第22話 春風にさらわれて。


「それじゃ、まず菜月で手本を見せるからそれを参考にしてくれ」


内野に22人押し込むのは普通にキャパオーバーな気もするが、外野ノックをするほど強い打球を打てる自信も無く。


「お願いします!!」


相変わらず元気だけはいい野球馬鹿がいるというのはこっちにとっても好都合なことが今になってわかってきた。


「いくぞ!」


ボールをトスして自身でバットに当てる簡単な作業だが、ショート方向に引っ張って叩きつけた打球は、強い打球のまま菜月の正面に飛んだ。


「はい、はいっと」


軽々と捕球しそのままホームへと送球、菜月の守備に関しては教えていた事もあり、信用はしていた。


「こんな感じで、取ったらそのままこっちに投げてくれ。本来はファーストに投げるのが基本なんだが、今日はここに投げてくれればしれでいいから」

「「はい!」」

「まずは、経験者の稚内、二ノ宮、新井、縁屋から行くぞ」


ファーストから新井、セカンド稚内、ショート二ノ宮、サード縁屋の順番でノックを打ち全員が問題なく捕球から送球までの一連の動作をこなし、慣れない守備位置でも問題なくできていた。


ちなみに普段の定位置と違うの2人、セカンドの稚内は今年プロ入りしたお兄さんと同じ捕手らしいし、縁屋さんはそもそも試合で守備に付いたことがないらしい。

ショートの二ノ宮さんも普段はレフトかライトの外野を守ってるそうで。


「いまスタメン候補は外野2人とサード以外は確定として」

「バッチコーイ」

「お前はみんなが休憩に入ったら打ってやるから、大人しくカバーしてろ」

「はーい」



「よーし、10分休憩。ベンチの所に差し入れの飲み物があるから休憩しててくれ」


「やっと回ってきた私の番!」

「元気だなお前は、俺は割と疲れてるんだが??」


全員が疲労を表情に出さないため、1時間くらいぶっ通しでノックをしていたのだが、幸い今日は涼しいから問題はないだろう。


「珍しいね、祐介が疲れるなんて」

「気疲れってやつだよ、あそこまで正確にノックを打つのは正直集中してないとできないからな」

「まあ確かに、あそこまで一定のバウンド数で取りやすいようにノック打てるのは尊敬しちゃうなぁ」


グラウンドの内野に無数に付いた足跡、しかし。ボールの跡は4つだけ。


「むかしな、なんかの漫画でノックは一定テンポで打てば初心者は取りやすいってのを見たことがあってな」

「それで漫画の話を鵜呑みにして実行するのもどうかと思うけど」

「まっ、実際問題取りやすい打球は打ててたろ!」


先程までノック練習していた時よりも強い打球が、ショート正面菜月の目の前でバウンドする軌道で飛んだ。


「ショーバン!」


グラブで弾いたショートバウンドの打球はそのままコロコロとホームの方へ帰ってきた。


「相変わらずショーバンの処理だけは下手くそだな」

「いま変な回転かけたでしょ! 普通の打球なら取れてたよ!」

「ちっ、ばれたか」

「バックスピン掛かってたもんいまの!!」

「それくらい普通に処理するか飛び込んででもノーバンでとれ」

「無茶苦茶言ってる」

「はっはっは、今日は守備の手本が見せてやれなくて残念だなぁ」

「そんなに上手いイメージもないんだけど」

「なにを! 公式戦エラー数ゼロだぞ」

「桜屋さんと瀬良さん以外がエラーしてるところ見たことないよ」

「せやな。守備の手本見せてやるからノッカー変われ」

「え、怪我は?」

「あ、んなもん大丈夫に決まってんだろ、たまには動かさねーと体の方が鈍っちまう」


怪我明け1週間と少し大丈夫だと思うが、軽く運動はしないと体が鈍るのは事実だからな。


「うーん、別にいいけど。私は片手にグラブ持つからあんまり強いのは打てないよ?」

「後ろにネットでも置いとけ」

「え~、どこにあるの?」

「お前の後ろ」

「あっ、本当だ」


バックネットの前に用意されたバッティング用のネットを菜月が渋々持ってきた。


「重い」

「俺は怪我人だからな」

「もー、都合のいいときだけ」

「あ、グラブ俺持って来てたっけか」

「持って来てるって自分で言ってたでしょ」

「あれ、そうだっけか」


先ほどまでノックもキャッチボールも両方とも素手でやっていたせいもあるが、何で素手でやってたんだろうか。


