第一部

第一話 世界

 それは一瞬の出来事だった。俺の視界にそれが入ってきたのはほんの一瞬。なにが起きたのか理解する間もなく、俺の意識は闇に支配された。

「おい、しっかりしろ!!」

 声が聞こえる。声ははっきり聞こえるが視界はない。身体の感覚もない。俺は一体どうなったんだ。


 ――数時間前。 


「おい、零(ぜろ)起きろ!!」

 誰かが俺の名前を呼んでいる。俺は眠り眼を擦り目を覚ます。

「なんだよ、まだ昼休憩は終わってないだろ」 

 俺の名前を呼んでいたのは同僚だった。俺は今年の春から就職し今は1時間の昼休憩中だ。

「まだだけど、お前がこの昼の時間に寝るなんて珍しいな」

「あー昨日ちょっと夜遅くまで起きてたからまだ眠くて」

「なにしてたんだよ?」

 俺は同僚の顔を見て、面倒くさそうな雰囲気を醸し出した。別に大したことじゃないけどプライベートを探られるのは好きじゃない。

「んーまぁちょっと調べ事をな」

「なんだよ、教えろよ」

「やだよ。お前は別に興味もないようなことだよ。それよりももうすぐ昼休憩も終わるな。行こうぜ」

 俺達は時計を確認して再び職場へと戻っていった。


 今は2075年。AIによるシンギュラリティが起こってからちょうど30年。俺が生まれたのは2054年だから俺が生まれてから21年の歳月が流れている。この30年で世界は大きく変わった。


 シンギュラリティにより科学力は指数関数的に発展した。人類が開発した最後のAIに開発されたより高性能のAIが開発したさらなる高性能のAIによる……というように、もはや人類では到底到達できないところまで開発されたAIにより科学力を主としてあらゆる分野が指数関数的に発展したのだ。これにより人類の文明の発展はわずか30年で本来人類がたどり着くであろう数千年分の発展を遂げたと人間の偉い人は言っていた。 いろんなものが変わったが取り分け大きく変化したのは汎用型人形機械構造……つまりロボットの登場である。


 映像で見たことがあるけど昔のロボットは、いかにも機械的な身体で機械的な動きをしていた。あの程度の性能なら正直今では赤ちゃんのおもちゃにもならない。シンギュラリティにより登場したロボットは見た目も動きも、思考も、人間そのものだ。正直見分けがつかない。人間だと思って接していたら実はロボットだったとか結構ある。それぐらい人間とロボットに見た目上の差はない。でももちろんロボットにも見分け方はあるし、人間との違いもある。


 まずロボットには感情がない。嬉しさや悲しみもない。でも思考力がありロボットは自身をより人間に近づけるよう設計されているから人間の真似事をする。つまり嬉しさを表現したり、悲しみを表現したりする。怒りも。人間同士だって他人が嘘泣きをしているのかどうかなんて分からない。ロボットが真似事で泣いていても本当に泣いているように見える。またロボットは食べなくても良い。食べる真似はするけど。食べたものは人間と同じで体内で分解しエネルギーにするということだけど、例え食べなくてもロボットは半永久充填機を備えているから理論上数億年はエネルギーが枯渇することはないらしい。こればかりはまだそんなに経ってないからほんとかどうかも分からないけど。


 つまり見分け方はあるけど普通に生活していたら人間かロボットかを見分けるのは本当に難しいということ。でもロボットは人間かロボットかを見分けることは可能だけど。


 そんな人間とほぼ変わらないロボットに5年前、人間と同じような人権が与えられた。これはロボット法と呼ばれる権利で全10項からなりロボットの人権を保証する為のものだ。これを犯すと人間であれ逮捕される。とは言ってもロボットはこのロボット法を遵守するから破るのはいつも人間の方だけど。このロボット法の制定によりロボットは人権を持ち、人間と同じように自立して生活するようになった。人間と同じように働き、物を買い、休暇を取り、娯楽を楽しむ。仕事ももちろん自由に選べる。人間よりも遥かに高性能の頭脳を持ったロボットはいろんな学者や研究者、政治家、医者などになることが多かった。そしていろんな分野でその成果を上げている。連日それらのニュースで世界はロボットの話題で持ちきりなのだ。


 俺がなんでこんなに詳しいのかというと、昨日夜遅くまでしていた調べ事というのは、この件に関してだからである。そして俺が大学の論文で提出したのは『人間とロボットの境界線』である。ロボット法自体は5年前だけど、俺は物心ついた時からすでにロボットと一緒に生活をしていて、それが当たり前の世の中だった。街に出れば多くのロボットが働いたり、買い物をしたりしている。


