にできず飲み込んだ言葉を胸に徳々側のベンチへと足を進める。
「すいません徳々高校の監督さん、いまデッドボールで運ばれたうちの4番手投手がケガしちゃって試合の続行が厳しいので棄権させてもらってもいいですかね?」
「あぁそうでしたか、いやぁ当ててしまったのはこっちの投手なんで問題ないですよ。しかし、女子野球部と聞いて練習試合にも不安があったんですが、いやぁ本当に不安定な選手が多いようですね! 投手が4人しか居ないとは!」
「おっしゃる通りで、でも前半そちらが手を抜いてくれたおかげでそれなりにいい試合は出来ましたから、公式戦で当たることがあればその時はよろしくお願いします」
「はっはっはそうですな! 女子だけのチームに負けたとあってはうちの名前が汚れてしまいますから、その時は本気でやらせていただきます。ま、万が一にもありえないと思いますが」
「そちらさえよければ、助っ人を2人追加して試合を続けても構いませんよ?」
「ほう! それはこちらとしても公式戦前の貴重な試合ですし。いい練習にもなるともいますが」
「なら後二回お願いしますよ」
我ながらあほらしいと思ってしまう、少しの言葉でついかっとなってしまうのは俺の野球をしてないときの悪い癖。
でも、いままでの七イニングを本気じゃなかったなんて言葉で終わらせて、それで済ませてやるもんか、俺のかわいい教え子達を馬鹿にしたことトラウマって形で後悔するといい。
「成多さん、少しだけ手伝ってもらえますか?」
「めんどくせぇな、別にいいけどよ」
「ショートの守備に入ってくれるだけでいいですから。実ちゃんは軽くサイン合わせしよう、基本的には構えてくれればそこに投げるから、必要ないと思うけど」
「えー監督のボール受けるの嫌だよ私、この前受けたときだってしばらく手の痛み取れなかったんだからね!」
「じゃあ痛くないように投げるからさ、そう怒らないでくれ」
「わかった、でもピッチング練習はしてね、私も捕れるのか不安だから」
夏の都大会への調整と思えばかなり気楽に投げられる、そうじゃなくても教え子達の前で全力で投げるつもりはないが。
「変化球ってなん球種もってるんだっけ」
「全方向にたくさんっていうざっくりな言い方でいい?」
「まぁそっちの方がわかりやすいかも、私はリードしないから痛くないようにと捕れるようにだけよろしくね」
「わかってる」
「成多さん、ランナーからお願いします」
「準備運動もしてない俺をいきなり代走で使おうとすんなよ、いいか俺の後輩に澄川って奴が居てだな、準備運動を怠ったばっかりに――」
「あんたの場合はそういうの関係なくしょっちゅうケガしてたでしょうが!」
「まぁ、その通りなんだが」
デッドボールで出塁した菜月の代走に成多さん、続くバッターは4番の一ノ宮さん。
この回までは真中ちゃんに5番を打ってもらって、結果に構わず投手交代で八回からは俺が投げればいい。
打者一巡して俺に打席が回っての逆転勝ちが理想なところだが、正直な話がこのまま誰かに打って貰って自力で打ち勝って貰う方がこれからのことも考えれば頼りになる。
「プレイ!」
試合再開しての一打席目。
初球で成多さんが走り出し、俊足を生かしてノーアウト二塁へとチャンスを拡大させる。
別に盗塁のサインを出していたわけじゃないが、今までの菜月のプレーを見ていたせいか成多さんは初球から迷わず走り出した。
そもそもサイン合わせしてないし。
これでそれなりのあたりが出れば問題なく点は入るはずだが。
「ストライク! バッターアウト!」
期待通りとはいかず、完全にエンジンの掛かったエースの前にバットをかすらせることもできず、一ノ宮は3球で仕留められた。
「真中ちゃん、悪いけどここから俺が出るから、もう休んでていいよ」
「わ、わかりました」
攻撃出来るチャンスはあと2回だけ、打数で考えれば最短であと5打席。
勝つためには今動かないとこれ以上のチャンスは無いだろう。
今は勝っていい勝負かどうかじゃなく、今日の試合を最悪の思い出にしないために。
勝つことにこだわる必要がある。
「お前ら、今日の試合絶対に勝つぞ」
「「はい!!」」
俺からすれば負けた方が都合がいいのは、女子野球部の全員がわかっていることだろうに、ベンチにいる全員が未だに負けることを考えているよな目はしていなかった。
その闘志に応えてやらなくては、今後胸を張ってこいつらの監督を名乗るのはしんどくなりそうだ。
「厄介なメンツを集めちまったもんだぜ、俺も菜月も」
一打席で逆転するにはホームランを打てばいいが、いつも使ってる思い木製バットじゃなくて金属バットなのが少し厳しいが。