「まぁ、何で素手でやってたかは気にしないとして、取りに行くのめんどいからグラブ貸してくれ菜月」

「嫌だよ、そんなことするくらいなら私が取ってくる」

「なんじゃそりゃ。俺は別にいいが」

「どっちの奴持ってくればいい?」

「右利き用の野手用の白いやつで頼む」


投手用のグラブは右用が赤で左用が青、野手用のグラブは右用が白で左用のファーストミットは銀、そして外野手用のグラブは緑色と派手なものばかりだが。


「本当、派手なの好きだよね」

「革製の普通のも使いたいんだがな、貰い物が全部派手なのなんだよ、あんまり昔使ってた地味な奴はもう手が入らなかったりするしな」

「うん、わからなくはないかな。私もお姉ちゃんからもらったグラブ、ずっと大事に使ってるし」

「物持ちがいい越したことはないからな」

「そうそう」


菜月が持って来たグラブを手に付けショートの位置に立つ、足が思い通りに動かないのも事実だが、なんとかはなるだろうな。


「じゃっいくよー!!」


そんな気持ちを知りもしない菜月から打たれた打球は二遊間への鋭い打球になった。


「あほか!」


あまりに驚いて大声を上げた事もあり、休憩しているメンバーたちの視線が全てこちらに向いた。


打球を目で追い、足が動かない分思い切りジャンプし打球に飛びつく。


「あーこれ、届かないか」


右手を地面に付き、もうひと伸びを腕力で自身の体を押し上げることで伸ばす。

そのままグラブでキャッチし、体を回転させてホーム方向へ送球。


「うーん、送球はいいんだけど、サードにランナーが居たらセーフかなぁ」

「しばくぞこの野郎。たく、服が泥だらけになっちまった」

「ナイスプレー」

「褒めるのはいいが、絶対真似すんなよ。手首痛めるぞ」

「出来ないし」


少し右手首をひねったが、送球には問題なかったし大丈夫だろう。


「よし、そしたらもう少しノックして、最後にバッティング練習を軽くして終わりにしよう」

「もう? まだ4時だよ?」

「俺はこの後雪と予定がある、以上」

「あぁ、なるほど」



「よし、終わり。全員ストレッチだけ忘れるなよ! 俺はもう帰る。帰りはバス使っていいからな。今日だけは甘えとけよ。じゃあな!!」


「監督さん、今日一番動いてませんでしたっけ」

「あぁ、大丈夫だよ真中ちゃん。あれは筋肉痛とか苦にしないタイプの人だから」

「それ以前に、怪我を苦にしてないのは本当におかしい人ね」

「怪我?」

「辻本祐介って言えば甲子園2連覇の北斎高校のエースじゃないの? なんでここに居るのかは知らないけど」

「さっすが縁屋さん! 詳しいね」

「?? 有名な方なんですか?」

「野球界じゃ有名な方よ」

「そんなに有名なんだね。いつも話してるからそんな風には見えないや」

「有るものにはわからないってやつね、私たちもそうなっていくんでしょうけど」



最後のバッティング練習と着替えに手間取り、雪との会ったのは5時半になっていた。


「祐介! こっちこっち」

「雪、元気だったか?」


2週間程度ぶりに再会した雪の頭をごしごしと撫でる。


「急にお父さんが夕食に祐介を誘うからびっくりしちゃった」

「俺も驚いたが、親父さんに聞きたいこともあったしな」

「お父さんに聞きたいこと?」

「あぁ、この前の優香とあった時の事覚えてるか?」

「えーっと、優香さんてこの前の祐介の婚約者って言ってた綺麗な人だよね」

「そうそう、その時なんの話してたのか聞きたくてな。まぁ企業秘密とか言ってはぐらかされるのがオチだとは思うが」


ただの高校の理事長と日本有数の大企業の社長がなんの用があったのだろうか、ただの婚約者の親同士として会っていたなら雪の親父さんは必要ないだろう。

無駄な詮索とは思っても気になることははぐらかされようと聞いておいた方が得だろう。


「祐介」

「ん? なんだ?」

「顔に泥付いてるよ?」


そう言って雪がスカートのポケットからハンカチを取り出し、先ほどの仕返しと言わんばかりに強めに顔を拭われた。


「顔に泥付いてたのは気がつかなかったな」

「ここに来る前なんかしてたの? 練習は、出来ないでしょ?」

「いや、まーなんというか。あはは、なんで顔が汚れてるんだろう」

「まさか、練習してたなんて言わないよね!?」

「いや、少しだけな? 後輩に守備の手本見せてただけだぞ?」