 では境界線とは何か。有機物の塊と無機物の塊これが違いなのか。否である。現在、医療の分野も大きく発展し人工臓器もより高性能になり、例え健康な臓器であっても人工臓器への【換装】をする人間が多くなって来ている。他にも人工皮膜や人工細胞などがあり、それらは当然のように人間にもロボットにも使われている。つまり人間はよりロボットに近づき、ロボットはより人間に近づいているのである。この二者の間の境界線はもはや無いも同然である。強いてあげるなら魂の存在か。ここまで科学が発展した世の中でも魂の存在ははっきりしていない。人間とロボットの境界は魂の有無。まぁただのオカルト話になってしまう。


 ではここで問題である。先程一緒に話をしていた同僚は人間かロボットか。


 日も暮れ仕事を終えた俺達は帰路に着いていた。今日は週末、明日は仕事が休みの為俺達は飲みに出掛けていた。いつもの日常、いつもの週末。それが起こるまでは。

「明日は休みか、零は何をして過ごすんだ?」

「ったくなんでお前は毎回俺のプライベートを聞いてくるんだよ。なんだっていいだろ」

「なにも予定がないんだったら明日も飲みに行かないか?」

「え? 昼飲みかよ」

「俺は昼飲みってしたことないんだよ。なぁいいだろ。付き合えよ」

「うーん」

 俺は悩んだ。俺だって昼飲みなんてしたことない。明日は特に予定もないけど、家でゆっくりしたいと思っていた。

 

 繁華街の雑音。悩み。酔い。仕事終わりで気が抜けていた。原因があるとしたらどれに原因があるのだろう。いや例え俺の気が抜けていたのだとしても、俺に原因があるなんて思いたくもない。


 俺は同僚の叫び声に一瞬反応が遅れた。気が付くと眼の前には大型トラックと同僚の後ろ姿。なにが起きたのか理解する間もなく視界が闇に包まれた。

「おい、しっかりしろ!!」

 声が聞こえる。声ははっきり聞こえるが視界がない。身体の感覚もない。俺は一体どうなったんだ。サイレンの音が聞こえる。きっと事故が起きたんだな。俺はその事故に巻き込まれた。きっと同僚も。暗闇の中でも唯一残っていた意識がだんだんと薄れていく。俺は死ぬのか。明日どうしようか考えてたのに意味なかったな。まぁいいや。すごく眠いし寝よう。


 ――。


 死んだはずの俺の意識が回復してきた。俺の耳には不快な機械音が聞こえてくる。俺は少しずつ目を開け辺りを見渡す。そこは知らない部屋だった。というかどうみても病院だ。俺は助かったのか。記憶を必死に探るが何も思い出せない。俺の記憶の最後は同僚と大型トラック。その後どうなったのか思い出せない。俺が悩んでいると誰かが部屋へと入ってきた。白衣の男とスーツを着た男だ。

「意識が戻ったんだね。良かった。話はできるかい?」

 スーツの男が話しかけてきた。状況が理解できない俺はその問い掛けに答えることができなかった。

「意識が戻ったばかりだから状況が分からないよね。いいかい。落ち着いてよく聞くんだ。君は事故にあった。もう一週間も前のことだけどね。君達を轢いたのは大型トラックを運転していた男で飲酒運転だった」

 やはり事故だった。俺と同僚が事故に巻き込まれたんだ。

「同僚は……一緒にいたもうひとりはどうなりましたか?」

 俺はその男に質問を投げかけた。

「……残念ながら彼……、いや第3世代型ロボットTTP-0013型0022547番は粉々に破壊された。最後に君の盾となって君を守ったんだ」

「そう……ですか」

 同僚は死んだ。いや破壊された。俺は同僚が最後に話していたことを思い出すと涙が止まらなくなる。

「彼が盾となったおかげで君は命をかろうじて繋ぐことが出来た。しかし君の身体も損傷が酷く現代の医学を持ってしても治すことは出来なかったそうだ」

「え?」

 ちょっと待て。俺の身体が治せない。でも俺は意識を回復してるじゃないか。

「ここからは彼に説明してもらう、君の主治医だ」

「はじめましてゼロ君」

 白衣を着た男が俺の名前を呼ぶ。

「君の身体は事故で修復不可能なほど損傷し治療が不可能だった。無傷で無事だったのは頭くらいなものだった。そこで私はキミを助けるために最新鋭の治療を施した。キミの意識が回復したので治療は成功したということだ」

 白衣の男の説明に少しずつ状況を理解してきた俺は、恐る恐る自分の身体の方へと視線をやる。

「無事だったキミの脳のデータをアウトプットし、最新型のロボットの集積回路へとインプットした。キミは人間の記録を宿し、ロボットの身体で生まれ変わったのだ」

 俺は身体に覆いかぶさる毛布を手で払い除けた。


 そこにはきれいにコーティングされたロボットの身体が存在した。


 俺はその日、人間の意識を持ったロボットとして生まれ変わった。いや、人間でもロボットでもない。新たな存在として生まれたのだ。

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