PART2

 赤い空、赤い水平。

 赤い世界には赤以外何も無い。赤い海が一面に広がり、その色が空を赤く染め上げている。

 そこに居るものは歪のみ。此処は歪が創りし歪のための世界なのだから当然だ。

 歪は“歪骨”なる骨格からなる外骨格生物で、歪以外の存在――例えば人間など――は内骨格生物となる。

 それはつまり骨格の内に筋肉や内臓など全てを格納した形態で、強靱で堅牢な、無類の耐久性と剛力を持ち、そして他者を殺傷することに特化した形状を持つのが特徴である。

 そんな歪のみが踏み込むことが出来、かつ生存することが出来るのが世界の別の一面であるこの赤い世界。生態機能だけでは無い、何らかの特殊な力の作用があるのであろうか、それを知る者は少なくとも現世には存在しない。

 そしてその世界に踏み込むことの出来るイサミは、それは果たして彼女が契約を結んだ“魔”の加護の賜物か、それとも歪を殺せる彼女もまた――


「カンケー無い。アタシが何であろうと、何でもなかろうと、アタシは歪を殺して、殺して、殺しまくって、全部の歪を殺し尽くすだけ」


 黒いセーラー服を踊らせて、赤い海を渡るイサミが奏でる、怒気や殺気に充ち溢れたその声で紡がれた言葉は、彼女の耳元で何時も囁きかける悪魔インペルーザーに対するものであった。

 紅く輝くイサミの瞳に映る、赤い世界に踊る黒い影。

 彼女を囲み、跳ね回るそれは歪骨に身を包んだ歪たち。それらは果たしてこの歪以外何も居ない世界に訪れた、殺すことの出来る存在に歓喜しているのだろうか。

 イサミには、それこそどうでもよいことである。

 彼女は右腕を水平に持ち上げると、己の周りを鬱陶しくも跳び回る歪どもへと向けて唱える。それは怨嗟の呪言。うら若き少女が奏でるにはあまりにも凄惨な一言。


「――殺してやる」


 その直後、イサミの口から耳を劈かんばかりの悲鳴が挙がった。

 痛み苦しみ、それを必死に堪えるように彼女は吼える。赤くした顔に、噴き出す汗が流れる。逆立つ黒髪は無いはずの風に吹かれたように宙を漂い始めた。

 そして持ち上げていたイサミの右腕、その前腕部がまるで這いずるように歩行する芋虫のように波打ち、異様に膨らみ始めた。

 腕の中に何かが潜んでいるかのように、そしてそれが暴れ回っているかのように、彼女の華奢で細い前腕は二の腕と比べ二回り以上にも膨れ上がり幾つもの筋が浮かんではのたうち回っていた。

 やがて血の海に膝を屈したイサミ。意思とは関係なく暴れ回る右腕をそのままに、汗の雫が滴る顔を持ち上げると、そこに浮かんだ表情はまるで獣のようだった。歯を犬歯まで、歯茎すら剥いて、そして再び唱える。


「――殺してやる!」


 限界まで見開かれた両目の両端は遂に裂け、揺れる紅い瞳から滲み出たかのような鮮烈な紅をした血涙がそこから流れ出すと、それは彼女の顔にじゅうと音を立て焼け付き、目元から頬にかけて赤い痕を作り出す。


「――殺してやるッ!!」


 そして遂に、空気が詰まった風船のようにぱんぱんに張り詰めたイサミの右腕。変色し紫色に染まる前腕がそれこそ風船のようにぱんっと威勢の良い音を立てて破裂した。

 そして飛び出したのは、彼女の右腕の肉を切り裂き皮膚を裂いたのは鋭利な爪先を持った蟲の足のような形状をした“歪骨”であった。


「オマエら全員――殺してやるッ!!」


 爪の歪骨を従えた、血塗れとなった右腕を振り上げたイサミが挙げる憎悪と憤怒から噴き出た咆哮と共に、鎌首をもたげた彼女の歪骨が高速でその節々を稼動させる。

 右腕の破裂と共に弾け飛んだイサミの血飛沫を更に細かな霧へと変えながら彼女の周囲を薙いだ歪骨が再び彼女の右腕の元へと戻ってきた時には、周囲を取り囲んでいた歪の全てがその上体を喪失し、そして残された下半身が倒れ込むとそこに詰まっていた臓物が溢れ出す。

 訪れた静寂の中で、のたうち回る歪骨が生えた右腕を押さえながら荒い吐息を繰り返すイサミ。

 鮮血の隈取りに彩られた般若の如き形相はいまだなりを潜めず、歪骨を携え立ち上がった彼女は赤い世界を歩み始める。

 道標の無い赤一色の景色を、しかし迷わず進む彼女には見えていた。

 腕から滴り落ちる血の一滴一滴をこの世の赤へと同化させながら、一つ一つ前へと進んで行く波紋たち。

 止まぬ痛みに歯を食い縛りながら、その痛みを発する己の右腕を爪が食い込むほどに握り締めて、その痛みに滲んだ涙は紅く染まり頬の痕を濃くして行く。

 そうしながら歩み続けたイサミの目に映り込んだのは、赤の水平よりその存在を露わにしたのは黒い十字架。そしてそこに磔にされた、白い素肌を曝す一人の少女。

 その姿を見たイサミの表情が苦痛以外の感情でしわくちゃに歪んだ。噛み締めた下唇が裂け、赤い血が滲み出る。やがて彼女は唇を放し、口を開いた。

 そして眠るようであった磔の少女の目もまた突如として見開かれると、その本来茶色いはずの瞳は紅く、彼女の薄紅色の唇が徐に動き出した。


「――見つけたミツケタ

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