「馬鹿! 重症だって自覚あるの!?」

「いやな、話を聞け雪」

「もう、知らない。早くいくよ!」

「あ、はい。すいません」


雪の心配してくれる気持ちは正直嬉しい、それでも。

いまは野球から離れることはしばらくの間出来なそうだ。


「雪」

「なに」

「ありがとうな」

「急にお礼言われたってなんのことかわからないし」

「あ、それもそうか」

「別にいいんじゃない、祐介のやりたいようにやれば。消極的な成功より祐介みたいに積極的な失敗をする方が本当はいいんだと思うから」

「こら、失敗はまだしてないだろうが」

「大会毎に怪我してるのは失敗じゃないの?」

「それは、まぁなんとも言えないが」

「怪我するのはいいけど、ちゃんと心配する人がいることを忘れちゃだめだし」

「だな、お前を泣かせたら親父さんに何言われるかわかったもんじゃないしな」

「別に私は祐介のことなんかで泣くわけないし」

「はっ、そりゃそうだ翡翠じゃあるまいし」


話し込んでいるうちに雪の父親との待ち合わせの場所にたどり着いた。


「お父さんまだ来てないのかな」

「仕事が遅れてんじゃないのか? うちの会社の課長だろ?。割とブラックだから遅れてきてても問題はないと思うけどな」

「そうだね、先にお店入って待ってようか」

「先に来てる可能性もあるだろ」


待ち合わせ場所は雪の最寄り駅の近くにあるファミレスなのだが、今日はお袋さんは来ることは無く、3人での食事会の予定になっていた。


「雪、遅かったな」

「お父さん、先に来てたなら連絡してよ!」

「ああ、すまん急に仕事が入ってな、軽く仕事してたんだが」

「ほらな、ブラック企業だろ?」

「そうみたいだね」


大企業ってのは、統制が取れてるなら上も下も一度の案件で忙しくなるわけで。

仕事は分散しても、その分全員が大忙しになるなんてのも親父の会社では珍しくない。


「ちょうどいまひと段落付いたところでなちょうどよかったよ」

「それならいいけど、帰ってからも仕事になるの?」

「それはどうだかな、最悪職場に帰って今日は泊りになるかもしれないな」

「そんなにですか?」

「商品が発送途中で事故にあったらしくてね、その辺の処理に時間がかかりそうなんだ」

「あれ、でも」

「来た時電車止まってたよな?」

「うん、ちょうど隣駅付いたときに私は止まって、そこからバスで来たけど」

「俺もそんな感じだな」

「そうなのか!? 復旧の目処は?」

「私が聞いたときは原因が不明だから分からないって」

「最悪本当に無理そうなら一緒にタクシー乗って東京まで戻りましょうか」

「それは助かるが」


ここに来るまでに時間が掛かった要因の1つはここから3駅離れたところで、中々タクシーが捕まらず、困っていたせいもあったりなかったり。

普段タクシー代わりの人がバス送迎をしていることの弊害がやっと出た日であった。


「まぁ、そんなことは気にせず今は食事をしよう、せっかく祐介くんには東京から来てもらったんだし」

「いや、俺今日1日埼玉いましたけど」

「「え??」」

「あれ、言ってなかったっけ。俺今千羽矢高校で野球部の監督やってるんですよ?」

「なにそれ、初めて聞いた」

「あれ、初めて言った?」


店員に席へ案内されている間に話した何気ないと思っていた話題は、2人からすれば重要な話題だったようで、親父さんと一緒に座るつもりだった雪を席の隣へと来させることになった。


「ねぇ、その話詳しく聞かせて。というか聞かせろし」

「あ、うん。この前の優香と会ったときにな、知り合いの件で理事長に借りが出来ちまってな、そのせいで色々あって千羽矢高校を甲子園に連れて行かないといけなくなっちまってな」

「前言撤回する、祐介は積極的な失敗どうこうの前に、なにも考えてないただの馬鹿だよ」

「ま、それはそうなんだが」

「その話だったんだあのとき言ってた祐介の話って」

「そ、結果的に俺は損な役回りってわけだ」

「損? どうして?」

「それは内緒」


千石理事長に提案した条件と浅田理事長に提案した条件。

その2つは決して両方を達成することは出来ない、【今年の夏で公式戦1勝】【春の甲子園に出場】【来年の夏の甲子園で優勝】このこの3つの条件と【甲子園5連覇】俺が残ってる公式戦はあと3回。