それでも当たれば飛ぶだろうし、問題はないだろう。
「これで逆転、そんでもって2回を抑えれば勝ちは勝ち、か」
初球からストライクゾーンに入った甘くも厳しくもないコースのボールをレフト方向へと引っ張って、鋭い打球は場外へと飛んで行った。
「あ、勢い余って飛ばしすぎた」
打球の行方を見送りながら、ゆっくりとベースを回りホームを踏む。
「ナイスバッチ! 監督!」
ベンチに戻るなり実ちゃんに声を掛けられ、要求されたハイタッチに応え新井ちゃんの打席へと目を向ける。
「実ちゃん、初球はインハイギリギリから行こうか」
「ふえ、別にいいけど。当てるわけじゃないんだよね?」
「もちろんそれじゃ報復死球になっちゃうしね」
「わかった、他のコースはこっちで指示するから」
「任せる」
打席を見守りながら持ってきていたグローブを右手に着ける。
6番と7番が続けてアウトになり、1点リードの状態で8回裏へ。
すぐに代わりの建てられないショートには成多さんが多少不安ながら着いた。
ブランクがあるとはいえ、素人ばっかのうちのチームの誰かに守らせる方が危ないとは思うが。
「バットにさえ当てさせなければ誰が守っても同じだったかもな」
「ストライクッ! バッターアウト!」
いくら左とはいえ、ストレートでごり押してもこの程度の連中に、当てられるつもりはない。
※
そのまま試合は幕を閉じ、結果的に7対6で試合は決着。
いくら途中から助っ人が入ったとはいえ、ほとんど接戦での勝利は相手の顔に泥を塗るような結果になってしまった。
「公式戦を前にいい経験をさせていただきました、もし大会で当たることがあったらその時はよろしくお願いします」
「はは、試合には負けてしましましたがこちらもいい経験をさせていただきましたよ、それではまた機会があれば」
お互いに笑顔のままの受け答え、こちらは嫌味を込めた言い方だが。
なにごともなかったかのようにチハ高側ベンチに戻り、荷物をまとめながら少しだけ考え込む。
正直、徳々監督の顔の下の事は考えたくもない。
「今日は全員お疲れ様、全員このまま直帰でいいから反省会とこれからについては菜月の状態を見て考える事にするから。成多さん、車出してもらってもいいですか?」
「あ? あぁ別にいいが」
「監督! 私たちもついて行ってもいいでしょうか」
成多さんと2人急ぎ足で病院へと向かおうとするが、真中ちゃんと一ノ宮よって止められた。
「別にいいけど、成多さんの車4人乗りだからお前ら2人だけな」
「まずは俺に了承を取るべきじゃないのか」
「別に断らないでしょ」
「まぁ、確かに」
「2人とも早く着替えておいで」
2人を着替えに行かせ、球場の外へと成多さんと共に歩き出す。
「折れてなきゃいいんですけどね菜月のやつ」
「折れてた場合は夏大会までの復帰は絶望的だろうな、当たっていた場所は肘だし尚更な」
「注意してなかったとはいえ、ここまでやってくるとは」
「結果的にお前を怒らせて、完膚なきまでにボコボコにされたんだからいい勉強になったろうよ」
「それにしても代償がデカすぎますよ、ここまで皆を引っ張ってきた菜月が抜けるってなったら、戦力的にも精神的にもかなりきついはずです」
「そこはお前が何とかしろ、俺は今日の試合気まぐれで手を貸しちまったせいであいつらを指導してやることは出来なくなっちまったんだからな。お前の言う通り育てればいい選手達になるんだが」
「お待たせしましたー」
いつになく真剣な表情で話す俺の姿に違和感を覚えたのか、真中ちゃんは不思議そうな顔で俺を見ていた。
「随分早かったな、あと30分くらいは覚悟してたんだが」
「流石にそんなにはかかりませんよ、急いで着替えてきましたし」
「それよりも、お2人の話を詳しく聞かせていただいても?」
まじめな雰囲気で悟ったのか、一ノ宮が掘り返してきた。
「なんの話?」
「監督が試合に勝ったのに不機嫌なように見えたので」
「別に何もないよ。せっかく一流の指導者を付けれそうだったのにその機会を逃しちまったからな」
「ガキ共にはわからない大人の話ってやつだ、それより早く車に乗れさっさと病院に行くぞ」
「そうですね」
その後車内での会話は何一つなかった、車の中に広がっていた重苦しい雰囲気がそうさせていたのかも知れないが。
多少の苛立ちを隠せない自分も居たが、それ以上に自分の中で菜月への心配が上回っているのだけは、よくわかっていた。
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