千石理事長との条件2つを全て発言通りにクリアできたとして、3つ目に関しては今のうちにどちらを優先させるべきか考えておかないとな。


まぁ、うちの浅田理事長はあほだし去年の夏の地区大会で失点がどうのこうのも、忘れてたし、下手したら今回のことも穏便に済ましてくれるかもしれないな。


「―すけ! 祐介!!」

「なんだ?」

「なんだって、急に黙るから」

「悪い、少し考え事しててな」

「それは、別にいいけど」

「早く注文決めてよ?」

「あ、それに関してはもう大丈夫だぞ。ドリアとサラミピザあとミックスグリルで」

「よく食べるね」

「久しぶりに体を動かしたからな」

「そっか」



「ふぅ、美味しかった」

「橘さん会計は俺の名前で義父に領収書渡しときますから」

「いやいや、お父さんにはいつも世話になってるからね、今日は私が奢らせてもらうよ」

「まぁ、それならお言葉に甘えて」


別に義父名義のカードで支払って、その領収書を義父に渡すだけなのだが。


普段から金を持ち歩かないというか、食費以外で金を使うことがない生活をしている反面、誰と食事に行っても奢ることに抵抗がないのだが。


「電車まだ止まってるみたいだよ?」

「そうか、なら少し電話してくるな、この状況じゃタクシー捕まえるのもしんどいし」

「わかった!!」


スマホを取り出しタクシー代わりにしている人間に電話を掛ける。


「お疲れ様っす、なんか用ですか?」

「今から迎え来てもらえる?」

「え、俺今東京の自宅っすよ?」

「なんでだよ、俺は今日からこっちに引っ越すって」

「いやーあの、申し訳ないんすけど。夜は妹さんたちの方見るように言われてるんすよ」

「はぁ!? まぁいいか最悪の場合歩いて帰れば」

「祐介、帰る目処立った」

「あー、まぁ立ったには立ったんだが」

「帰るの面倒なら、家に泊まってば?」

「いやそれは流石に勘弁してくれ」

「だって、明日どうせ、暇なんでしょ?」

「そりゃまぁ、いつもよりは暇だが」

「じゃあいいじゃん、行こ行こ」


「いいんすか?」

「別にいいんじゃないかな、雪も楽しそうだし」

「そいですか」


雪に導かれるまま暗くなった街を歩く。


「親父さん少し聞きたいことがあるんですけど」

「なんだい?」

「千石理事長と会ってた時、何を話してたんですか?」

「それは、もちろん企業秘密だが」

「ですよねー」

「それより。私の方からも聞きたいことがあるんだ」


立ち止まった雪の親父さんの方を見て、俺自身も足を止める。


「君は雪のことをどう思ってくれているのかな」

「それは、少し難しい所だと思いますけど。いい関係だとは思ってますよ」

「友達としてかい? それとも異星としてかい?」

「それこそ、俺から決めるようなことじゃ―」

「もし君が雪の事を友人だと思ってくれてるなら私は何も言わない。でも、異性として見ているなら、雪からは身を引いて欲しい。これは父親としてのお願いだ」


その言葉は、彼の父親としての思いを強く感じられる言葉だった。

状況を知っている人なら婚約者がいる俺に娘が気を持ち、叶わぬ恋をさせるのは心ぐるしいだろう。


「お父さん! 祐介! 何してるの? 早く行こうよ!!」

「悪い雪、やっぱり会社に戻らないといけなくなっちゃってな、祐介君と仲良くやってくれるか?」

「うん、別にいいけど」

「それじゃあ、行ってくる」

「いってらっしゃい!!」


駅の方に駆け足で戻る彼の背中は紛れもなく父親の背中だ、それでも。

俺にはただ彼が逃げているようにしか見えなかった。


「なぁ雪」

「なに?」

「俺もやっぱ帰るわ、俺自分の枕じゃないと寝れなくてよ」

「そっか」

「悪いな、この埋め合わせは近いうちにするからさ」

「わかった。じゃあ、また今度ね」

「おう、またな」


寂しそうな眼をする雪を背に、俺は地を踏みしめるように歩いた。


結局俺もあの人と同じなのだろう、答えを今出せと言われているような気分になると、どうしようもなく逃げたくなってしまう。

いま、本当に雪と同じくらいに大切なものが、雪と天秤にかけられたら、俺は一体どちらを選ぶのだろうか。


まだ涼しい春風が、心の中を吹き抜けていく。

いい加減自分のことは自分で解決しなくてはならない時が近付いているのだろうか。

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